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第6章 遠のくほどに、愛を知る
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しおりを挟むヴィンセントたちが訪れた宿は、貴族や羽振りの良い商人などが利用する高級宿のようだった。建物の作りも、一般的な宿よりも貴族の屋敷に近い。
クロードがオルティス公爵家の名前を出せば、当然のようにそこで一番良い部屋に泊まれることになった。
ヴィンセントが戸惑っている内にクロードは会計を先払いで済ませ、ひとり部屋の中へと入って行く。
「クロード様」
後を追って部屋に入ったヴィンセントへの返事はなかったが、追い出されることもなかった。クロードは身を投げ出すよう大きなベッドに横になり、そのまま目を閉じてしまう。
実家の自室よりも余程豪華な室内を見回してから、ヴィンセントはベッドに歩み寄った。
ベッドの縁に腰を下ろし、静かにクロードを見下ろす。
『ただ、お前が本当は俺を愛していないことを知っているだけだ』
先ほどのクロードの言葉を思い返しながら、いったいどういう意味だとヴィンセントは首を捻る。
またいつもの思い込みなのか。それとも──
「……お前には酷なことをしたと思っている。取り返しのつかないことをした」
クロードが突如呟くように言った。疲れ切った、後悔をにじませた声で。
ひとと話をする体勢ではないが、どうやら一応ヴィンセントと会話をする気はあるらしい。
ヴィンセントはなにから話すか迷いながら、静かに口を開く。
「……酷なこと、というのはなんのことですか?」
「…………」
「クロード様、黙っていたら話が進みません」
「……言ったって、きっと信じない」
「そんなの言ってみないとわからないじゃないですか」
窘めるように言って、投げ出されていたクロードの手の甲にそっと触れる。
今度は振り払われることはなかった。
クロードは迷うような素振りを見せながら、おずおずと唇を動かす。
「……祈ったんだ」
「祈った?」
「あの日、お前に愛されたいと、イリスの樹に祈った……」
オルティス公爵家の庭にある、真白の大樹。
祈れば神に願いが届く──そんな迷信のあるあの木の名前が不意に出てきたことに困惑しながらも、ヴィンセントはわずかに頬を赤くする。
「……それはつまり、俺と両思いになりたかったからイリスの樹にお祈りをした……ということでしょうか?」
可愛いところもあるひとだな、とヴィンセントは少し微笑ましく思ってしまった。
しかし、クロードの表情は苦いままだ。
「……クロード様?」
「……そうだが、お前が思っている『祈り』とは違う……あの木は普通の木じゃないんだ……」
そこでふとヴィンセントは、クロードがカタリナへ宛てた手紙に『あの木を頼ることはない』と書かれていたことを思い出した。ヴィンセントが公爵家で初めて迎えた冬、赤い花を咲かせたイリスの樹を冷めた目で見つめるクロードの横顔も。
クロードの手の甲に触れていたヴィンセントの手を、クロードが震える手で握り返す。
「……俺がなにを言っても、お前はきっと意味がわからないと思う。俺だって、本当は信じたくない……でも、姉上が……」
「……ジーナ様のことですか?」
クロードは驚いたように目を丸くした。ヴィンセントが続けて「アルバート様から少しお聞きしています」と付け加えると、クロードは納得いったような顔をしながら力なく笑う。
「……そうか、姉上のことも知っているんだな……だが、姉上がどんなふうに死んだかは知らないだろう?」
体が弱く、十四の冬を越えられずに天に召されたとは聞いた。けれども、確かにどんなふうに亡くなったのかは聞いていない。
ヴィンセントは戸惑いながら、小さく頷いた。なんとなく胸騒ぎがする。それでもきっと、聞かないわけにはいかないのだろう。いや、聞いてやりたいのだ。クロードがヴィンセントに打ち明けたいと思うすべてのことを。
クロードの目がゆっくりと瞬いた。その青い瞳はヴィンセントから逸らされ、照明のぶら下がった天井へと向けられる。
「……姉上は、俺のせいで死んだんだ」
まるで懺悔するかのように、クロードはか細い声で呟いた。
そして、長い沈黙のあと、静かに過去の出来事について語り始めたのだ。
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