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第2話
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8月31日、夜
さぁさぁとか細い音がして、耳鳴りかと思って息を潜めると、どうやら細かな雨の音であるようだった。
確かに死に戻る前も、この日は雨だった気がする。田中は、自分の部屋のベッドで体を起こした。
火災に遭遇し、あの奇妙な空間に行って男と話して…、その後の記憶がない。スマートフォンの待受画面には、8月31日の日付が表示されていた。田中が火災で死んだのが9月9日、確かに10日前の日付だった。念のため全身をあらためてみるが、火傷らしい傷跡はない。
(本当に戻ったのか…。)
田中には、8月31日から9月9日までの10日間の記憶がある。だが、田中が「記憶している」と感じている10日間、およびあの奇妙な空間で起きたことの方が夢で、<死に戻り>などなかった、という可能性もある。
こちらの方がまだ現実的かもしれない、と考える。
「綺麗にしてんのな、男一人のわりには。」
納得し、胸を撫で下ろしかけた田中の前に、刺青の少女が1人。
すべて夢ではなく、現実だということの、最大の証人がそこにいた。
「あ、全部夢かもと思った?残念。」
死神見習いの少女がにやり、と意地の悪い笑みを浮かべる。刺青が生き物のように引きつり、歪む。と思えば、すぐに笑みが引っ込み、暗い表情がその顔を支配した。
なんとか感情を読み取ろうと目を覗き込むと、木菟はちっと舌打ちをし、田中に背を向けた。
田中は、少女を刺激しないよう、なるべく穏やかな声音を作って、尋ねてみる。
「ずいぶん嫌われたみたいだね…俺が君に何かしたかな?」
少女は振り向き、田中をきっと睨みつけた。
「迷惑なんだよ!」
「迷惑?」
「<死に戻り>だよ!何だよそれ、聞いたことねぇよ!お前のせいで世界中、全部10日前からやり直しだ。いい迷惑だろ!」
少年のような言葉遣いで、木菟は吠えた。この反応から察するに、やはり<死に戻り>はそうそうあることではないらしい。木菟は小声でぼそっと呟くように続ける。
「大した未練もないくせによ…。」
木菟の口から「未練」という言葉が出て、田中は男との会話を思い出した。木菟ももともとは人間で、死んで天国に行くはずだったが、現世に強い未練があって死神になったと男は言っていた。それでこれほどまでに自分に嫌悪感を示すのだろうと、田中は一人納得した。
強い未練で奇妙な空間に留められている少女と、人生に未練をほとんど感じないくせに自分の死を帳消しにするチャンスを与えられている男。皮肉な運命と言えば、確かにそうだろう。
「確かに未練はないけれど、この<死に戻り>でやりたいことなら、いくつかあるよ…。」
田中は、静かに言った。木菟は答えなかった。
この<死に戻り>で成し遂げたいこと。一つは、美冬のこと。もう一つは、かなうかどうか分からない希望。田中はそっと胸の中にしまった。
◆◆◆
田中に初めて会った時、木菟が感じたのは、失望だった。
<管理人>-あの奇妙な空間を取り仕切っている、木菟の主人ーから、「10日間、<死に戻り>をする男を監視しろ」と言われ、紹介されたのが田中だった。
<死に戻り>などということは、めったに許されない。どんな厳しい条件…それとも苛烈な代償か…があるのか知らないが、1人の人間が死んで、その10日前から世界全体をやり直すなんて、少なくとも木菟が死神見習いになってからは一度もなかった。
そんな特別な人間なのか、と思いきや、そこにいた田中は、少し腹の出た、気の弱そうな男だった。見たところ普通のおっさんに見える。42歳だというが、くたびれ切った顔つきから、もっと年上に見えた。
しかも聞けば、この世に大した未練もないという。自分で「クズのような人生でした」と言って笑っているくらいだから。
(じゃあおとなしく地獄に落ちとけや。)
この世への未練、業の深さで死神見習いに堕ちた木菟にとっては、理解できない感覚だ。
