遠のくほどに、愛を知る

リツカ

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第1章 お茶会と悲劇と

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 窓の外の陽が沈みかけているのに気付き、ヴィンセントは握っていたクロードの手をそっとベッドの上に戻す。
 そして、ゆっくりとその手を離した瞬間──ぴくりとクロードの右手の中指が動いた。見間違えかとも思ったが、またすぐに他の指も微かに動く。

「……クロード様?」

 呆然とするヴィンセントが名前を呼ぶと、ぎゅっとクロードの眉間に皺が寄った。
 ヴィンセントは目を見開き、もう一度その手を握りしめた。そして、大きな声で何度もクロードの名前を呼ぶ。

「クロード様! クロードッ!」

 医者を!執事長を呼んで!などと背後が騒がしかったが、そんなことはどうでもよかった。
 ヴィンセントは藁にもすがるような気持ちで、繰り返しクロードの名前を呼び続けた。

 それから数秒後──金色の長いまつ毛がふるりと震え、閉じられた瞼からゆっくりと青い宝石のような瞳が現れた。
 しかし、その姿はすぐに涙で歪む。
 ヴィンセントは泣きながら、それでも笑って「良かった」と呟いた。

 クロードが目を覚ました。
 理解した途端、ヴィンセントの体から力が抜けていく。
 嬉しくてたまらなかった。いるのかいないのかもわからない神にすら感謝した。

 そうこうしているうちに、周りにどんどん人が集まってくる。クロードが幼い頃から仕えている使用人たちも皆、泣いたり笑ったりと忙しない。

「クロード様、本当によかった……」

 涙を拭い、ヴィンセントはクロードに微笑みかけた。
 状況がわかっていないのか、クロードは困惑したように辺りに視線を漂わせている。

 そして、ヒュッと息を吸い込む音が聞こえるのと同時に、クロードはゴホゴホと激しく咳き込みはじめた。
 その背中を撫でさすりながら、ヴィンセントは優しく声をかける。

「無理はしないでください。二週間ずっと寝たきりだったんですから。声も出にくいでしょう」

 ヴィンセントの言葉に、クロードはいっそう戸惑ったような表情を浮かべた。迷子になった幼な子を思わせる、不安げで、途方に暮れたような表情だ。

「クロード様……?」

 なぜだか、妙な胸騒ぎがする。
 ヴィンセントが前のめりになってクロードの顔を覗き込もうとすると、クロードはびくりと仰け反った。
 そして、クロードはようやく口を開く。

「あ、の……」

 その声はひどく掠れて小さかったが、確かにクロードの声だった。
 青い瞳が、落ち着きなく辺りを漂う。

「……こ、ここは、どこでしょうか……?」
「…………クロード様?」

 いつもと様子の違うクロードに、その言葉に、部屋の中が静まり返る。
 ヴィンセントが愕然としている間に、クロードはおずおずとヴィンセントを見上げた。いつも真っ直ぐにヴィンセントを射抜いたあの青い瞳が、いまは怯えをにじませながらヴィンセントを見ている。

「あなたは、いったい誰ですか……?」

 ヴィンセントはそのときはじめて絶望を知った気がした。

 ああ、やはり神などこの世界には存在しなかったのだ──イリスの樹に祈り続けたヴィンセントを、他でもないヴィンセント自身が嘲笑っていた。

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