遠のくほどに、愛を知る

リツカ

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第4章 夜会と再会と

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 ヴィンセントの唇の端が引きつり、歪な笑みが浮かぶ。

「……死んだと思えということか? あの方はまだ生きているのに。ただ記憶を失ったというだけで」
「そんなことは言っておりません」
「記憶が戻らなくてもいいというのは、そういうことだろう。……主に向かってよくもそんな恐ろしいことが言えるな」

 無性にイライラとした。
 しかし、ミラはいっさい取り乱す様子もなく、静かにヴィンセントを見ている。まるで、ヴィンセントを憐れんでいるかのような瞳で。

「……ヴィンセント様は、クロード様を愛しておられるのでしょう? いまのクロード様のことも、以前のクロード様のことも」

 否定も肯定もしなかった。いや、できなかったのだろうか。
 いまのクロードを愛しているのか、それとも愛していないのか、ヴィンセントの中でもいまだに答えは出ていなかった。

 ミラは目を伏せながら言う。

「前のクロード様を忘れろということではありません。ただ、いまは現在のクロード様のことだけを考えてもよいのではないでしょうか? ……そうでなければ、いまのクロード様があまりにも不憫です」
「……言いたいことはそれだけか」
「はい」
「出て行け。当分は顔も見たくない」
「承知いたしました。今日は別の者と仕事を代わってもらいます」

 ミラは優雅に礼をして、そのまま無言で部屋を出て行った。
 残されたヴィンセントは、苛立ちと自己嫌悪に奥歯を強く噛む。

 ヴィンセントの独り言にミラはただ答えてくれただけなのだと、頭ではわかっていた。
 だが、ヴィンセントはどうしてもミラの先ほどの発言を許すことができなかったのだ。

 クロードの記憶が戻らなくていいはずがない。
 それは即ち、ヴィンセントが愛したクロード・オルティスの死を意味することだ。

 以前のクロードを裏切っているような気持ちになろうが、それはどうでもよかった。ヴィンセントは貞淑な妻を気取りたいわけではない。

 ただ、ヴィンセントはどうしても忘れられないのだ。気難しくて、怒りっぽくて、なにを考えていたのかもわからなかったあの青年が。

 それに、もし自分が彼を忘れてしまったら、彼の存在そのものがこの世から消えてしまうような気がして、ヴィンセントはそれがどうしようもなく怖かった。






「ミラさんと喧嘩したんですか?」

 夜、ヴィンセントの元にやってきたクロードは開口一番にそう尋ねてきた。
 ヴィンセントは苦い表情をして、淡々と答える。

「喧嘩というほどでは……いえ、そうですね。たぶん、喧嘩です」

 幼い頃から家族のように傍にいたが、彼女にあそこまで強い口調でなにかを言ったのは、今回がはじめてかもしれない。
 明日からどんな顔をすればいいのか──……そんなことを考えていると、クロードがくすくすと小さく笑った。
 ヴィンセントがその顔を見つめると、青い瞳が至極満足げに細められる。

「それはいい。これからもずっと喧嘩していてください。あなたたちは距離が近すぎる」
「そんなことは……」

 ない、とヴィンセントが続ける前に、クロードはすたすたとベッドの方へ行ってしまった。
 ベッドの縁に腰掛けると、クロードは長い足を組んで静かにヴィンセントを見やる。

「……あなたたちが寄り添っている姿を見ると、たまにすごくモヤモヤするんです。ミラさんがまるで、あなたの妻のように見えて……」

『あの女、まるでお前の女房気取りだな』

 ぴくり、とヴィンセントの指先が小さく跳ねた。

 記憶を失う前のクロードも、ミラのことをあまり快くは思っていなかった。
 優秀な侍女だと認めてはおり、ヴィンセントから彼女を引き離すような真似はしなかったが、なにかの折に『女房気取り』だと、そんなことを言われた記憶はある。

 それに対して、小さい頃から一緒にいたからだとヴィンセントが説明すると、クロードはなおさら不愉快そうな顔をして『もういい。あの女の話は聞きたくない』と、そっぽを向いたのだ。

「…………」
「ヴィンセントさん?」
「……いえ、なんでもありません」

 ヴィンセントはゆっくりとクロードに近づき、自身もベッドの縁に腰掛けた。
 隣の美しいクロードの横顔をじっと見つめる。
 視線が交わると、クロードは照れたように笑って、ヴィンセントの唇にキスをした。

 以前のクロードを忘れられないと言いながらも、いまのクロードに抱かれることに戸惑いはない。
 そんな自分を、卑怯だとも、愚かだとも思う。
 それでも、ヴィンセントはこの青年を拒めない。いや、拒みたくないだけなのだろうか。

 クロードからの熱い口付けを受け止めながら、ヴィンセントはゆっくりと瞼を落とした。
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