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第4章 夜会と再会と
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しおりを挟むしない、と言った後に『したくない』と言い直した。ということはつまり、キースはとうとう誰かと結婚することが決まったのだろう。
「ご結婚なさるのですね。おめでとうございます」
「……俺がこれだけ苦しんでいるというのに、相変わらず冷たいやつだ……」
「それは失礼致しました」
ヴィンセントは淡々と謝罪する。
しかし、この話題を先に持ち出してきたのはキースの方だ。
クロードのことを思いだしながら、ヴィンセントは穏やかな表情でキースを見下ろす。
「結婚もそう悪いものではないですよ。無論、相手にもよるとは思いますが」
「その相手が問題なんだ! ……いや、問題という言い方は違うのかもしれんが、とにかく俺にとってはありえない相手だ……ずっと弟のように思っていたのに……」
項垂れるキースの横顔は美しかった。
もともと美丈夫ではあるが、普段とかけ離れた憂いを帯びたその顔は、まるで絵画の男神のような美しさを誇っている。
よくよく考えてみれば、このキースが三十を過ぎたいまもなお未婚であるというのがおかしな話だ。
キース王子と結婚したいという声は、国内外を問わず多かった。王位継承権はないが第一王子であることに変わりはなく、しかも見目の良い優秀な騎士なのだ。結婚しようと思えば、いつだって結婚できただろう。
しかし、当のキースはあまり結婚願望がないようで、いつもその類の話を自分から遠ざけていた。酒の席では、『結婚なんて面倒だ』と、はっきり口にしたこともあったくらいだ。
そのキース王子が結婚する。
曰く、ずっと弟のように思っていた存在と。
「いったい誰とご結婚なさるのですか?」
「……言いたくない」
「そうですか」
ヴィンセントも無理に聞くつもりはなかった。尋ねはしたが、どうしても知りたいわけでもない。
……ただ、これまで結婚話から逃げおおせてきたこのキース王子が結婚する相手は誰なのか、純粋に興味はあった。
大国、もしくは関わりの深い近隣国の王族からの申し入れが有力だろうか。いや、いままでもそれはあったはずなのだから、それ以上の相手か──
「……お前の目は、ディアナ様にそっくりだ」
考え事をしている最中ぽつりと呟かれた言葉に、ヴィンセントは再びキースと目を合わせた。
金色の瞳が、ぼうっとヴィンセントを見上げている。
「ディアナ様……王弟殿下の奥方だった方ですね」
麗しのディアナ。傾国だと囁かれることもあった、いまは亡き王弟殿下の妻のことである。
おそらく二十年ほど前だろうか。隣国の王女であった彼女は我が国の王弟殿下の元に嫁いできて、ひとりの男の子を産んだ。ディアナによく似た、愛らしい赤ん坊の誕生である。
……しかし、それから約三年後、ディアナは王弟殿下とともに馬車の事故で亡くなってしまう。殺されたのだと噂する者もいるが、いまだ真相は闇の中だ。
なにかの式典の折、ヴィンセントも何度か彼女を見たことがあった。長い銀色の髪に、宝石のような紫色の瞳。確かに傾国の名に相応しい、絶世の美女だった。
偶然にもヴィンセントの瞳の色は、彼女と同じ紫である。祖母譲りの、この国ではなかなかめずらしい色だ。
とはいえ、あの零れ落ちそうなほど大きな彼女の瞳とヴィンセントの瞳を同じものと捉えるのは、些か不敬のように思えた。キースはそっくりだと言ったが、実際は色が同じなだけでまったくの別物だ。
そのことにはあえて触れず、ヴィンセントは静かにキースへと尋ねる。
「ディアナ様とは親しかったのですか?」
「そういうわけでもない。俺がただ一方的に見惚れていただけだ」
「なるほど。淡い初恋というやつですね」
ヴィンセントの気安い返しに、キースはククッと喉で笑う。
「初恋か。確かにそうかもな……」
金色の目が少し寂しげに遠くを眺める。
そして、キースは雲に覆われた星のない夜空を見上げ、「……どこか遠くに行きたい」と、疲れ切った声で呟いた。
こんなにも気落ちしたキースを見るのは、付き合いの長かったヴィンセントも初めてだ。どうやら相当参ってしまっているらしい。
「殿下……」
「お前があの男を愛していないと言ってくれたら、一緒に逃げようと言えたのに」
本心なのか、冗談なのか。どこかぼんやりしたキースの表情からは読み取れなかった。
長い足を組んで、キースはぽつりぽつりと言葉を続ける。
「騎士に戻りたいお前と、騎士でいたい俺となら、他国に行ってもうまくやれると思ったんだがな……」
そういう問題ではないし、そんなはずもないでしょう……という言葉は飲み込んで、ヴィンセントは諭すように柔らかな声をかける。
「……現実的ではありませんね。殿下はご結婚のことでナーバスになっておられるのでしょう。一度、お相手の方とよく話し合ってみては……」
「何度も何度も話し合って嫌だと言っている! だが、父上と母上は自分の発言には責任を待てと言うばかりで、俺の意見を聞いてはくれない……それに、ロシェ──」
「兄上」
涼しげなその声が響いた瞬間、キースの体がビクッと大きく跳ねた。
ヴィンセントが弾かれたように背後を振り返ると、ひとりの青年がふたりから数歩離れたところに静かに立っている。
元騎士である自分がその気配に気付けなかったことにヴィンセントは驚いた。だが、その青年の姿を目にしてしまえば、それどころではなくなる。
ヴィンセントは素早く礼を取り、深く頭を垂れた。
肩に流された長い銀糸のような美しい銀髪に、長いまつ毛に縁取られた海のように青い瞳。
クロードの元婚約者──ロシェル第四王子そのひとだった。
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