とにかく、なんとも腹の立つ男だった。刺青が気になるのか、たまに憐れむような目でこちらをちらちら見てくるのも気に食わない。
(気に入らないが、仕事は仕事か…。)
自分だって、特例といえば特例だった。天国にも地獄にも行かず、死神「見習い」という中途半端な身分で、あの奇妙な空間に留め置かれている。だからこそ、与えられた仕事は仕事として真剣に取り組む必要があると、木菟は考えていた。
「<死に戻り>をする男を見張る」という仕事の内容は、正直漠然としていて、何を求められているか分からない。とにかく見ていればいいのか。何か手助けをするべきか、それとも逆に邪魔をするべきなのか…。<管理人>からは、何も言われなかった。
だが、木菟が死神見習いになってからの1年ほどの仕事は、むしろそういうものが多かった。何をしろと具体的に言われるわけではない。自分で対象を観察して、自分が求められている役割を見つけ出し、その役割をこなす。それが死神の仕事であり、自分に課せられた使命でもあると、木菟はこの1年で学んだ。
そのためには、まず、田中自身について、それから、田中が死に、その後<死に戻り>をするに至ったいきさつについて知らなければならない。
<管理人>からは、最低限の情報をもらっている。こういう場合、回りくどく状況証拠を集めて外堀を埋めていく先輩もいる。ただ、木菟の性格上、そんなまどろっこしいことはできなかった。
(そんなもん、直接聞きゃあ早いや。)
木菟は単刀直入に切り出した。
「そもそもどうしてお前は死んだんだ。んで、どうして<死に戻り>をすることに決めたんだ。」
田中はすぐには答えず、あいまいに微笑んだ。その気弱そうな表情が、木菟をさらにいらだたせる。
「まぁ、落ち着いてよ。何か食べるものでも作ろうか。死神って、おなか空くのかな?」
「無視すんな!こっちが質問してんだろ!」
「まぁまぁ、怒らないで。ちゃんと説明するから。」
あからさまな子供扱いに、木菟は憤然とした。田中は気にするふうもなく、のそのそとキッチンに入っていく。
田中の家は、一人暮らしにしては広い間取りのマンションで、ちゃんとしたキッチンがあり、カウンターを挟んでその手前がダイニングになっていた。食卓には、椅子が2つ。木菟が促されるまま、椅子にかけると、田中がキッチンに立った。
「こう見えても、なかなか料理は得意なんだよ…居酒屋の店長だからね、雇われだけど。創作居酒屋だから、自分でもいろいろ作るよ…死神さんの気に入るかは分かんないけど。」
田中はぶつぶつ言いながら、てきぱきと作業を進めている。
なかなか質問に答えようとせず、調理に没頭する田中を横目に、木菟は結局<管理人>から受け取った資料を取り出し、食卓の上に広げた。
9月9日、田中が死んだ日の、朝刊の記事だった。
居酒屋で火災 店長重体 放火の疑い
9月8日午後11時ごろ、S市の創作居酒屋「縁」で火災が発生した。現場にいた店長の田中悟さん(42)が意識不明の重体、他に店員(23)が重症を負った。
店員は「私が火をつけました」と話しており、警察は、近く事情を聞く方針。
(この「店員」が「榊美冬」か…。)
田中が「意識不明の重体」となっているのは、おそらく9月9日の朝刊だからだろう。当然、<死に戻り>で世界がリセットされる前に朝刊が出ているということは、田中が実際に死んだのは9月9日の少なくとも朝刊発行以降のはずで、病院に搬送されてから実際に死亡するまでにタイムラグがあった、ということだろう。
別の記事(おそらくネットニュースの飛ばし記事)を広げると、容疑者である店員の本名が出ていた。榊美冬。田中が<管理人>に安否を聞いていた女性だ。
ネット記事の方には、動機について、詳しい経緯が書かれていた。
(客と再三トラブルを起こしていた。トラブルの相手が9月3日に謎の焼死。警察に容疑者として目をつけられ、日を置かず居酒屋のバイトもクビになった。その怨恨で居酒屋に火をつけ、店長の田中を殺害した…か。)
「おっさん、榊美冬に恨まれてたんだな…クビにしたから。」
そこまで読んだ木菟は、何気なく投げかけてみる。田中は淡々と答えた。
「まぁ、そうかもしれんな…。」
