センチネルバースの証文

無花果

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センチネルとガイドと

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【大丈夫だよ】






【レイは、一人じゃないよ】








———揺蕩う意識の片隅で、誰かが囁いた気がした。











長い事ご無沙汰していた深い眠りがトロトロと零れ落ちて、レイの躰を露にする。

高い空に響く愛を求める小鳥の囀り、波打つ若葉のおしゃべりな騒めきと、飛び立つ夏の虫の無邪気な羽音。遠くにこだまする若い歓声と頬を撫でる優しい風、灯された温もり、自分以外の誰かの呼吸と心音。———朧に聞こえた囁きの所為か、夢とうつつのはざまはいつに無く優しくレイを抱きしめる。
だけど、そろそろ起きなきゃいけない。


鮮やかな青に金の虹彩が溶ける双眸を晒してレイが瞼を持ち上げると、整った顔面が視界を横切って此方を見下ろして居た。
少し垂れ目がちな目尻を更に下げて、理性も蕩ける微笑みで「おはよう」とレイの目覚めを祝福しているイケメンと後光が眩しい。イケメンは発光するのかと感心するしかない。脳内は空前絶後の事態に『new!』の表示過多で、何から処理を始めたものかと半ば諦めの境地に至る。

レイの頭を柔らかく受け止めて居るのはイケメンの太腿である。程よい肉の厚みが大変よろしい。額には包み込むように大きな掌が当てられて、それが酷く暖かい。寝心地は最高である。ショーンの膝枕で呑気に惰眠を貪った事実から目を塞いで、顔を覆った両手の隙間からレイの長い溜息が零れた。

どれくらいの時間をこうしてくれて居たのか、日は中天から突として傾き午後の授業はとうに始まっているようだ。

放心するレイの耳元で「グウウ」と弱々しい嘆きが漏れ聞こえる。思わず見上げるとショーンが気不味そうに目を逸らしたが、彼の腹の虫は続けて空腹を訴えた。

「これは、お前の腹の音か………」

夢の中でアレだけしつこく腹の鳴る音が耳を打ったのは、レイが持て余す飢餓だけが原因ではなかったらしい。事情を預かり知らぬショーンは、恥ずかしそうに「はい」と答えた。
昼の休みを浪費してレイの枕を務めさせられたというのに、口の代わりに文句を言う腹の虫を唯々恥じいるショーンに何だかすっかり親近感を覚えたレイは、胸ポケットに忍ばせていた携帯食料を黙って進呈した。
自分の分も取り出して封を開けると、膝を立て、背もたれに首を預けてぐったりと寄り掛かる。すると、ちょいと引き寄せられた頭がショーンの肩に絶妙に収まった。完全に距離感がバグっているが、居心地の良さを言い訳に人の字のように重なったまま遅めのランチを口に運ぶ。ナッツとフルーツを押し固めたエナジーバーをモリモリと咀嚼する音と、風が奏でる葉擦れの音が混ざりあって耳をくすぐる。気分は森の小動物だ。

木漏れ日が遊ぶ緑陰でメロウな混乱に脱力するレイに、少し遠慮がちなショーンの穏やかな声が降る。

「君はセンチネルだね」

野生の生き物を相手に友達になろうという慎重さで、ジリジリとレイの痒いところを自覚させて、撫でても良いかと様子を伺うショーン。

「せんちねる?」
「うん。防衛本能の所為か、まだ覚醒しきってないみたいだけど、君の偏頭痛は超感覚のキックバックだよ。ガイドを得れば安定する」

人口の数%に割合すると言うセンチネル。その有用性から国に保護され、常識を揺るがす能力の悪用を避けて情報は秘匿される。ゆえに、一般人にとっては都市伝説と言っていい存在だ。

「いや、まさか……」

突然自分こそが都市伝説の権化だと言われても俄かには信じ難い。

「でも、頭痛は治ったでしょ?」
「治っ、た……。なんで……?」

驚きのまま、普段からは及びもつかない子供のような素直さで此方に向き直ったレイの、無自覚な可愛いらしさに、自然ショーンの笑顔が溢れる。

「ここにガイドがいるから」

人差し指を自分に向けたショーンは、彼がセンチネルより更に希少な『ガイド』であるという重大な秘密を、実に軽快な口調で暴露した。お陰で頭痛が止んで顰める必要がなくなっていたレイの眉間に、再びシワが寄る。

「………なんで……」

レイの率直な感想は「こいつ、大丈夫か?」である。
悲劇の枚挙にいとまがない特殊なバースを持つ者に迫る危険については、思春期前の性教育と共に義務的に知識を与えられ、身を守る術を教育される。その教えに照らせば、レイに居眠りが危ないだとか注意喚起したショーンこそがよっぽど無用心で危機意識が足りていない。のだが———。レイは心にもたげた詰問を溜息に乗せて吐き捨てる。

