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第5章 手紙
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しおりを挟む黙ったままのヴィンセントをハラハラと見つめていた父は、ヴィンセントがまた怒っているのだと勘違いしたらしい。言い訳のように、再び言葉を連ねはじめる。
「公爵家に嫁いだらお前は危険な目に遭わずに済むし、うちの領地も豊かになる。クロード君はお前と結婚できてうれしいだろうし、みんな幸せになれるいい話だと思ったんだ。なのに、お前がすごく怒るから……」
「……勝手に結婚を決められたら、誰だって怒るでしょう」
「貴族の結婚なんてそんなものだろう。うちは貧乏貴族だからある程度自由にできていただけだぞ」
「それはそうですけど……」
若干開き直りつつある父に呆れながら、ヴィンセントは静かに立ち上がった。
「では、もう聞きたいことは聞けたので、そろそろ帰ります」
「えっ、もう帰るのか? せっかく来たのに、泊まっていかないのか?」
「今日中に帰ると、クロード様に言って出てきておりますので。……父上、俺が言ったことを忘れないでくださいね。援助金を私的利用した場合、今後の援助は打ち切ります。脅しではありません」
「わ、わかってる……」
ごにょごにょと返事をする父に一抹の不安を覚えつつ、ヴィンセントは部屋を後にした。
すると、そこで扉のすぐ隣に立っていたジャスティンと出くわす。ヴィンセントは面食らいつつ、静かに扉を閉じた。
「……聞いてたんですか」
「所々は。お前と父上が殴り合いの喧嘩をはじめたら、俺が止めなきゃいけないだろ?」
「殴り合いなんてしませんよ」
言い返しながら、ヴィンセントはジャスティンと並んで歩きだす。
ジャスティンはなんだか愉快そうだ。
「お前にあれだけキツく言われたら、父上も多少は大人しくなるだろ。なんだかんだで父上は末っ子のお前が一番可愛いんだからな」
「そんなことはないと思いますが」
「お前がそう思わなくてもそうなんだよ。お前が死にかけてたときは、毎日教会で泣きながら神と母上に助けを求めてた」
ヴィンセントは立ち止まり、まじまじとジャスティンを見つめた。いつも通りの無表情からはなにも読み取れないが、冗談を言っているようには見えなかった。
まだ父がいるであろう、亡き母の部屋を振り返る。いまになってまた、母に縋りついて泣く父の弱った姿が思い起こされた。
ジャスティンは苦笑いを浮かべる。
「色々とダメなひとだが、それほど悪人でもない。あの母上が選んだひとだからな」
「…………」
「お前が腹を立てる気持ちもわかるが、そう邪険にしてやるな。良い親とも言い切れんが、俺たちにとってはたったひとりの親だ」
「わかってます」
ヴィンセントは即座にそう言ったものの、父に対しては尚も複雑な気持ちのままだった。
けれども、いまとなっては自身の苛立ちがお門違いなものだったようにも思えてくる。援助金のことはともかく、クロードとの結婚自体はクロード本人が望んだものだったのだ。
ヴィンセントがクロードを不幸にしたと思い込んでいただけで、もしかするとクロードは幸せだったのかもしれない。
それを確認することも、いまはもうできそうにないが。
「本当にもう帰るのか?」
「ええ、クロードが待っているので」
兄夫婦とアリスに簡単な別れの挨拶をしてから、ヴィンセントはミラとともに馬車に乗り込んだ。
すぐに馬車は動き出し、窓の向こうで大きく手を振るアリスの姿が遠ざかっていく。
「……よくよく考えてみれば、クロード様がヴィンセント様との結婚を望んでいなかったなんて、あり得ない話だったのかもしれません」
向かいに腰掛けるミラが静かな声でそう呟いた。
ヴィンセントは窓の外を眺めたまま、どこかぼんやりとその声を聞く。
「いくら命の恩人といえど、王族との婚約を解消してまでヴィンセント様との結婚を公爵家が呑むなんて、普通に考えたらありえませんもの。こういってはなんですが、クレイ伯爵家の要求を無視しても、オルティス公爵家にはなんの痛手もなかったはずです」
「そうだな……」
言い返す言葉もなかった。
ヴィンセントは自分の命を重く見積りすぎていたのかもしれない。もしくは、オルティス公爵家のことを見くびっていたのか。
なぜ、いつ、クロードがヴィンセントにそんな想いを抱くようになったのか……それはヴィンセントにもわからない。
だが、あの手紙を読んでしまった今となっては、クロードの愛を否定することなどできるはずもなかった。
馬車に揺られるヴィンセントは、無性にクロードに会いたくなった。たとえ記憶をなくしてもヴィンセントを愛し続けていた、この世でただひとりのクロード・オルティスに。
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