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第1章 お茶会と悲劇と
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ヴィンセントが意を決して発した声は、図らずもクロードの言葉を遮ってしまった。
しかし、そんなことを気に留めている気持ちの余裕はない。ヴィンセントは畳み掛けるように言葉を続ける。
「貴族社会ではそうめずらしいことでもないですし、反対する者はいないと思います。第二夫人であっても、クロード様の妻になりたいというご令嬢やご子息は山ほど居るかと。もし、俺の存在が厭わしければ、俺は離れの方に移動して、この部屋を新しい奥方に──」
ガシャンッ、と陶器のぶつかりあう甲高い音が室内に響いた。
思わず口を噤んだヴィンセントは、音の出どころであるクロードの手元を唖然と見つめる。
手に持っていたティーカップを、クロードがソーサーに叩きつけるように置いたのだ。
その勢いで紅茶が跳ね、ソーサーやテーブルだけでなく、クロードの手にも紅茶がかかってしまっていた。
淹れたばかりの紅茶はまだ熱いはずだ。
わけがわからないまま、それでもとっさに席を立ったヴィンセントは上着のポケットからハンカチを取りだし、クロードの手を取ろうとした。
けれども、ヴィンセントが伸ばしたその手は、クロード本人によって冷たく振り払われてしまう。
「クロード様、手に紅茶が……」
「だからどうした」
憎々しげな低い声だった。
ヴィンセントがハッと顔を上げると、怒鳴りつけたいのを必死に堪えているかのような表情で、クロードがヴィンセントを睨んでいた。
怒りに震える唇が、噛み締めるようにゆっくりと言葉を吐き捨てる。
「俺に妾を勧めた口で、どうして火傷の心配なんてするんだ? 俺のことなんて、本当はどうでもいいくせに。……いや、そういえばお前はもともとそういう男だったな。どうでもいい相手でも、命がけで助けられるんだ。だから、俺のことを愛していなくても心配はするんだな。誰にでも、善人だから」
美しい顔を歪め、クロードはくつくつと小さな笑い声をもらした。
そして、怒りと悲しみと自嘲が混じり合ったその青い瞳が、射抜くような鋭さをもってヴィンセントを睨みつける。
「俺から逃げ出したくて仕方ないんだろう。騎士を辞めさせた俺をずっと恨んでいるんだろう。お前が俺の子を産みたくないから、たった一年で妾を取れだなんてふざけたことを言い出したんだ」
矢継ぎ早に告げられた心当たりのない言葉に面食らいつつ、ヴィンセントはもう一度クロードに向かって手を伸ばした。
「そんなことは……とにかく手を拭いて、一度冷やしましょう」
「触るなッ!」
伸ばした手を振り払われた瞬間、ぱちんと可愛らしい音が鳴った。同時に、ヴィンセントの手の甲が、じんと痺れるように微かに痛む。
すると、なぜだかクロードの方が驚いたような、傷付いたような顔をして、自身の手とヴィンセントの手の甲を呆然と見つめていた。
「あ……」
「大丈夫です。痛みはありません」
本当に大して痛くもなかった。むしろ、火傷をしているかもしれない手で振り払ったクロードのほうが痛かったのではないだろうか。
ヴィンセントはクロードが呆然としている隙にその手首を取り、紅茶で濡れた手をそっとハンカチで拭う。多少痛みはあるかもしれないが、特に赤く腫れている様子もないことにヴィンセントは安堵した。
一方、クロードも少しは怒りが収まったのか、ヴィンセントにされるがまま、無言で大人しくしていてくれた。
「大丈夫だとは思いますが、一応冷やしておきましょうか。ミラを呼びます」
「……いい。もう部屋に戻る」
「わかりました」
見送るため、とぼとぼとした足取りで扉に向かうクロードの後ろを、ヴィンセントはゆっくりと歩く。
そして、扉の前にたどり着いたクロードはヴィンセントを振り返り、らしくないほどしょんぼりとした様子で俯いた。
「……叩いて、すまなかった」
「クロード様が謝る必要はありません。手が偶然当たっただけです」
沈黙が落ちる。