「それで殺されたから、復讐のために<死に戻り>ってか?恨まれるようなことしたんだったら、自業自得じゃねぇかよ。」
木菟は吐き捨てると、ネットニュースから目を離し、新聞記事の続きを読んでいく。
-…警察は合わせて、先に起きた中年男性焼死事件、女子高生焼死事件との関連も調べている。
「中年男性焼死事件、女子高生焼死事件…?なんだ、やけに焼死事件が多いな…。」
「そうだね。最近多いんだよ。」
「なんだよ、物騒な街だな。」
呑気に答える田中に、木菟は眉を顰めた。
「この中年男性焼死事件、っていうのは分かった。さっきのネット記事に出てた<9月3日にトラブル相手が焼死した>ってやつだろ。そっちも榊美冬のせいだっていう話か。じゃあ、こっちの女子高生焼死事件って何なんだ。」
「去年の11月くらいに、女子高生が焼身自殺する事件があったんだよ…最初は自殺ってことで処理されたんだけど、保護者が『うちの子が自殺する理由が見当たらない、放火されて殺されたに違いない』って訴えて、再調査がされてたみたいだね…遺書もないし。」
田中は答えながら、台所から出てきた。手にはいくつかの皿と小鉢、箸などを携えている。
木菟の前に、アルミホイルの包みが載った皿が置かれた。
「何だこりゃ。」
「アルミホイルを開いてごらん。」
田中に促されるままに箸でアルミホイルの包みを開くと、ほのかなバターの香りとともに、ふわり、と湯気が立った。ホイルの中には、薄いピンクの鮭の切り身。その上に、にんじんやえのき茸、しめじがこんもりと盛られ、ねぎが振りかけてあった。
「鮭のホイル焼きだよ。なかなかおいしそうでしょう。こう見えてね、そんなに手間はかかってないんだけど。やっぱりホイルを開くときの感動がいいよね。」
同じものを食卓の反対側において、2人分のごはんをよそってから、田中は木菟の真向かいに座った。
「どうぞ召し上がれ。」
田中がやさしく微笑む。
「へえ…」
つい、美味しい、と言いかけて、木菟はあわてて口を噤んだ。ほのかなバターの風味があるが、鮭の味を潰していない。添えられた野菜やきのこにもしっかり味がしみ込んでいる。さすがに料理人だけあって、お店で食べているような、そのくせ懐かしいような味がした。
木菟はしばらく、焼死事件のことも忘れ、黙々と食べた。死神見習いになってからは特に食事をしなくても生きていける体になっていたが、温かく、美味しいものを食べるのはやはり良いものだ。それは人間と同じだった。
「鮭の切り身が中途半端に余ってるから、お茶漬けにするかい?」
「え、茶漬けって、冷や飯にお茶漬けの粉をかけるんじゃないの。」
「料理人をなめないでほしいな。お椀貸してごらん。」
田中にすでに空のごはん茶碗を渡しながら、木菟は思考をもとに戻す。
…榊美冬と、3つの焼死事件だ。
状況を整理するため、木菟は、今までに出てきた情報を口に出してみた。
「まず第一の事件は、9月8日、田中悟殺害事件。これは本人が『自分が火をつけました』と言っているし、榊美冬が犯人ってことで間違いないだろうな。そして第二の事件が、遡ること5日、9月3日の中年男性客の焼死事件。そしてさらに、昨年11月女子高生焼死事件が第三の事件ってわけか…それにしても、第二の事件で美冬が疑われるのはわかるんだけど、女子高生焼死事件と美冬はどんな関係があるんだ?」
「知らないよ。」
田中はキッチンからカウンターごしに、ぶっきらぼうに答えた。木菟は構わず続ける。
「まぁいいや。つまり、お前が死んだのは美冬に殺されたからで、<死に戻り>をしたのは自分を殺した美冬への復讐。まぁざっとそんなとこだな。」
「復讐…か。」
木菟の言葉を繰り返し、田中は眉根を上げた。
「君は、もし自分が誰かに殺されたとして、チャンスがあったらその相手を殺してやりたいと思うかい?」
「そりゃそうだろ。罰を受けるとは言え、自分を殺した人間が生きてるのは気に食わないからな…同じように殺してやりたい、と思うのは当たり前のことだと思うぜ。死体の数のつじつまも合うしな。」
「そうかぁ…。」
田中はそう答えながら、キッチンから戻ってきた。
