遠のくほどに、愛を知る

リツカ

文字の大きさ
上 下
9 / 119
第1章 お茶会と悲劇と

9

しおりを挟む

「うれしかったのではないでしょうか。そもそも、ヴィンセント様が思っているほど、クロード様はヴィンセント様のことを煩わしく思っていないように私には見えます」

 ヴィンセントの独り言に、ミラは諭すような柔らかな声で答えてくれた。
 立ったままのミラを見上げ、ヴィンセントは戸惑った表情を浮かべる。

「あんな形で結婚したのに?」
「政略結婚でも、仲のいいご夫婦はたくさんいらっしゃるじゃないですか。それに、一年も共にいれば情も湧きます。ヴィンセント様だってそうではありませんか?」
「それはそうだが……」

 しかし、ヴィンセントとクロードでは何もかもが違う。
 確かにヴィンセントにとってクロードは申し分のない夫ではあるが、逆にクロードにとってヴィンセントはそれほど良い妻ではない。それこそ、前の婚約者の方がすべてに置いてヴィンセントよりも優れていたはずだ。

 ハァ、とため息を吐いたヴィンセントに向かって、ミラは小さく苦笑していた。そして、穏やかな声で再び諭すように言う。

「とにかく、クロード様が戻られたら、もう一度よくお話になられたほうが良いかと私は思います」
「……そうだな」

 ミラが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、ヴィンセントはぼんやりと窓の外を眺める。

 まず、謝罪をして、誤解を解こう。
 そして、クロードの話を聞いて、ヴィンセントも自分の思いを伝えて、それで、それで本当にうまくいくのだろうか──……

 ヴィンセントは遠い目をした。
 空はクロードの瞳のように青々と美しいのに、いまいちヴィンセントの心は晴れない。

 クロードがもっと嫌な男ならよかった。
 そうしたら、ヴィンセントも罪悪感に苛まれることなく、怠惰な日々を甘受できただろう。

 しかし、クロードは優しかった。ヴィンセントなんかよりもよっぽど善人だった。
 おそらく完璧ではない。だが、ヴィンセントにとって過ぎた夫であることは確かだ。

 そんなことを考えていると、窓の外から微かな騒めきが聞こえてきた。悲鳴の入り混じったそれはどんどん大きくなり、屋敷の中へと広がっていく。

「なんだ……?」

 ヴィンセントが立ち上がったのと同時に素早く扉がノックされ、返事を待たずにひとりのメイドが部屋の中へと飛び込んでくる。

「ヴィ、ヴィンセント様、ク、ク、クロード様がっ、馬で……っ」

 まだ十代のその若いメイドは、青褪めた表情でヴィンセントに何かを伝えようとするが、狼狽しすぎてうまく言葉にならないようだった。

「落ち着いて」
「は、はい……」

 ミラがメイドの背をさすると、ようやく少し落ち着いたらしいメイドは大きく息を吸い込んだあと、震える声で言葉を紡ぐ。

「ク、クロード様が落馬されて、いま意識がない状態です……」

 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 頭の中が真っ白になって、腰から下の力が抜けそうになる。

 落馬?
 意識がない?

 夢で見た、青白い月明かりに照らされたクロードの姿を思い出す。ホッとしたような、柔らかな笑みも。

「ヴィンセント様ッ!」

 ミラの静止の声も聞かず、ヴィンセントは部屋を飛び出した。どこに行けばいいのかもわからず、すれ違う使用人たちの声も無視して、ただ走る。
 そして、玄関ホールに運び込まれたばかりらしきクロードを見つけて、担架にぐったりと横たわるその姿にヴィンセントは言葉を失った。

 血の気を失ったその青白い顔は、先ほどの夢で見た、月明かりに照らされたクロードに少し似ている。
 駆け寄ったヴィンセントは膝から崩れ落ちるようにクロードの傍に座り込み、クロードが自室に運ばれるまでの間、じっとその隣に寄り添っていた。

 ヴィンセントはただ、クロードの青い瞳を覆い隠した瞼が開くことを無心で祈っていた。
 だが、その日も、その次の日も、クロードが目を覚ますことはなかった。

しおりを挟む
感想 61

あなたにおすすめの小説

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

だから聖女はいなくなった

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
「聖女ラティアーナよ。君との婚約を破棄することをここに宣言する」 レオンクル王国の王太子であるキンバリーが婚約破棄を告げた相手は聖女ラティアーナである。 彼女はその婚約破棄を黙って受け入れた。さらに彼女は、新たにキンバリーと婚約したアイニスに聖女の証である首飾りを手渡すと姿を消した。 だが、ラティアーナがいなくなってから彼女のありがたみに気づいたキンバリーだが、すでにその姿はどこにもない。 キンバリーの弟であるサディアスが、兄のためにもラティアーナを探し始める。だが、彼女を探していくうちに、なぜ彼女がキンバリーとの婚約破棄を受け入れ、聖女という地位を退いたのかの理由を知る――。 ※7万字程度の中編です。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……? ※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

愛する人

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
「ああ、もう限界だ......なんでこんなことに!!」 応接室の隙間から、頭を抱える夫、ルドルフの姿が見えた。リオンの帰りが遅いことを知っていたから気が緩み、屋敷で愚痴を溢してしまったのだろう。 三年前、ルドルフの家からの申し出により、リオンは彼と政略的な婚姻関係を結んだ。けれどルドルフには愛する男性がいたのだ。 『限界』という言葉に悩んだリオンはやがてひとつの決断をする。

【完結】『ルカ』

瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。 倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。 クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。 そんなある日、クロを知る青年が現れ……? 貴族の青年×記憶喪失の青年です。 ※自サイトでも掲載しています。 2021年6月28日 本編完結

処理中です...