遠のくほどに、愛を知る

リツカ

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第5章 手紙

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 ヴィンセントが口籠もっていると、クロードはどこかぼんやりとした表情で淡々と言う。

「結婚式の日の夢を見たんです。あなたに責められて、クロードがどこかに逃げる夢」
「…………」

 逃げた、といえばそうなのだろうか。
 初夜の直前、なぜ結婚を断ってくれなかったのかと問いただしたヴィンセントを驚いたように見つめたあと、クロードは無言で踵を返した。口惜しそうな顔をして、なにも言い返さず自室へと戻っていった。
 いま思えば、苛烈なクロードにしては彼らしくない態度だったかもしれない。

 そのときのヴィンセントは、初夜すらも行わない仮面夫婦の生活がはじまるのだと思っていた。それで良いとも思っていた。
 しかし、それから三十分ほどして、クロードはヴィンセントの元に戻ってきた。それも、ひどく酔った状態で。
 クロードは足元をふらつかせながらヴィンセントを睨むように見つめ、『月に一度の妻の務めは果たしてもらう』と硬い声で言った。そうして、呆然とするヴィンセントを有無も言わさずベッドへと押し倒したのだ。

 無礼なことを言ったので酷くされると思ったが、初夜のクロードはぎこちなく、優しかった。おずおずとヴィンセントの体に触れ、背中の傷に触れ、念入りに後孔を解して、慎重と言ってもいいほど丁寧にヴィンセントを抱いた。

 ──あの日のことを思い出すと、なんともむず痒い気持ちになる。
 そういえば、理不尽にクロードを責めたことも結局謝れていなかったかもしれない。

「……最近、昔の夢をよく見ます。昔の記憶じゃなくて、僕の妄想なのかもしれませんけど……」

 口にするのを迷うような口振りで、クロードがぼそぼそと小さく呟く。

「…………医者が、記憶が戻りかけているのが頭痛の原因ではないかと」
「はい」

 そうではないかと、ヴィンセントも薄々思っていた。
 あの手紙がカタリナから送られてきた日から、クロードは頭痛を訴えはじめた。過去のクロードの手紙を読んだことで、クロードの脳になにかしらの影響があったのもしれない。

「……うれしいですか?」
「…………」
「うれしいですよね。あなたは僕よりも、本物のクロードのことが好きなんですから」

 皮肉っぽく言うクロードを、ヴィンセントは困った表情で見つめる。

「どちらが好きかなんてありません。どちらも俺にとっては愛する夫ですから」

 顔を顰めたクロードが、やけに胡乱な目でヴィンセントを睨んだ。

「でも、記憶を取り戻してほしいと思っているでしょう?」
「それは……そうかもしれませんね。話したいことが山ほどあるので」
「ほら、やっぱりそうじゃないですか」

 それ見たことかと言いたげなクロードの態度に、ヴィンセントは苦笑した。
 拗ねたようなクロードの頬を両の手のひらで包みこみ、その唇に触れるだけのキスをする。
 目を丸くしたクロードを間近で見つめたまま、ヴィンセントは柔らかな声で喋りはじめた。

「昔は……いえ、つい最近までは、あなたと以前のクロード様を比べてばかりいました。口ではあなたを夫だと言いながら、あなたのことをクロード様とは別人だと思っていました」
「……はい」
「でも、傍にいればいるほど、あなたがクロード様なのだと思い知らされました。なにも覚えていなくても、あなたの中にクロード様は生きていて、あなたは間違いなく俺を愛してくれたクロード・オルティスなのだと」
「愛してくれた……?」

 一瞬の困惑の後、クロードの青い瞳が大きく見開かれた。そして、動揺したように落ち着きなく視線が宙を漂う。
 ヴィンセントはそっとクロードの頬を撫でながら謝罪する。

「申し訳ありません。実はカタリナ様から送られてきたクロード様の手紙を、一通だけこっそり拝借しておりました」
「…………なんだ。じゃあ、一週間以上前から全部知ってたってことですね……」
「全部、かはわかりませんが」

 クロードの唇の端が歪み、いまにも泣き出しそうな表情に変わる。
 ヴィンセントはもう一度「申し訳ありません」と謝罪した。クロードの髪を撫でると、クロードは顔を隠そうとするようにヴィンセントの胸元に顔を押し付ける。

「クロード」
「……すごく、悔しい」

 その言葉通り、口惜しそうな、少し掠れた声だった。
 ヴィンセントはまるで幼子にするように、優しくクロードの背中を撫でる。

「……あなたのことを好きになって、あなたを愛していない男なんかにあなたを渡したくないと思っていたのに、結局クロードとあなたは相思相愛で……僕のあなたが好きという気持ちも僕自身のものではなく、クロードのものだったかもしれなくて……」

 ぽつりぽつりとクロードは吐露した。
 ヴィンセントのシャツを掴んだクロードの手にギュッと力が入る。

「……神様が、あなたと愛し合えるように僕をここに連れてきたと思ったのに、なのに……僕は最初からいらない存在だったんですね……」
「クロード」

 思わず、窘めるような声がでた。
 いらない存在だったはずがない。迷いなく愛を伝えてくれたクロードがいたから、ヴィンセントも嘘偽りなくいまの自分の気持ちをさらけだせたのだ。
 もし、クロードが記憶を失わないまま目覚めていたら、結局ふたりの関係はなにも変わっていなかったのかもしれない。
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