「はい、鮭茶漬けだよ。」
「…ほんとに焼き鮭が載ってる…粉末じゃないんだ…。」
木菟はつい感嘆の溜息をついた。ごはんの上に、一口大に切って軽くほぐした焼き鮭と、薬味として三つ葉と針生姜まで添えられている。
「死神さんの食生活は知らないけどね…お茶は自分でかけてみて。」
田中が急須を置いた。木菟が焼き鮭の上で急須を傾けると、麦色のお茶が注がれた。部屋中に、ほうじ茶の香りが濃く立つ。
「これはうまいな…。」
木菟は、熱々の鮭茶漬けに息を吹きかけてさましながら、次々と口へ運んだ。少し強めに塩味が効かせてあって、それがごはんにとてもよく合う。田中はしばらく、そんな木菟を満足げに見つめていたが、ふと思い出したように尋ねた。
「そういえば、死体の数のつじつまって言ったよね。何の話だろう。」
「<管理人>に言われただろ、死者の数を変えるなって。ただ10日戻ってお前が死ななくなったら、死者が減って、数が合わなくなるだろうが。」
茶漬けを食べながらそこまで説明し、木菟は箸先を田中に向けた。
「つまりな、お前が死なないんだったら、代わりにだれか別の奴を殺せってことだよ。」
「なるほど…そういう仕組みなんだ…。」
「そういう仕組みって、お前、分かってなかったのかよ…」
木菟は呆れながら、残った茶漬けをかきこんだ。
さぁさぁとか細い音がして、耳鳴りかと思って息を潜めると、どうやら細かな雨の音であるようだった。
確かに死に戻る前も、この日は雨だった気がする。田中は、自分の部屋のベッドで体を起こした。
火災に遭遇し、あの奇妙な空間に行って男と話して…、その後の記憶がない。スマートフォンの待受画面には、8月31日の日付が表示されていた。田中が火災で死んだのが9月9日、確かに10日前の日付だった。念のため全身をあらためてみるが、火傷らしい傷跡はない。
(本当に戻ったのか…。)
田中には、8月31日から9月9日までの10日間の記憶がある。だが、田中が「記憶している」と感じている10日間、およびあの奇妙な空間で起きたことの方が夢で、<死に戻り>などなかった、という可能性もある。
こちらの方がまだ現実的かもしれない、と考える。
「綺麗にしてんのな、男一人のわりには。」
納得し、胸を撫で下ろしかけた田中の前に、刺青の少女が1人。
すべて夢ではなく、現実だということの、最大の証人がそこにいた。
「あ、全部夢かもと思った?残念。」
死神見習いの少女がにやり、と意地の悪い笑みを浮かべる。刺青が生き物のように引きつり、歪む。と思えば、すぐに笑みが引っ込み、暗い表情がその顔を支配した。
なんとか感情を読み取ろうと目を覗き込むと、木菟はちっと舌打ちをし、田中に背を向けた。
田中は、少女を刺激しないよう、なるべく穏やかな声音を作って、尋ねてみる。
「ずいぶん嫌われたみたいだね…俺が君に何かしたかな?」
少女は振り向き、田中をきっと睨みつけた。
「迷惑なんだよ!」
「迷惑?」
「<死に戻り>だよ!何だよそれ、聞いたことねぇよ!お前のせいで世界中、全部10日前からやり直しだ。いい迷惑だろ!」
少年のような言葉遣いで、木菟は吠えた。この反応から察するに、やはり<死に戻り>はそうそうあることではないらしい。木菟は小声でぼそっと呟くように続ける。
「大した未練もないくせによ…。」
木菟の口から「未練」という言葉が出て、田中は男との会話を思い出した。木菟ももともとは人間で、死んで天国に行くはずだったが、現世に強い未練があって死神になったと男は言っていた。それでこれほどまでに自分に嫌悪感を示すのだろうと、田中は一人納得した。
強い未練で奇妙な空間に留められている少女と、人生に未練をほとんど感じないくせに自分の死を帳消しにするチャンスを与えられている男。皮肉な運命と言えば、確かにそうだろう。
「確かに未練はないけれど、この<死に戻り>でやりたいことなら、いくつかあるよ…。」
田中は、静かに言った。木菟は答えなかった。
この<死に戻り>で成し遂げたいこと。一つは、美冬のこと。もう一つは、かなうかどうか分からない希望。田中はそっと胸の中にしまった。
◆◆◆
