紫苑の宝玉 亡国王女と勿忘草

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第一章 亡き王妃との約束

歩み寄る

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 セインは未だ帰って来ない。

 「昼食も近いし、先にフィーネに挨拶だけでも済ませとくか。」

 そんなサウトの提案に「うむ!」と一言、晴臣は秒で同意した。虎太郎も小さく頷いた。そうして彼らは早くも東の応接室を後にする。東の国をモチーフにした応接室のししおどしの音が静寂の中響き渡った。

 一方で、自室に戻っていたフィーネとアンナ。フィーネはゆっくりとティーカップを摘むように持ち上げ、紅茶を口に含んだ。

 「この一ヶ月で行儀作法は殆ど教え終わりました。一度で覚えることが出来ていたのできっと才能がおありだったのでしょう。」

 アンナは満足そうに笑みを浮かべて言った。フィーネは照れくさそうに「ありがとう。」と言って小さく微笑み返す。

 「身体は覚えている、っていうものよ。アンナの教え方が良かったから思い出しやすかったわ。」

 器の存在を仄めかすフィーネに、アンナは「フィーネ様……。」と声を出すもその先の言葉が見つからず言いあぐねた。

 「器をとことん利用してやろう! って思ったの。だから、もう大丈夫よ。この身体はもう私だから。もうセインに言わなくて大丈夫。」

 この一ヶ月、フィーネはろくに眠れていない。フィーネ自身から目元に薄らとできたくまを化粧で隠す指示を受けていたこともあり、アンナはその事を知っていたがフィーネに口止めをされてしまい何も出来ないでいたのである。理由を聞きもしなかった。

 根っからの使用人気質も相まって、主人であるフィーネの意志を尊重すべきか、反して自分の正しいと思う事を押し付けるか、アンナには何が正解なのか分からなかった。だから、何も出来なかった。今まで主人に恵まれているアンナにとっては、使用人として主人を正す役目がある、というのが理解できないのだ。いつだって主人は正しい。そうアンナは信じている。

 「かしこまりました。」

 アンナはそう言いつつも、心の中がやるせない気持で溢れていた。

 主人フィーネの為にアンナは目を瞑った。耳を塞いだ。果たしてそれは本当に主人フィーネの為になったのだろうか。現状はどうだ。日に日にくまは増え、疲れて見える。

 『言わなければ伝わらないし、聞かなければ分からないよ。』

 かつてセインに言われた言葉がアンナの頭に過ぎった。

 「あの、……宜しければ、フィーネ様のお悩みを私に聞かせてくださいませんか? 最近目元のくまも増えてきましたし……フィーネ様の力になりたいのです。」

 受容だけではなく、能動的になる。アンナは一歩踏み出した。

 フィーネは呆気にとられた表情でアンナを見て目を瞬かせると、視線を逸らし一度目を伏せた。

 駄目だったか。アンナは落ち込むも、もう一度、と即座に気分を切り替える。しかし、アンナの考えは杞憂だった。「寝ると悪夢が見えるのよ。」とフィーネは話し始めたのだ。

 「……器の記憶だと思うんだけど……部屋中に血飛沫が散っていて、多分、拷問部屋なんじゃないかしら……。血の着いた色んな道具があったわ。それで私は黒い塊をずっと、ずっといたぶってた。黒い塊からは声がするの。助けて、だったり……呪ってやる、だったり……。一人分じゃなくて、たくさんの声。」

 フィオラの記憶。体の内部まで変化することは無い。つまり、その脳には記憶がある。セインによって抑えられているはずのそれが、フィーネの意志に関係なく表に出てきている。アンナの顔は真っ青になっていたが、俯くフィーネは気付かない。アンナからもフィーネの表情が分からないため、アンナは余計に不安になっていた。

 「眠る度にそんな夢ばかりで、眠るのが怖いのよ。」

 早急に対処すべき事柄であるとアンナは理解したが、頼みのセインは今は屋敷に居ない。呼び出すことも可能ではあるが、この時期のセインは多忙で殆ど屋敷へ帰って来れない程である。

 何とかしようにも、セインのように魔力が豊富なわけでもなく、アンナはしがない侍女だった。セインへの報告はアンナの中で決定していた。

 「……夜はお傍にいるようにします。私には特別な力はありませんが、フィーネ様の心を支える手伝いくらいはできます。寝る時には手を握りましょう。悪夢だって吹き飛ぶように祈りながら……子守唄を歌います。」

 これはアンナにできる精一杯のことである。セインのいない今、アンナは自分に出来ることを考えた。

 「あ、魔除には絵も良いと聞いたことがあります。私が悪夢消し去る守護の絵を描きます!」

 アンナはそう言うと侍女服のポケットからメモ帳とペンを取り出して、素早くペンを走らせた。フィーネはそれを心ここに在らずと言った様子で見詰めていた。

 暫くしてアンナは「出来ました!」と自信満々にフィーネへ絵を見せる。絵を目にした瞬間「これは……!」と言ってフィーネの瞳が見開かれた。

 「これは……その、何かしら? ……悪魔?」

 「あ、悪魔?! そんな違います! フィーネ様もご存知の動物です。よく、ご覧下さい。」

 目の前に絵がずいっと迫り来る。思わずフィーネは顔を逸らした。

 「本当に、私はこれを見た事があるのよね……?」

 「はい。我ながらそっくりに描けたのですが……。」

 フィーネは混乱した。よくよく見れば確かに、動物に見えないことも無い。四本足である事、頭と胴がある事が取り敢えず分かった。

 「そっくり、ね……。猫……かしら?」

 「惜しいです。犬です。」

 惜しいとは。と、思いながらもフィーネに自然と笑顔が戻った。「これは確かに魔除になりそうね。」と、フィーネはしみじみと言う。

 「力作ですからね。寝る前に見やすいよう天井に貼っておきましょうか?」

 アンナが至極真面目に聞くと、フィーネは「それは遠慮しておくわ。」と真顔で答えた。最終的に絵はテーブルに置かれていた。

 暫く二人が雑談をしていると扉を叩く音が鳴る。

 「フィーネ、今大丈夫か?」

 サウトの声だった。


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