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第6章 遠のくほどに、愛を知る
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しおりを挟む「……詳しいことはよくわからないのですが、クロード様とロシェル殿下はお互いのことをなんとも思っていなかった、ということでしょうか……?」
「どちらかというと、嫌いあっていたと思う。ただ、あいつと結婚することになっても別に良いと思っていたのも事実だ……お前と出会うまでは」
クロードが面映ゆい表情でそんなことを言うものだから、なんだかヴィンセントまで気恥ずかしくなってしまう。
ヴィンセントは目を逸らしたまま、ぎこちなく咳払いをした。
「……わ、かりました。……いえ、本当はよくわかっていないのですが、それはお互い様なので。俺も、いつどのタイミングであなたを好きになったのか、はっきりとわかっているわけではないのです」
「だからそれは俺がイリスの樹に……」
「クロード様」
クロードの言葉を遮るように、ヴィンセントはクロードを呼んだ。
それから真っ直ぐな瞳でクロードを見つめ、落ち着いた声で言う。
「今更ではありますが、正直俺はイリスの樹のことはこの際どうでもいいと思っています」
「……どうでもいい?」
「ええ。だって、本当のことなんて誰にもわかりません。あなたも俺も、イリスに会って直接話をしたわけでもありませんし、その願いを叶える仕組みを理解しているわけでもありません。ふたりでああだこうだと言い合っても、ただの水掛け論です」
「それは、そうだが……」
クロードが言葉に詰まった隙に、ヴィンセントは諭すような柔らかな声で告げる。
「俺は自分の意思であなたを愛していると思っています。ですが、もしかしたらあなたの言う通り、イリスの樹によって偽物の感情を植え付けられているだけなのかもしれません」
「…………」
「なにが真実で、なにが思い込みなのか──それは、俺にも、あなたにもわからないことです」
「……ああ」
戸惑った表情で小さく頷くクロードの手を強く握り、ヴィンセントは軽く息を吸い込んだ。
そして、僅かな沈黙の後、ヴィンセントは射抜くような真剣な瞳でクロードと視線を交えた。
「不安な気持ちはわかります。でも、信じて頂けませんか? 俺もあなたの言葉を信じるので、あなたにも俺の言葉を信じてほしいのです。怖くても、不安でも、俺の隣で俺と一緒に生きてほしい」
クロードが息を呑んだ。
丸くなった青い瞳が、信じられないものを見るようにヴィンセントを見上げている。
残酷なことを言った自覚はあった。
一生悩んで、一生苦しんでくれと、そういうことをヴィンセントは言ったのだ。なんの確証もない愛を盾に、ヴィンセントのためにヴィンセントの隣で一生苦しみ続けてくれと。
なぜこんなにも愛おしいのかなんて、ヴィンセントにもわからない。いや、どうでもいい。
ただ、間違いなくヴィンセントはこの美しい青年を愛している。不器用で、偏屈で、この世の誰よりもヴィンセントを愛してくれたクロード・オルティスを愛している。
「あなたを愛しています。この世の誰よりも」
ヴィンセントにそう告げられたクロードは、口を半開きにして唖然としているようだった。
見開かれていた目のまつ毛が微かに震え、みるみるうちにその瞳が潤んでいく。整った顔がくしゃりと歪んだ途端、クロードの目からはぽろぽろと涙が零れ落ちはじめた。
「クロード様、大丈夫ですか?」
「っ、最悪だ……っ! あいつがすぐにメソメソ泣いてたせいで、俺まで涙もろくなってる……っ」
「たぶん、普段は気を張っているだけで、元々涙もろいのではないかと」
クロードがキッと睨んできたが、泣きながら睨まれても怖くはなかった。
ヴィンセントは手を伸ばし、その目尻に溜まった涙を指で拭ってやる。
「……見るな」
「泣き顔も素敵ですよ」
「うそをつくな……」
「嘘ではありません。愛しています」
「っ~~黙れ! 俺の方が愛しているッ!」
突然叫んだクロードががばりと上体を起こし、ヴィンセントと向かい合う。
茹で上がったように顔が真っ赤だ。涙で濡れた青い瞳が、口惜しそうにヴィンセントを映していた。
突然の怒号に呆気に取られていたヴィンセントはゆっくりと目を瞬かせたあと、頬を緩めて穏やかに笑う。
「はい。存じ上げております」
「っ……」
赤面するクロードはなにか言いたげな顔をしていたが、結局なにも言わなかった。
代わりに、ヴィンセントの手を強く握り返し、ゆっくりと顔を近づけてくる。
金色の長いまつ毛が伏せられていくのを目にするのと同時に、ヴィンセントもゆっくりと瞼を落とした。
手を握っていない方の腕がヴィンセントの体へと回され、それからすぐ唇に柔らかなものが触れる。
結婚式のときの誓いのキスを思い起こさせる、触れるだけの優しい口付けだった。
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