田中に初めて会った時、木菟が感じたのは、失望だった。
<管理人>-あの奇妙な空間を取り仕切っている、木菟の主人ーから、「10日間、<死に戻り>をする男を監視しろ」と言われ、紹介されたのが田中だった。
<死に戻り>などということは、めったに許されない。どんな厳しい条件…それとも苛烈な代償か…があるのか知らないが、1人の人間が死んで、その10日前から世界全体をやり直すなんて、少なくとも木菟が死神見習いになってからは一度もなかった。
そんな特別な人間なのか、と思いきや、そこにいた田中は、少し腹の出た、気の弱そうな男だった。見たところ普通のおっさんに見える。42歳だというが、くたびれ切った顔つきから、もっと年上に見えた。
しかも聞けば、この世に大した未練もないという。自分で「クズのような人生でした」と言って笑っているくらいだから。
(じゃあおとなしく地獄に落ちとけや。)
この世への未練、業の深さで死神見習いに堕ちた木菟にとっては、理解できない感覚だ。
とにかく、なんとも腹の立つ男だった。刺青が気になるのか、たまに憐れむような目でこちらをちらちら見てくるのも気に食わない。
(気に入らないが、仕事は仕事か…。)
自分だって、特例といえば特例だった。天国にも地獄にも行かず、死神「見習い」という中途半端な身分で、あの奇妙な空間に留め置かれている。だからこそ、与えられた仕事は仕事として真剣に取り組む必要があると、木菟は考えていた。
「<死に戻り>をする男を見張る」という仕事の内容は、正直漠然としていて、何を求められているか分からない。とにかく見ていればいいのか。何か手助けをするべきか、それとも逆に邪魔をするべきなのか…。<管理人>からは、何も言われなかった。
だが、木菟が死神見習いになってからの1年ほどの仕事は、むしろそういうものが多かった。何をしろと具体的に言われるわけではない。自分で対象を観察して、自分が求められている役割を見つけ出し、その役割をこなす。それが死神の仕事であり、自分に課せられた使命でもあると、木菟はこの1年で学んだ。
そのためには、まず、田中自身について、それから、田中が死に、その後<死に戻り>をするに至ったいきさつについて知らなければならない。
<管理人>からは、最低限の情報をもらっている。こういう場合、回りくどく状況証拠を集めて外堀を埋めていく先輩もいる。ただ、木菟の性格上、そんなまどろっこしいことはできなかった。
(そんなもん、直接聞きゃあ早いや。)
木菟は単刀直入に切り出した。
「そもそもどうしてお前は死んだんだ。んで、どうして<死に戻り>をすることに決めたんだ。」
田中はすぐには答えず、あいまいに微笑んだ。その気弱そうな表情が、木菟をさらにいらだたせる。
「まぁ、落ち着いてよ。何か食べるものでも作ろうか。死神って、おなか空くのかな?」
「無視すんな!こっちが質問してんだろ!」
「まぁまぁ、怒らないで。ちゃんと説明するから。」
あからさまな子供扱いに、木菟は憤然とした。田中は気にするふうもなく、のそのそとキッチンに入っていく。
田中の家は、一人暮らしにしては広い間取りのマンションで、ちゃんとしたキッチンがあり、カウンターを挟んでその手前がダイニングになっていた。食卓には、椅子が2つ。木菟が促されるまま、椅子にかけると、田中がキッチンに立った。
「こう見えても、なかなか料理は得意なんだよ…居酒屋の店長だからね、雇われだけど。創作居酒屋だから、自分でもいろいろ作るよ…死神さんの気に入るかは分かんないけど。」
田中はぶつぶつ言いながら、てきぱきと作業を進めている。
なかなか質問に答えようとせず、調理に没頭する田中を横目に、木菟は結局<管理人>から受け取った資料を取り出し、食卓の上に広げた。
9月9日、田中が死んだ日の、朝刊の記事だった。
居酒屋で火災 店長重体 放火の疑い
9月8日午後11時ごろ、S市の創作居酒屋「縁」で火災が発生した。現場にいた店長の田中悟さん(42)が意識不明の重体、他に店員(23)が重症を負った。
店員は「私が火をつけました」と話しており、警察は、近く事情を聞く方針。
