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第6章 遠のくほどに、愛を知る
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しおりを挟む「遅いっ!!」
ほぼ丸一日かけてハリス侯爵家へと赴いたヴィンセントに向かって、エドワードはイライラとした様子でそう怒鳴ってきた。その右頬あたりは、なぜだか赤く腫れている。まるで誰かに殴られたかのような腫れ方だ。
しかし、エドワードに興味のないヴィンセントはそのことには触れず、淡々と「申し訳ありません」と謝罪した。
そうして、さっそく本題へと入る。
「それで、クロード様はどちらに?」
「…………」
エドワードからの返事はなかった。代わりに、エドワードはくるりと踵を返して、屋敷の二階へと続く階段をのぼっていく。
その後をヴィンセントも無言で追いかけた。
メッセージカードに書かれていた『酔っ払い』がクロードを指していることにはすぐ気付けた。というよりも、この状況ではクロード以外に考えられない。
とある客室らしき部屋の前で立ち止まると、エドワードは再びヴィンセントと向かい合った。
刺々しい黒色の瞳が、ヴィンセントを睨む。
「……お前、俺のこの腫れた頬に対して、なにか言うことはないのか」
「…………どこかにぶつけられたのですか?」
「違うっ!! お前のクソ夫に殴られたんだっ!!」
突然の激昂に、ヴィンセントは面食らった。
しかし、騎士時代から理不尽に怒鳴られることには慣れている。それになにより、夫のクロードもなかなかの癇癪持ちなのだ。
ヴィンセントはすぐに居住まいを正し、深く頭を下げた。
「知らなかったとはいえ、謝罪が遅れて申し訳ありません。夫の代わりにお詫び致します」
「クソッ、なにもかも最悪だ……!」
悪態を吐きながら、エドワードは歯痒そうな顔をする。
「『記憶が戻った、もう離縁する』というから匿ってやったのに、いつまでも酒浸りで行動には移さないし、俺がお前のことを悪く言うとキレて暴れだすし……本当になんなんだあいつは……っ」
「離縁……」
目を丸くしたヴィンセントがぽつりと呟いたが、イライラとした様子のエドワードは気にも留めていないようだった。そのまま捲し立てるように言葉を続ける。
「大体、いままで俺を無視してきたくせにちょっとうまくいかなくなったら頼ろうなんて虫が良すぎるだろ! 幼馴染だからって調子に乗りやがって!」
「……あの」
折を見て、ヴィンセントは声をかける。
エドワードの黒い瞳がキッとヴィンセントを睨んだ。
「なんだよ」
「不躾なことを伺いますが、もしかしてエドワード様はクロード様のことが好きなんですか?」
「…………はあっ?」
なに言ってんだこいつ、とでも言いたげにエドワードは顔を顰めた。
ヴィンセントは意外そうな目でエドワードを見つめ返す。
「違うのですか?」
「違うに決まってるだろ。あんな我が儘で傲慢でそのくせ人一倍繊細で面倒くさい奴、いったい誰が好きになるっていうんだ?」
エドワードはハッと鼻で笑う。
そのやけに流暢な悪口は確かに的を射ていて、ヴィンセントは苦笑するしかなかった。
しかし、言い返せる言葉がないわけでもない。
「……俺は、あの方のそういうところも好きです」
ヴィンセントがそう言った瞬間、エドワードの視線はさらに鋭くなった。おまけに低く舌打ちまでされる。
「……身の程知らず」
「わかっています」
「わかっているのなら、いますぐにでも身を引いたらどうだ? ロシェル殿下との結婚はもう無理だろうが、クロードならまだ他の上位貴族の人間とやり直せる。その方が俺も色々と都合が良い」
「お言葉ですが、それはあなたにとやかく言われることではないかと」
ヴィンセントが淡々と反論すると、エドワードは腕組みをしながら冷めた目をした。
「ほう、随分と偉そうなことを言うようになったじゃないか。結婚式の日は嫌そうにしていたくせに」
「…………」
「第一、お前もちょうどいいんじゃないか? 騎士に戻りたいんだろ?」
「別にそんなことは一度も言ったことがないのですが……誰がそんなことを?」
「俺はクロードから聞いただけだ。クロードが誰から聞いたかは知らん」
エドワードはそう言ってから、少し乱暴に客室のドアを開けた。そして、ズカズカと薄暗い室内へと入っていく。ヴィンセントもその後を追って、すぐさま部屋の中へと足を踏み入れた。
キツいアルコールの臭いと、それを誤魔化そうとするような香の匂いが室内に立ち込めていた。ヴィンセントは思わず顔を顰め、手で鼻と口を覆う。
慣れているのか、エドワードはそのまま部屋の奥へと進み、カーテンとともに窓を開けた。日差しと風が入ってきて、先ほどよりも幾分か部屋の空気が良くなる。
身を翻したエドワードは、再びヴィンセントを睨みながら皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「俺はお前のことが心底嫌いだが、いまは酒浸りでひとの家に居座った挙句、暴れて家主に手を上げてくるクソ男の方が煩わしい。持って帰って、煮るなり焼くなり離縁するなり好きにしろ」
「……連れて帰りはしますが、離縁はしません」
「どうだかな」
少しムッとしたヴィンセントに挑発的な笑みを見せてから、エドワードは颯爽と部屋を出ていった。
なんというか、クロードのことを心配しているのか、いないのか、よくわからない男だ。どちらにせよ、ヴィンセントを嫌っていることに変わりはないのだろうが。
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