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第4章 夜会と再会と
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しおりを挟む「あなたたちがいつまでたっても帰ってこないから、私とクラウスは肝が冷えたわ」
「申し訳ありません。月が綺麗だったものですから」
朝食の時間。公爵夫人の苦言に、クロードは飄々とした態度で答えた。それに半ば呆れながら、「申し訳ありませんでした」とヴィンセントも公爵夫妻に向かって謝罪する。
昨夜は結局、帰る間際までクロードとふたり、王城の庭園で抱き合っていた。そろそろ戻った方がいいのではないかとヴィンセントも何度か思ったものの、どうにも言い出せる雰囲気ではなかったのだ。
屋敷に戻ってからもクロードはどこか不安げで、ヴィンセントの傍から離れようとしなかった。眠っているときも強く抱きしめられて、ヴィンセントはなかなか寝付けなかったくらいだ。
だが、朝起きてからは昨夜よりだいぶ落ち着いた様子である。むしろ、若干落ち着きすぎているかもしれない。
公爵夫人はクロードを呆れたような目で見つめてから、小さくため息をつく。
「まあいいわ……キース殿下とロシェル殿下の婚約発表の最中に戻ってこられるよりはマシね」
「ああ、そういえばそんな話もありましたね。それで、あのふたりはいったい誰と結婚することになったのですか?」
その話に関しては、ヴィンセントも大いに興味があった。ヴィンセントとクロードが会場内に戻ったときにはすでに婚約発表は終わったあとだったため、ふたりは王子たちの婚約者が誰なのかいまも知らないままなのだ。
あのキースと、そしてあのロシェルがいったいどこの誰と結婚するのか──ヴィンセントは無表情で朝食に手をつけながら、公爵夫人とクロードの会話に聞き耳をたてる。
「あら、それも知らないの?」
「僕たちが戻った頃には婚約発表は終わっていましたし、そのあとすぐに馬車で屋敷に帰ってきましたので」
「呆れた……そんなことで次期公爵が務まるのかしら……」
公爵夫人の胡乱な視線はクロードだけに向けられていたが、その言葉にはヴィンセントも耳が痛かった。本来であれば、その手の情報収集は貴族の妻の仕事だからだ。
対するクロードは、ケロッとした様子で紅茶を飲んでいる。記憶を失う前のクロードもそうだったが、あまり両親からの叱責や嫌味を気にするタイプではないらしかった。
「それはそれとして、結局おふたりは誰と結婚するのですか?」
「はぁ……、キース殿下とロシェル殿下が結婚するのよ」
「それは知ってますよ。誰と結婚するのかを聞いているのです」
「だから、キース殿下とロシェル殿下が結婚するの。なんだかんだで、王族同士の婚姻は数十年ぶりなんじゃないかしら?」
公爵夫人はさらりと言って、優雅に食後のデザートを口に運んでいる。
ヴィンセントはゆっくりと目を瞬かせてから、意味もなく隣のクロードを見た。すると、クロードもぽかんとした顔をしてヴィンセントと公爵夫人を交互に見ている。
「……あ、あのふたりは兄弟では?」
「従兄弟よ……たぶんね。そういえば言ってなかったかしら? ロシェル殿下は王弟殿下の子どもで、いまの国王陛下の養子なのよ」
それはヴィンセントも知っていたが、記憶を失ったクロードは覚えていなかったらしい。公爵夫人の説明を聞いて、ようやく「なるほど……」と興味深そうな顔をしていた。
王家の権力を分散させないためか、昔は王族同士の近親婚も多かったと聞く。
しかし、数十年ほど前に三親等内での婚姻が国内で禁止されたため、それからは他国の王族や国内の公爵家の人間と婚姻することがほとんどだ。
キースはともかく、ロシェルは他国に輿入れすると思っていたので、あのふたりが結婚するのはヴィンセントも予想外だった。
従兄弟は四親等で、さらに国王陛下と王弟殿下も腹違いの兄弟だったので、血の濃さでいえばさほど問題はないのだろう。「ずっと弟のように思っていたのに……」と頭を抱えていたキースを思い出すと、少し不憫ではあるが。
「お似合いなふたりですね」
本当にそう思っているのかいないのか、クロードは至極満足げな笑みを浮かべる。
元婚約者であるロシェルを見ても、クロードは記憶を取り戻すことはなかった。それどころか、双方冷ややかな態度を崩さなかった気もする。
クロードの記憶が戻らなかったことを、ヴィンセントは残念に思っていた。けれども、そのくせ妙にホッとしている自分もいる。
クレイ伯爵家があそこまで恨まれ、見下されていることを、ヴィンセントは昨夜の夜会で初めて知った。あのクロードが、その悪意からずっとヴィンセントを守ってくれていたことも。
結局、ヴィンセントは以前のクロードのことをなにも知らないのだ。なにも知らないまま、分かたれてしまったから。
「では、行ってまいります」
「お気をつけて」
仕事に行くクロードと公爵を、公爵夫人とともに見送る。ヴィンセントの頬にキスをしてから馬車に乗り込むクロードを、ヴィンセントは紫の瞳で静かに見つめた。
クロードに記憶を取り戻して欲しいと思う気持ちに嘘はない。
ただ、いまのクロードがいなくなってしまうことが、以前のクロードが戻ってこないのと同じくらい怖いのだと、ヴィンセントは気付いてしまっていた。
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