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第6章 遠のくほどに、愛を知る
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しおりを挟む自分の末裔の願いを叶えながら代償を払わせるなんて、優しいのか残酷なのかよくわからない木──いや、ひとだ。先祖というのは子孫には優しいものなんじゃないか、普通は。
ヴィンセントが内心イリスに呆れていると、クロードが消え入りそうな声でぽつりとなにか呟いた。
その言葉が聞き取れなかったヴィンセントは、顔を近づけるようにしてクロードの顔を覗き込む。
「なにか言いましたか?」
「……わ」
「わ?」
「……悪かった。目覚めて急に記憶が戻っていたから色々とパニックになって……お前には酷いことを言った……」
シュンとした様子で、クロードは謝罪した。
ヴィンセントはぱちぱちと目を瞬かせたあと、あまり見せたことのない意地悪な笑みを浮かべる。
「先ほども浮気者だと言われたばかりですが」
「そ、それも悪かった……」
「冗談です。怒ってもなければ、傷付いてもいません。あの日は少し驚きましたが、あなたが記憶を取り戻したことがうれしくてたまらなかったので」
またこうやって、言葉を交わせること自体がうれしくてたまらない。
しかし、このヴィンセントの喜びさえも、クロードにとってはイリスの樹によって作られた偽りの感情ということになるのだろうか。
ヴィンセントが少しばかり寂しい気持ちになっていると、なにか言いたげにクロードがヴィンセントを見上げていた。
その青い瞳を見つめ返しつつ、ヴィンセントは小首を傾げる。
「どうされましたか?」
「……お前、なんで俺が仕方なく結婚したなんて思ってたんだ……? オルティス公爵家がクレイ伯爵家に脅されるわけないだろ……」
「……仰る通りです……」
それを言われてしまうと、ヴィンセントも返す言葉がなかった。
言い訳をするなら、『あり得ないことだったから』だろうか。
あのロシェル王子との婚約を解消してまでクロードがヴィンセントと結婚したがるなんて、想像もつかなかった。社交界の多くの貴族たちがそう思っていたように、ヴィンセントは正義感の強いクロードが自ら責任を取ったのだと、そう思い込んでいた。
「……色々と、誤解がありました。俺はあなたから結婚の申し込みがあったことを知らなかったので、てっきり父が無理を言ったのかと……それに、あなたが俺と結婚したがるなんて思いもよらないことでしたし……」
「……俺が強引に結婚の話を進めたから、だから嫌われているんだと思っていた。それに、お前の夢も奪ってしまったから……」
「夢……?」
ヴィンセントは怪訝な表情を浮かべる。
夢なんてものが自分にあっただろうか?
一生食うのに困らない程度の生活を送りたいという、ふんわりとした目標のようなものはあった。だが、それだけだ。夢などという大層なものは、これといって持っていない。
……いや、いまはクロードと共にこれから先も暮らしていけることが夢といえば夢だろうか。
そんなことを考えてしまう自身にヴィンセントが気恥ずかしさを覚えたところで、申し訳なさそうにクロードがヴィンセントを見つめる。
「優秀な騎士だったということは、お前の父から聞いていた。だが、騎士団のトップを目指していたのは知らなかった……いや、知っていたからといって、お前を諦められたわけでないだろうが……」
「…………??」
「恨まれても仕方ないとは思っている、いまはあの木のせいで俺を愛していると思い込んでいるんだろうが、本当は──」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
思わず、大きな声が出た。
クロードも驚いたような顔をしているが、それ以上にヴィンセントは混乱していた。
ヴィンセントが騎士職に執着しているとクロードが思い込んでいるのは、あのカタリナへの手紙で知っている。
しかし、騎士団のトップを目指していたというのはいったいなんの話なのか。
「あ、あの……それは俺のことですか?」
「なにがだ?」
「だからその、騎士団のトップを目指していた云々の話のことです」
「お前以外にいないだろう」
どうしてそんなことを聞くのかと言いたげな顔をするクロードを見つめたまま、ヴィンセントは言葉を失った。
そして、しばしの沈黙の後、困惑した表情を浮かべて言う。
「……誤解です」
「誤解?」
「騎士団長になりたいなんて、思ったこともなければ口にしたこともありません」
「は……?」
クロードはぽかんと口を開けて唖然としていた。けれども、すぐに疑うような目でヴィンセントを見る。
「そんなはずはない。なんで嘘を吐くんだ?」
「嘘なんて吐いていません。クロード様こそ、いったいどこでそんな作り話を聞いてきたんですか?」
ヴィンセントが言い切ると、クロードは一瞬言葉に詰まった。しかし、負けじと真剣な目をしてヴィンセントを見上げてくる。
「キースに聞いたんだ」
「キース……? まさか……」
「お前の上司だった、第一王子のキースだ」
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