(この「店員」が「榊美冬」か…。)
田中が「意識不明の重体」となっているのは、おそらく9月9日の朝刊だからだろう。当然、<死に戻り>で世界がリセットされる前に朝刊が出ているということは、田中が実際に死んだのは9月9日の少なくとも朝刊発行以降のはずで、病院に搬送されてから実際に死亡するまでにタイムラグがあった、ということだろう。
別の記事(おそらくネットニュースの飛ばし記事)を広げると、容疑者である店員の本名が出ていた。榊美冬。田中が<管理人>に安否を聞いていた女性だ。
ネット記事の方には、動機について、詳しい経緯が書かれていた。
(客と再三トラブルを起こしていた。トラブルの相手が9月3日に謎の焼死。警察に容疑者として目をつけられ、日を置かず居酒屋のバイトもクビになった。その怨恨で居酒屋に火をつけ、店長の田中を殺害した…か。)
「おっさん、榊美冬に恨まれてたんだな…クビにしたから。」
そこまで読んだ木菟は、何気なく投げかけてみる。田中は淡々と答えた。
「まぁ、そうかもしれんな…。」
「それで殺されたから、復讐のために<死に戻り>ってか?恨まれるようなことしたんだったら、自業自得じゃねぇかよ。」
木菟は吐き捨てると、ネットニュースから目を離し、新聞記事の続きを読んでいく。
-…警察は合わせて、先に起きた中年男性焼死事件、女子高生焼死事件との関連も調べている。
「中年男性焼死事件、女子高生焼死事件…?なんだ、やけに焼死事件が多いな…。」
「そうだね。最近多いんだよ。」
「なんだよ、物騒な街だな。」
呑気に答える田中に、木菟は眉を顰めた。
「この中年男性焼死事件、っていうのは分かった。さっきのネット記事に出てた<9月3日にトラブル相手が焼死した>ってやつだろ。そっちも榊美冬のせいだっていう話か。じゃあ、こっちの女子高生焼死事件って何なんだ。」
「去年の11月くらいに、女子高生が焼身自殺する事件があったんだよ…最初は自殺ってことで処理されたんだけど、保護者が『うちの子が自殺する理由が見当たらない、放火されて殺されたに違いない』って訴えて、再調査がされてたみたいだね…遺書もないし。」
田中は答えながら、台所から出てきた。手にはいくつかの皿と小鉢、箸などを携えている。
木菟の前に、アルミホイルの包みが載った皿が置かれた。
「何だこりゃ。」
「アルミホイルを開いてごらん。」
田中に促されるままに箸でアルミホイルの包みを開くと、ほのかなバターの香りとともに、ふわり、と湯気が立った。ホイルの中には、薄いピンクの鮭の切り身。その上に、にんじんやえのき茸、しめじがこんもりと盛られ、ねぎが振りかけてあった。
「鮭のホイル焼きだよ。なかなかおいしそうでしょう。こう見えてね、そんなに手間はかかってないんだけど。やっぱりホイルを開くときの感動がいいよね。」
同じものを食卓の反対側において、2人分のごはんをよそってから、田中は木菟の真向かいに座った。
「どうぞ召し上がれ。」
田中がやさしく微笑む。
「へえ…」
つい、美味しい、と言いかけて、木菟はあわてて口を噤んだ。ほのかなバターの風味があるが、鮭の味を潰していない。添えられた野菜やきのこにもしっかり味がしみ込んでいる。さすがに料理人だけあって、お店で食べているような、そのくせ懐かしいような味がした。
木菟はしばらく、焼死事件のことも忘れ、黙々と食べた。死神見習いになってからは特に食事をしなくても生きていける体になっていたが、温かく、美味しいものを食べるのはやはり良いものだ。それは人間と同じだった。
「鮭の切り身が中途半端に余ってるから、お茶漬けにするかい?」
「え、茶漬けって、冷や飯にお茶漬けの粉をかけるんじゃないの。」
「料理人をなめないでほしいな。お椀貸してごらん。」
田中にすでに空のごはん茶碗を渡しながら、木菟は思考をもとに戻す。
…榊美冬と、3つの焼死事件だ。
状況を整理するため、木菟は、今までに出てきた情報を口に出してみた。
