45 / 119
第4章 夜会と再会と
45
しおりを挟むヴィンセントの唇の端が引きつり、歪な笑みが浮かぶ。
「……死んだと思えということか? あの方はまだ生きているのに。ただ記憶を失ったというだけで」
「そんなことは言っておりません」
「記憶が戻らなくてもいいというのは、そういうことだろう。……主に向かってよくもそんな恐ろしいことが言えるな」
無性にイライラとした。
しかし、ミラはいっさい取り乱す様子もなく、静かにヴィンセントを見ている。まるで、ヴィンセントを憐れんでいるかのような瞳で。
「……ヴィンセント様は、クロード様を愛しておられるのでしょう? いまのクロード様のことも、以前のクロード様のことも」
否定も肯定もしなかった。いや、できなかったのだろうか。
いまのクロードを愛しているのか、それとも愛していないのか、ヴィンセントの中でもいまだに答えは出ていなかった。
ミラは目を伏せながら言う。
「前のクロード様を忘れろということではありません。ただ、いまは現在のクロード様のことだけを考えてもよいのではないでしょうか? ……そうでなければ、いまのクロード様があまりにも不憫です」
「……言いたいことはそれだけか」
「はい」
「出て行け。当分は顔も見たくない」
「承知いたしました。今日は別の者と仕事を代わってもらいます」
ミラは優雅に礼をして、そのまま無言で部屋を出て行った。
残されたヴィンセントは、苛立ちと自己嫌悪に奥歯を強く噛む。
ヴィンセントの独り言にミラはただ答えてくれただけなのだと、頭ではわかっていた。
だが、ヴィンセントはどうしてもミラの先ほどの発言を許すことができなかったのだ。
クロードの記憶が戻らなくていいはずがない。
それは即ち、ヴィンセントが愛したクロード・オルティスの死を意味することだ。
以前のクロードを裏切っているような気持ちになろうが、それはどうでもよかった。ヴィンセントは貞淑な妻を気取りたいわけではない。
ただ、ヴィンセントはどうしても忘れられないのだ。気難しくて、怒りっぽくて、なにを考えていたのかもわからなかったあの青年が。
それに、もし自分が彼を忘れてしまったら、彼の存在そのものがこの世から消えてしまうような気がして、ヴィンセントはそれがどうしようもなく怖かった。
「ミラさんと喧嘩したんですか?」
夜、ヴィンセントの元にやってきたクロードは開口一番にそう尋ねてきた。
ヴィンセントは苦い表情をして、淡々と答える。
「喧嘩というほどでは……いえ、そうですね。たぶん、喧嘩です」
幼い頃から家族のように傍にいたが、彼女にあそこまで強い口調でなにかを言ったのは、今回がはじめてかもしれない。
明日からどんな顔をすればいいのか──……そんなことを考えていると、クロードがくすくすと小さく笑った。
ヴィンセントがその顔を見つめると、青い瞳が至極満足げに細められる。
「それはいい。これからもずっと喧嘩していてください。あなたたちは距離が近すぎる」
「そんなことは……」
ない、とヴィンセントが続ける前に、クロードはすたすたとベッドの方へ行ってしまった。
ベッドの縁に腰掛けると、クロードは長い足を組んで静かにヴィンセントを見やる。
「……あなたたちが寄り添っている姿を見ると、たまにすごくモヤモヤするんです。ミラさんがまるで、あなたの妻のように見えて……」
『あの女、まるでお前の女房気取りだな』
ぴくり、とヴィンセントの指先が小さく跳ねた。
記憶を失う前のクロードも、ミラのことをあまり快くは思っていなかった。
優秀な侍女だと認めてはおり、ヴィンセントから彼女を引き離すような真似はしなかったが、なにかの折に『女房気取り』だと、そんなことを言われた記憶はある。
それに対して、小さい頃から一緒にいたからだとヴィンセントが説明すると、クロードはなおさら不愉快そうな顔をして『もういい。あの女の話は聞きたくない』と、そっぽを向いたのだ。
「…………」
「ヴィンセントさん?」
「……いえ、なんでもありません」
ヴィンセントはゆっくりとクロードに近づき、自身もベッドの縁に腰掛けた。
隣の美しいクロードの横顔をじっと見つめる。
視線が交わると、クロードは照れたように笑って、ヴィンセントの唇にキスをした。
以前のクロードを忘れられないと言いながらも、いまのクロードに抱かれることに戸惑いはない。
そんな自分を、卑怯だとも、愚かだとも思う。
それでも、ヴィンセントはこの青年を拒めない。いや、拒みたくないだけなのだろうか。
クロードからの熱い口付けを受け止めながら、ヴィンセントはゆっくりと瞼を落とした。
78
お気に入りに追加
1,936
あなたにおすすめの小説
キミと2回目の恋をしよう
なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。
彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。
彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。
「どこかに旅行だったの?」
傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。
彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。
彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが…
彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?
記憶喪失の君と…
R(アール)
BL
陽は湊と恋人だった。
ひねくれて誰からも愛されないような陽を湊だけが可愛いと、好きだと言ってくれた。
順風満帆な生活を送っているなか、湊が記憶喪失になり、陽のことだけを忘れてしまって…!
ハッピーエンド保証
リセット
爺誤
BL
オメガの健吾が見知らぬアルファに犯されて、妊娠して死にかけて記憶喪失になって、見知らぬアルファが実は好きだった人だったのだが忘れている。記憶喪失のままで新たに関係を築いていく話。最終的には記憶を取り戻して平穏な生活をしていたある日、番のアルファが運命の番に出会うが、運命を断ち切って健吾を選ぶ。
・オメガバースの設定をお借りしています
男性(Ω)妊娠、記憶喪失、運命の番(当て馬)。
ムーンライトノベルズにも掲載しています
悪役令息物語~呪われた悪役令息は、追放先でスパダリたちに愛欲を注がれる~
トモモト ヨシユキ
BL
魔法を使い魔力が少なくなると発情しちゃう呪いをかけられた僕は、聖者を誘惑した罪で婚約破棄されたうえ辺境へ追放される。
しかし、もと婚約者である王女の企みによって山賊に襲われる。
貞操の危機を救ってくれたのは、若き辺境伯だった。
虚弱体質の呪われた深窓の令息をめぐり対立する聖者と辺境伯。
そこに呪いをかけた邪神も加わり恋の鞘当てが繰り広げられる?
エブリスタにも掲載しています。
初夜の翌朝失踪する受けの話
春野ひより
BL
家の事情で8歳年上の男と結婚することになった直巳。婚約者の恵はカッコいいうえに優しくて直巳は彼に恋をしている。けれど彼には別に好きな人がいて…?
タイトル通り初夜の翌朝攻めの前から姿を消して、案の定攻めに連れ戻される話。
歳上穏やか執着攻め×頑固な健気受け
【完結】キミの記憶が戻るまで
ゆあ
BL
付き合って2年、新店オープンの準備が終われば一緒に住もうって約束していた彼が、階段から転落したと連絡を受けた
慌てて戻って来て、病院に駆け付けたものの、彼から言われたのは「あの、どなた様ですか?」という他人行儀な言葉で…
しかも、彼の恋人は自分ではない知らない可愛い人だと言われてしまい…
※side-朝陽とside-琥太郎はどちらから読んで頂いても大丈夫です。
朝陽-1→琥太郎-1→朝陽-2
朝陽-1→2→3
など、お好きに読んでください。
おすすめは相互に読む方です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる