遠のくほどに、愛を知る

リツカ

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第1章 お茶会と悲劇と

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 一応、信頼はされているのだ。むしろ、ヴィンセントがクロードになんらかの危害を加えるなどと想像する者は、この屋敷の中にはひとりもいないのかもしれない。
 ヴィンセントがそういう男だからこそ、ヴィンセントはクロードの妻になれてしまったとも言える。

 ティーポットに茶葉を入れ、そこに熱湯を注ぐ。蓋をして蒸らす数分の間、ふたりに会話はなかった。とはいえ、ふたりの口数が少ないのはいつものことなので、どちらも気にした様子はない。
 ヴィンセントは静かに時間が過ぎるのを待ち、用意していた砂時計の砂が完全に落ち切ってから、できあがった紅茶をカップに注ぐ。

「どうぞ」
「ああ」

 クロードは紅茶の香りを楽しんでから、ゆっくりと紅茶に口をつける。

「……うまい」
「ありがとうございます。クロード様がお好きな茶葉を取り寄せましたので」
「茶葉がどうこうではなくて……」

 クロードは何か言いかけたが、結局なにも言わなかった。小さく苦笑しながら、再び紅茶を口に運んでいる。

 なんとなく、今日はいつもよりクロードの機嫌が良いように見えた。本当になんとなくだが、雰囲気が柔らかい。

 ヴィンセントもクロードの向かいの席に座り、無言で紅茶を飲んだ。
 うまく淹れられたのかどうかもわからないが、クロードがうまいと言ったのだから問題はないのだろう。そもそも、コーヒー派のヴィンセントは紅茶のことに無知だった。

「……お前がこの家にやってきて、もう一年も経つんだな」

 クロードが言った独り言のような言葉に、ヴィンセントは静かに視線を上げた。
 どう切り出そうかと迷っていたので、クロードからその話題を持ち出してくれたのは非常に有難い。

「はい」
「なにか不便なことはないか?」
「いえ」
「そうか。なにかあったらすぐに言え。相手が誰であっても」
「……心遣い感謝致します」

 ヴィンセントは硬い表情で礼を述べた。

 公爵家の人々は、皆ヴィンセントに良くしてくれている。
 本当は没落しかけていた伯爵家の息子など嫁に欲しくはなかったのだろうが、クロードの両親も、数多くいる使用人たちも、皆ヴィンセントに優しかった。

 ……いや、使用人たちに関してはある意味当然なのだ。
 ヴィンセントを見下し、地味な嫌がらせをしてきた使用人たちは、全員クロードが追い出してしまった。それを何度か繰り返した末、公爵家に残る使用人はヴィンセントをクロードの妻として敬ってくれる者たちのみとなったのだ。
 
『俺の妻を侮辱するということは俺を侮辱することだと思えッ!』

 結婚して一ヶ月ほどたったころ、使用人たちを一箇所に集めたクロードは、ヴィンセントに嫌がらせをしていた使用人たちを皆の前で糾弾し、その場で解雇を言い放った。
 中にはクロードが赤ん坊の頃から公爵家に仕えている者や、ヴィンセントよりもずっと良家の子女や子息もいたが、クロードには関係なかったらしい。彼らは皆、その日のうちに荷物をまとめて、泣いたり、怒ったりしながら公爵家を立ち去っていったのだ。

 現公爵であるクロードの父も、クロードが大声で怒鳴り散らしたことをたしなめはしたものの、使用人を勝手に解雇したことに意を唱えはしなかった。
 むしろ、もっと早く教えてくれたら良かったのにと、穏やかに苦笑された記憶がある。

 ヴィンセントとしては、小さな嫌がらせも見下しもどうでもよかった。
 紅茶が火傷しそうなほど熱かろうが、逆に温かろうが、サラダの野菜が傷んでいようが、料理に髪の毛が入っていようが、ヴィンセントに聞こえるようにひそひそと悪口を言われようが、すべて些細なことである。

 嫌でないと言ったら嘘になるが、そう目くじらを立てたり、気に病んだりすることでもないと思っていた。
 熱い紅茶は冷めるのを待てばいいし、温い紅茶に至っては別に問題がない。料理の傷んだ野菜や髪の毛は、端に避ければあまり気にならなかった。もともと騎士として働いていたときは野営することも多かったので、多少の不衛生には耐性があったのだ。
 それに、陰口にも慣れている。没落しかけの名ばかり貴族として馬鹿にされることは、クロードの妻になる前からよくあることだった。

 なので、本当にヴィンセントは特に傷ついたりすることもなかったし、さほど気に留めてもいなかった。
 しかし、ヴィンセントがそう思っていても、ヴィンセント付きの侍女であるミラはそうは思わなかったらしい。
 彼女は使用人たちの嫌がらせを執事長にすべて報告した。そして、執事長がそれをクロードに報告したことで、件の大量解雇が起こったのである。
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