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第4章 夜会と再会と
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しおりを挟む「なにか支度をすることがありましたか?」
クロードが部屋から出て行き、入れ替わりで部屋の外に待機していたミラが室内へと入ってきた。
彼女の問いには答えず、ヴィンセントはソファに腰を下ろす。
「コーヒーを」
「はい」
ミラは手慣れた動きですぐにコーヒーを淹れてくれた。
それを飲みながら、ヴィンセントはほっと一息つく。
三日後の夜会に向けて、いまさら支度しなければならないことなどない。服も、身に付けるものも、すべて準備は終えていた。
出来ていないのは心の準備だけ……だなんてヴィンセントが口にしたら、あのクロードでさえ怒りだすのだろうか。
ヴィンセントがコーヒーを半分ほど飲み干したあたりで、ソファの横に立ったミラが穏やかな表情でヴィンセントを見下ろす。
「緊張していらっしゃるのですか?」
「……なんのことだ?」
「もちろん、三日後の夜会のことです。……緊張するなというのが無理な話ですよね。クロード様が記憶を失ってはじめての夜会ですもの。それも、王家主催の」
気遣わしげに声をかけられ、幼い頃から傍にいた彼女にはなにもかも筒抜けなのだな、とヴィンセントは苦笑いをした。
「そうだな。確かに緊張している。なにより、あまり楽しみな気分でもない。……いや、それはいままでの夜会も同じことか」
クロードと公爵夫妻はヴィンセントに社交を求めなかったが、王家が執り行う催し事に関しては、ヴィンセントもクロードの妻として参加せざるを得なかった。
他の貴族たちに表立ってなにかを言われたことは一度もない。ただ、ヴィンセントに注がれるその好奇の視線は、いつもヴィンセントを蔑み、見下していた。
しかし、そんなことはどうでもいいのだ。
クロードが記憶を失って以降、初めての夜会。その場でなにが起こるのか──ただそれだけが、ヴィンセントは気掛かりだった。
王家主催の夜会には、おそらく……否、当然クロードの元婚約者も参加するだろう。
元婚約者のことに関してクロードはあまり興味がなさそうだったが、実際彼を目の前にしたら、クロードも平静ではいられないのではないだろうか。
彼と顔を合わせることで、彼にクロードを奪われてしまうのではないかと不安を覚える自分と、それがきっかけでクロードが記憶を取り戻してくれるのではないかと期待する自分が、ヴィンセントの中にいる。
相反する身勝手で愚かな感情だ。
最近では、自分がどうするべきなのか、どうしたいのか、考えても答えが出ない。
クロードに記憶を取り戻してほしいと思っているくせに、ヴィンセントを愛してくれるいまのクロードが無性に愛おしかった。屋敷の皆がいまのクロードを『坊ちゃん』だと認める姿を見ると、ホッとしながらも胸がモヤモヤとした。
そんなヴィンセントに気付いているからこそ、クロードは過去のクロードにひどく嫉妬してしまうのかもしれない。
ヴィンセントは再びコーヒーに口をつけ、ぼんやりと宙を眺めた。
「俺はどうしたいんだろうな」
ぽつりと呟いた声は、やけに物悲しく響いた。
いまのクロードを突き放すことなどできるはずもなく、けれど過去のクロードを忘れることもできず未練がましく縋り付いている。
過去のクロードは、いまのクロードのようにヴィンセントを愛しているわけでもなかった。
それでも、クロードを愛していたのだと気付かされたときのあの胸をかき回されるような絶望が、いまもヴィンセントの中で生き続けている。
「……私には、いまのクロード様と一緒に過ごされるヴィンセント様が、昔よりもずっと幸せそうに見えます。私以外の他の使用人たちも、皆同じ気持ちではないかと」
「そうか……そうだな。しかし……」
「以前のクロード様を裏切っているようでお辛いのはわかります。でも、もう半年です」
ミラの声は柔らかく、けれどもその声が紡ぐ言葉は突き刺すような鋭さを持ち合わせていた。
はしばみ色の瞳が、まっすぐにヴィンセントを見つめる。
「クロード様の記憶は、もう元には戻らないのかもしれません。けれど、私はそれでもいいのではないかと思うのです。だって、いまのクロード様はあんなにもヴィンセント様のことを──」
「……やめてくれ」
ヴィンセントの唇から苦々しい声が漏れた。
前髪をかきあげ、そのまま髪をかき乱す。
姉のような、母のような、実家からただひとりヴィンセントについて来てくれた絶対的な味方であったはずの存在が、いまはどうしようもないほど憎らしく思えた。
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