言いたいことも聞きたいこともヴィンセントには山ほどあったが、どれから伝えればいいのかわからなかった。
しかし、そんなことを気に留めている気持ちの余裕はない。ヴィンセントは畳み掛けるように言葉を続ける。
「貴族社会ではそうめずらしいことでもないですし、反対する者はいないと思います。第二夫人であっても、クロード様の妻になりたいというご令嬢やご子息は山ほど居るかと。もし、俺の存在が厭わしければ、俺は離れの方に移動して、この部屋を新しい奥方に──」
ガシャンッ、と陶器のぶつかりあう甲高い音が室内に響いた。
思わず口を噤んだヴィンセントは、音の出どころであるクロードの手元を唖然と見つめる。
手に持っていたティーカップを、クロードがソーサーに叩きつけるように置いたのだ。
その勢いで紅茶が跳ね、ソーサーやテーブルだけでなく、クロードの手にも紅茶がかかってしまっていた。
淹れたばかりの紅茶はまだ熱いはずだ。
わけがわからないまま、それでもとっさに席を立ったヴィンセントは上着のポケットからハンカチを取りだし、クロードの手を取ろうとした。
けれども、ヴィンセントが伸ばしたその手は、クロード本人によって冷たく振り払われてしまう。
「クロード様、手に紅茶が……」
「だからどうした」
憎々しげな低い声だった。
ヴィンセントがハッと顔を上げると、怒鳴りつけたいのを必死に堪えているかのような表情で、クロードがヴィンセントを睨んでいた。
怒りに震える唇が、噛み締めるようにゆっくりと言葉を吐き捨てる。
「俺に妾を勧めた口で、どうして火傷の心配なんてするんだ? 俺のことなんて、本当はどうでもいいくせに。……いや、そういえばお前はもともとそういう男だったな。どうでもいい相手でも、命がけで助けられるんだ。だから、俺のことを愛していなくても心配はするんだな。誰にでも、善人だから」
美しい顔を歪め、クロードはくつくつと小さな笑い声をもらした。
そして、怒りと悲しみと自嘲が混じり合ったその青い瞳が、射抜くような鋭さをもってヴィンセントを睨みつける。
「俺から逃げ出したくて仕方ないんだろう。騎士を辞めさせた俺をずっと恨んでいるんだろう。お前が俺の子を産みたくないから、たった一年で妾を取れだなんてふざけたことを言い出したんだ」
矢継ぎ早に告げられた心当たりのない言葉に面食らいつつ、ヴィンセントはもう一度クロードに向かって手を伸ばした。
「そんなことは……とにかく手を拭いて、一度冷やしましょう」
「触るなッ!」
伸ばした手を振り払われた瞬間、ぱちんと可愛らしい音が鳴った。同時に、ヴィンセントの手の甲が、じんと痺れるように微かに痛む。
すると、なぜだかクロードの方が驚いたような、傷付いたような顔をして、自身の手とヴィンセントの手の甲を呆然と見つめていた。
「あ……」
「大丈夫です。痛みはありません」
本当に大して痛くもなかった。むしろ、火傷をしているかもしれない手で振り払ったクロードのほうが痛かったのではないだろうか。
ヴィンセントはクロードが呆然としている隙にその手首を取り、紅茶で濡れた手をそっとハンカチで拭う。多少痛みはあるかもしれないが、特に赤く腫れている様子もないことにヴィンセントは安堵した。
一方、クロードも少しは怒りが収まったのか、ヴィンセントにされるがまま、無言で大人しくしていてくれた。
「大丈夫だとは思いますが、一応冷やしておきましょうか。ミラを呼びます」
「……いい。もう部屋に戻る」
「わかりました」
見送るため、とぼとぼとした足取りで扉に向かうクロードの後ろを、ヴィンセントはゆっくりと歩く。
そして、扉の前にたどり着いたクロードはヴィンセントを振り返り、らしくないほどしょんぼりとした様子で俯いた。
「……叩いて、すまなかった」
「クロード様が謝る必要はありません。手が偶然当たっただけです」
沈黙が落ちる。
言いたいことも聞きたいこともヴィンセントには山ほどあったが、どれから伝えればいいのかわからなかった。
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