1 / 119
第1章 お茶会と悲劇と
1
しおりを挟む
清潔に整えられた部屋に、花瓶に挿された色とりどりの花。甘さ控えめの焼き菓子に、夫の好きな紅茶の茶葉。
おまけに今日は晴天で、窓の外からは可愛らしい小鳥のさえずりも聞こえてきた。
「完璧だ」
「……そうでしょうか」
満足気な笑みを浮かべていたヴィンセントに水を差したのは、侍女のミラだった。
ヴィンセントが公爵家に嫁いでくる際、ただひとり実家から連れてきた、母のような、姉のような存在である。
「なにか足りないものがあるか?」
「……出過ぎたことを申し上げてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろん」
はしばみ色の瞳が、じっとヴィンセントを見上げる。その瞳はどこかヴィンセントを咎めているようにも見えた。
「ヴィンセント様がこれからするお話を、クロード様がお喜びになるとは到底思えません」
「……なるほど、根本的な問題があるということか」
ヴィンセントは苦笑しながらソファに腰を下ろした。
そうかもしれない。けれども、これは誰かが言わなければいけないことなのだ。
そして、その誰かにはおそらくヴィンセントが相応しい。
「だが、もうここに嫁いできて一年も経つ」
「まだ一年しか経っていない、です」
心底不服そうな顔で、ミラはそう言い切る。
ヴィンセントは苦笑を深め、実家の自室よりも遥かに広い室内を眺めた。
不相応だ。誰に言われるまでもなく、ヴィンセント自身が一番そう思っている。
貧乏伯爵家の三男。賭博好きだった祖父のせいで、ヴィンセントの生活は貴族だと思えないほどに貧しかった。
それでも、たまたま剣の才能だけはあり、成人してからは騎士としてさほど不自由のない暮らしができていた。
起きて、働いて、食べて、寝て、また起きて……その繰り返しがこの先もずっと続いていく。
ヴィンセントはそんな平凡な未来を漠然と想像していた。
しかし、あの日──
コンコンッと、少し強い力で扉をノックする音が聞こえた。
ミラはさっと身を翻して、足早に扉の方へと向かう。
彼女が静かに扉を開けると、ひとりの青年が堂々とした足取りで部屋の中に入ってきた。
作り物のような端麗な顔立ちをした金髪碧眼の青年──ヴィンセントの夫、クロード・オルティスその人である。
ヴィンセントは立ち上がり、恭しく礼をした。
「クロード様、お忙しい中ご足労いただきありがとうございます」
「別に……俺にだって少しくらい時間はある」
ツンとした表情でそっけなく言うクロードに向けて、ヴィンセントはなるべく穏やかに微笑んだ。
しかし、ちゃんと笑えている自信はあまりない。ヴィンセントは自他共に認める無愛想な男だった。
「とりあえず、お掛けください。紅茶を淹れます」
「……お前がか?」
「ええ、今日はふたりきりで話したいので」
一瞬、クロードは戸惑ったようにヴィンセントから目を逸らしたが、その後すぐに席に着いた。そして、背後にいた従者に「下がっていい」と言うと、従者は一礼してから部屋を出ていく。
ヴィンセントがミラに目配せをすると、彼女も一礼して、従者の男に続いて退室した。
そうして静かに扉が閉じられ、室内にはヴィンセントとクロードだけが残される。
おまけに今日は晴天で、窓の外からは可愛らしい小鳥のさえずりも聞こえてきた。
「完璧だ」
「……そうでしょうか」
満足気な笑みを浮かべていたヴィンセントに水を差したのは、侍女のミラだった。
ヴィンセントが公爵家に嫁いでくる際、ただひとり実家から連れてきた、母のような、姉のような存在である。
「なにか足りないものがあるか?」
「……出過ぎたことを申し上げてもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろん」
はしばみ色の瞳が、じっとヴィンセントを見上げる。その瞳はどこかヴィンセントを咎めているようにも見えた。
「ヴィンセント様がこれからするお話を、クロード様がお喜びになるとは到底思えません」
「……なるほど、根本的な問題があるということか」
ヴィンセントは苦笑しながらソファに腰を下ろした。
そうかもしれない。けれども、これは誰かが言わなければいけないことなのだ。
そして、その誰かにはおそらくヴィンセントが相応しい。
「だが、もうここに嫁いできて一年も経つ」
「まだ一年しか経っていない、です」
心底不服そうな顔で、ミラはそう言い切る。
ヴィンセントは苦笑を深め、実家の自室よりも遥かに広い室内を眺めた。
不相応だ。誰に言われるまでもなく、ヴィンセント自身が一番そう思っている。
貧乏伯爵家の三男。賭博好きだった祖父のせいで、ヴィンセントの生活は貴族だと思えないほどに貧しかった。
