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第6章 遠のくほどに、愛を知る
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しおりを挟む周囲の静止を無視して馬で帰ろうとするクロードに対し、「馬車で帰れ」と言い放ったのはエドワードだった。
ありがたい申し出だ。一度落馬したことのあるクロードが酔った状態で馬に乗ることは、ヴィンセントとしてもどうしても避けたかった。
しかし、クロードはエドワードからの命令に近いその申し出が気に食わなかったらしい。
出発する少し前には、ふたりは取っ組み合いの喧嘩になりかけていた。やはり、仲が良いのか悪いのかわからないふたりである。
「もう絶交だからな!」と怒鳴るエドワードと「こっちのセリフだ! 二度と話しかけるな!」と捲し立てるクロードを引き離すのは一苦労だった。
ハリス侯爵家の執事がエドワードを引き留めている間になんとかクロードを馬車の中に押し込め、ようやくヴィンセントはハリス侯爵家を出発できたのだ。
クロードとヴィンセントの馬は、後々ハリス侯爵家の従者が送り届けてくれるらしい。馬車の速度を考えれば、おそらく馬たちの方が先にオルティス公爵家にたどり着くことだろう。
馬車に揺られながら、ヴィンセントは向かいに座るクロードをじっと見つめる。
対するクロードは不機嫌そうに窓から外の景色を眺めていた。まるでヴィンセントの視線を拒んでいるかのような態度だ。
その冷めたクロードの横顔にヴィンセントが気後れした所為もあり、長い時間ふたりの間に会話はなかった。
思えば、結婚してすぐの頃も、移動の馬車の時間は会話がなかった。ただひとつ違うのは、窓の外を見つめていたのがヴィンセントで、そんなヴィンセントをもどかしげに見つめていたのがクロードだった点だろうか。
あの頃とはまったく逆の状態だ。もしかすると、あのときのクロードも本当はヴィンセントと話がしたかったのかもしれない。
いまになって初めて、あのときのクロードの気持ちがわかるような気がした。最近はそんなことばかりだ。
とはいえ、いつまでも黙っているわけにはいかない。ふたりには話し合わなければならないことがたくさんあるのだ。
「……あなたが無事でうれしかったです」
ヴィンセントはぽつりと言う。
だが、やはりクロードからの返事はなかった。
言わなければならないことも、聞かなければいけないことも山ほどあるはずなのに、いざとなるとうまく言葉が出てこない。
愛していると告げても、いまのクロードには届かない気がした。
まるで硬い殻に閉じ籠ってしまったかのように、クロードはヴィンセントとの対話を拒んでいる。
なぜここまで拗れてしまっているのかは、ヴィンセントにもわからない。
記憶が戻っても、戻らなくても、もう大丈夫だと思っていた。クロードがヴィンセントを愛していてくれて、ヴィンセントがクロードを愛していれば、いままでの蟠りもすべて消えるのだと理由もなく信じていた。
しかし、蓋を開けてみればクロードが記憶を失う前よりも事は複雑になっている。手を伸ばせば届く距離にクロードはいるのに、途方もなくクロードが遠く感じる。
「……本当に俺と離縁する気なんですか?」
ヴィンセントが問いかけた瞬間、クロードの瞼がぴくりと動いた。けれども、クロードは窓の外を眺めたままなにも言わない。
その態度にだんだんと腹が立ってきたヴィンセントは、少し強い口調で言葉を続ける。
「それとも、そうやって無視し続けるんですか? これからもずっと?」
「…………」
「俺は、あなたを愛しています。あなたが信じてくれなくても」
そこで、ようやくクロードはヴィンセントと視線を交えた。
……だが、その青色の瞳は、訝しむような、探るような、そんな冷え冷えとした感情をにじませている。
ヴィンセントの心からの言葉など、まるで届いていないようだった。
予想してはいたことだが、それでもヴィンセントは少しショックを受けた。
烏滸がましいとわかっていても、信じてほしいと思ってしまう。
愛しているからだ。
何度も傷付けて、すれ違って、それでも愛している。きっと、みっともないほどに。
「……あなたが俺のことを信じられない気持ちもわかります。第二夫人を勧めたりして、あなたを傷付けた。でも──」
「違う」
俯き加減だった顔を上げ、ヴィンセントはクロードを見た。
ヴィンセントの言葉を遮る形でようやく声を発したクロードは、どこか自嘲的な笑みを浮かべて日暮れどきの窓の外を見ている。自分からヴィンセントを拒んでいるくせに、どうしようもなく寂しげな横顔だった。
「ただ、お前が本当は俺を愛していないことを知っているだけだ」
「……それは、」
どういう意味かと問いかける前に、馬のいななきとともに馬車が止まった。
ヴィンセントが窓の外に目をやると、目の前にそこそこ大きな門があり、その先にさらに大きな建物が立っている。
どうやら、タイミング悪く今日泊まる宿に着いてしまったようだった。
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