「……いや、いい………」

これまで味わったこともない安らぎを享受しながら、二義的な問題に突っかかるのが酷く愚かな行為に思えた。

レイは今、幸福に満ち足りていた。


センチネルは五感の全てか或いはその一部が異常発達した能力者の総称だ。超感覚を持つ彼らは社会組織の統率に大いに役立ち、凡ゆる権力の頂点に直接的・間接的に関わりがあると言う。
だが彼らは万能とは言い難く、肉体に激しいを燃焼を強いる超感覚の行使はセンチネルの心身に異常をきたし、限界領域ゾーンを迎えれば精神障害や昏睡を発症するリスクを背負う。更に限界領域ゾーンを踏み越えればその先は這い出る者を許さない死の深淵が待つばかり。

そんな危ういセンチネルのバランスを保つ者がガイドだ。センチネルに対して高い感応力を持つガイド達はパートナー契約の下に、共感能力エンバス読心能力テレパスを使って不安定なセンチネルをサポートを担う。


ショーンは無償で人助けして腹の虫に本心を代弁されるようなお人好しなようだし、ショーンに触れられた瞬間に、レイの意識は求めていた眠りに転がり落ちて、目が覚めた時にはどんな薬も効果を発揮しなかった頭の痛みが綺麗に消え失せていた。そして、レイの聴覚は実際に平均を凌駕している。———それが答えだろう。

目を閉じてショーンが齎す恩恵を噛み締める。
センチネルとして未だ覚醒を遂げないレイと、パートナー契約も交わしていないショーンであるが、これ程に影響力が有るものかと愕然とする。ショーンから伝わる体温が自分に優しく染み込んで、二つの顔料が水に踊りクルクルと溶け合うように、二人の輪郭が美しく滲み解け絡み合う。
いつもの不機嫌なレイは形を潜め、まるで頼りない和毛にこげの仔猫にでも生まれ変わったように丸くなって温もりに擦り寄ると、また眠りの気配がじわりと立ち込めた。

「俺は、ショーン。ねぇ、レイって呼んでいい?」

ピリリと甘い電流が身を駆ける。ショーンは揺り籠の子をあやすようにレイの髪を指に絡ませ耳をくすぐった。

「ん、ああ……、いいよ」

フワフワと今にも手を離れそうな意識をなんとか繋ぎ止めてぞんざいに頷きながら、よく自分のような陰キャの名前を知っているものだと感心する。

「レイは間違いなくセンチネルだから、一緒に訓練施設タワーに連れて行ってもいいんだけど、どうする?」

いつもの痛みが消えた高揚感も、心の凝りを揉み解すようなイケボも、優しい午後の陽光も、全てが、幸せが過ぎる。だから………。




『アンタが怖い。その顔も嫌い———』




不意に母の声が蘇り、この世に二人きりみたいな幻想がシャボン玉が消えるようにパチリと弾けた。


———また腹が鳴ったようだった。




一呼吸置いて、レイがゆっくりと目を開く。

「タワーって、能力者の集まる施設だっけ?」
「うん。登録すれば無償でサポートが受けられるようになるよ」
「ああ………そうか、そうだな……ちょっと、心の準備が、必要かな………」
「そっ、か…………」

ショーンは敏感にレイの変化を感じ取った。さっきまでの親密な雰囲気が一転して声に硬さが宿り、薄い布地を引き抜くようにスルリと心が離れた。——その変化の理由にまるで心当たりがなくて戸惑う。

「じゃあ、せめて毎日ここでケアさせて?」
「んん……?」
「頭痛、辛いでしょ?」
「そう、だな…………」

足元につけ込んでまた会う約束を取り付けて仕舞おうと畳みかけたショーンから、レイはゆっくりと遠ざかり体を起こした。思惑が少しも歓迎されずに消沈するショーンは、二人の隙間に入り込んだ風に空寒い不安を覚える。思案顔のレイに釘付けになる目に、彼が庇うように鳩尾に押し付けて握る拳が映った。

「お腹、……痛い?」
「ん、ああ………うん。」
「大丈夫?」
「うん。俺、部屋に帰るわ。今日は助かった。ありがとう。この礼は今度改めてさせてもらう。……その、」

早口に言いたい事を並べたてるレイ。

「…………またな」

言い終わると、ショーンの反応を待たずに腰を上げて歩き出した。

「あ!……またね!俺、明日もまたここに来るから………!」

振り返りもせずに行ってしまった彼の耳に、自分の声は届いたのか——足早に去るレイをショーンは呆然と見送った。


晴天の午後の日差しに気温は上昇を続けていたが、木陰が広がる秘密の休憩所には涼やかな一陣の風が吹き抜けた。







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