それでも、たまたま剣の才能だけはあり、成人してからは騎士としてさほど不自由のない暮らしができていた。
起きて、働いて、食べて、寝て、また起きて……その繰り返しがこの先もずっと続いていく。
ヴィンセントはそんな平凡な未来を漠然と想像していた。
しかし、あの日──
コンコンッと、少し強い力で扉をノックする音が聞こえた。
ミラはさっと身を翻して、足早に扉の方へと向かう。
彼女が静かに扉を開けると、ひとりの青年が堂々とした足取りで部屋の中に入ってきた。
作り物のような端麗な顔立ちをした金髪碧眼の青年──ヴィンセントの夫、クロード・オルティスその人である。
ヴィンセントは立ち上がり、恭しく礼をした。
「クロード様、お忙しい中ご足労いただきありがとうございます」
「別に……俺にだって少しくらい時間はある」
ツンとした表情でそっけなく言うクロードに向けて、ヴィンセントはなるべく穏やかに微笑んだ。
しかし、ちゃんと笑えている自信はあまりない。ヴィンセントは自他共に認める無愛想な男だった。
「とりあえず、お掛けください。紅茶を淹れます」
「……お前がか?」
「ええ、今日はふたりきりで話したいので」
一瞬、クロードは戸惑ったようにヴィンセントから目を逸らしたが、その後すぐに席に着いた。そして、背後にいた従者に「下がっていい」と言うと、従者は一礼してから部屋を出ていく。
ヴィンセントがミラに目配せをすると、彼女も一礼して、従者の男に続いて退室した。
そうして静かに扉が閉じられ、室内にはヴィンセントとクロードだけが残される。
98
お気に入りに追加
1,936
あなたにおすすめの小説
キミと2回目の恋をしよう
なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。
彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。
彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。
「どこかに旅行だったの?」
傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。
彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。
彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが…
彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?
ヒロイン不在の異世界ハーレム
藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。
神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。
飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。
ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?
愛する人
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
「ああ、もう限界だ......なんでこんなことに!!」
応接室の隙間から、頭を抱える夫、ルドルフの姿が見えた。リオンの帰りが遅いことを知っていたから気が緩み、屋敷で愚痴を溢してしまったのだろう。
三年前、ルドルフの家からの申し出により、リオンは彼と政略的な婚姻関係を結んだ。けれどルドルフには愛する男性がいたのだ。
『限界』という言葉に悩んだリオンはやがてひとつの決断をする。
【完結】キミの記憶が戻るまで
ゆあ
BL
付き合って2年、新店オープンの準備が終われば一緒に住もうって約束していた彼が、階段から転落したと連絡を受けた
慌てて戻って来て、病院に駆け付けたものの、彼から言われたのは「あの、どなた様ですか?」という他人行儀な言葉で…
しかも、彼の恋人は自分ではない知らない可愛い人だと言われてしまい…
※side-朝陽とside-琥太郎はどちらから読んで頂いても大丈夫です。
朝陽-1→琥太郎-1→朝陽-2
朝陽-1→2→3
など、お好きに読んでください。
おすすめは相互に読む方です
記憶喪失の君と…
R(アール)
BL
陽は湊と恋人だった。
ひねくれて誰からも愛されないような陽を湊だけが可愛いと、好きだと言ってくれた。
順風満帆な生活を送っているなか、湊が記憶喪失になり、陽のことだけを忘れてしまって…!
ハッピーエンド保証
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる