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第1章 お茶会と悲劇と
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しおりを挟む「ヴィンセント」
名を呼ばれて顔を上げると、少し離れたところにクロードが立っていた。月明かりに照らされた金髪はどこか青白く、神秘的な美しさを放っている。
クロードは何を考えているのか分からない無表情で、じっとヴィンセントを見つめていた。
それに対し、ヴィンセントも何も言わず、静かにクロードを見つめ返す。
数秒か、数十秒か──とにかく少しの間見つめ合ったあと、ようやくクロードはゆっくりと口を開いた。
「俺を恨んでいるのか?」
「まさか。そんなふうに思ったことは一度もありません」
「本当か?」
「はい」
ヴィンセントが深く頷くと、クロードはホッとしたように微笑んだ。目を覚ましたヴィンセントの見舞いに来てくれたあのときの、穏やかでまぶしい笑顔だった。
鳥の羽ばたきの音で、ヴィンセントは目を覚ました。ソファに横になっているうちに、そのまま寝てしまっていたらしい。
ふと窓の外を見ると、白い鳩が悠々と空を飛んでいて、その姿は次第に遠ざかっていく。それをしばらく眺めてから、ヴィンセントは部屋の端に控えていたミラに声をかけた。
「クロード様は?」
「少し馬で外を走ってくると。まだ戻られておりません」
「そうか……」
ヴィンセントは体を起こし、ソファに座り直す。
そうして考えるのは、やはりクロードのことだった。
『俺から逃げ出したくて仕方ないんだろう。騎士を辞めさせた俺をずっと恨んでいるんだろう。お前が俺の子を産みたくないから、たった一年で妾を取れなんてふざけたことを言い出したんだ』
よくわからないことばかり言っていたが、クロードはおそらく怒っていたし、傷付いてもいた。
しかし、どれも検討外れな内容である。
もともと思い込みや深読みが激しい人だとは薄々感じてはいたが、まさかあんなことを思っているなんて想像もしていなかった。
ヴィンセントは小さくため息を吐いて、自身の黒髪を掻き乱す。
そもそも、ふたりの結婚生活は良好とは言い難かった。毎日喧嘩をしたり、お互いを空気として扱っているわけではないが、それでも噛み合わないというか、顔を合わせるとどちらもぎこちない態度を取ることが多かったのだ。
だからこそ、ヴィンセントは第二夫人の話を持ちかけた。ヴィンセントの存在に辟易しているであろうクロードなら喜んでくれると、ヴィンセントは本気で思っていたのだ。
しかし、結果としてクロードは喜んではくれなかった。それどころか、未だかつてないほど傷付けてしまったのかもしれない。
「……ミラ、俺がクロード様を自室に招いたのは今日が初めてだったか?」
「はい」
「やっぱりそうだよな……」
決まりが悪そうな顔をして、ヴィンセントはソファの背もたれに寄りかかる。
『……お前は、俺が、どんな気持ちで今日この部屋に来たかわかるか? 結婚して、一年たって、やっと……はじめて妻の部屋に招かれて、お前が俺のために紅茶を淹れてくれて……子どもの話をしだしたかと思ったら、最終的には妾の話だ。しかも、自分は離れに移るなんて馬鹿げたことまで言いだした』
クロードの言葉を思い返しながら、ヴィンセントはぽつりと独りごちた。
「……クロード様は、俺に茶を振る舞われてうれしかったんだろうか」
はっきりとそう言われたわけではない。だが、ヴィンセントの耳には、なんとなくそういうふうに聞こえた。
それに、第二夫人の話と、ヴィンセントが離れに移る話は、どうやらかなり不快だったらしい。
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