「まず第一の事件は、9月8日、田中悟殺害事件。これは本人が『自分が火をつけました』と言っているし、榊美冬が犯人ってことで間違いないだろうな。そして第二の事件が、遡ること5日、9月3日の中年男性客の焼死事件。そしてさらに、昨年11月女子高生焼死事件が第三の事件ってわけか…それにしても、第二の事件で美冬が疑われるのはわかるんだけど、女子高生焼死事件と美冬はどんな関係があるんだ?」
「知らないよ。」
田中はキッチンからカウンターごしに、ぶっきらぼうに答えた。木菟は構わず続ける。
「まぁいいや。つまり、お前が死んだのは美冬に殺されたからで、<死に戻り>をしたのは自分を殺した美冬への復讐。まぁざっとそんなとこだな。」
「復讐…か。」
木菟の言葉を繰り返し、田中は眉根を上げた。
「君は、もし自分が誰かに殺されたとして、チャンスがあったらその相手を殺してやりたいと思うかい?」
「そりゃそうだろ。罰を受けるとは言え、自分を殺した人間が生きてるのは気に食わないからな…同じように殺してやりたい、と思うのは当たり前のことだと思うぜ。死体の数のつじつまも合うしな。」
「そうかぁ…。」
田中はそう答えながら、キッチンから戻ってきた。
「はい、鮭茶漬けだよ。」
「…ほんとに焼き鮭が載ってる…粉末じゃないんだ…。」
木菟はつい感嘆の溜息をついた。ごはんの上に、一口大に切って軽くほぐした焼き鮭と、薬味として三つ葉と針生姜まで添えられている。
「死神さんの食生活は知らないけどね…お茶は自分でかけてみて。」
田中が急須を置いた。木菟が焼き鮭の上で急須を傾けると、麦色のお茶が注がれた。部屋中に、ほうじ茶の香りが濃く立つ。
「これはうまいな…。」
木菟は、熱々の鮭茶漬けに息を吹きかけてさましながら、次々と口へ運んだ。少し強めに塩味が効かせてあって、それがごはんにとてもよく合う。田中はしばらく、そんな木菟を満足げに見つめていたが、ふと思い出したように尋ねた。
「そういえば、死体の数のつじつまって言ったよね。何の話だろう。」
「<管理人>に言われただろ、死者の数を変えるなって。ただ10日戻ってお前が死ななくなったら、死者が減って、数が合わなくなるだろうが。」
茶漬けを食べながらそこまで説明し、木菟は箸先を田中に向けた。
「つまりな、お前が死なないんだったら、代わりにだれか別の奴を殺せってことだよ。」
「なるほど…そういう仕組みなんだ…。」
「そういう仕組みって、お前、分かってなかったのかよ…」
木菟は呆れながら、残った茶漬けをかきこんだ。
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(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
悲隠島の真実
琳
ミステリー
無人島に集められた人々。その誰もが秘密を抱えていた。その秘密とは――
都立の大学に通う高坂流月は、『楢咲陽子』という名で送られてきた、無人島に建つ館への招待状を貰った。しかし流月は知っていた。楢咲陽子はもう既にこの世にいない事を。
誰が何故こんなものを送ってきたのか。ただの悪戯か、それとも自分の他に陽子の身に何が起きたのかを知っている者がいるのか。
流月は一抹の不安を抱えながら無人島に行く決意をする。
館に集められた人々は一見接点がないように見えたが、流月だけは招待主の思惑に気づく。理由は全員に人には知られてはならない秘密があったからだ。
不安と焦りが混在して眠れぬ夜を過ごす流月。しかしそんな流月を嘲笑うかのように事件は起こってしまった。
招待主の思惑とは一体何なのか?死んだはずの陽子の名を騙ったのは誰か?
そして招待客の秘密とは――?
物語はタロットカードのように反転しながら進んでいく。
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マクデブルクの半球
ナコイトオル
ミステリー
ある夜、電話がかかってきた。ただそれだけの、はずだった。
高校時代、自分と折り合いの付かなかった優等生からの唐突な電話。それが全てのはじまりだった。
電話をかけたのとほぼ同時刻、何者かに突き落とされ意識不明となった青年コウと、そんな彼と昔折り合いを付けることが出来なかった、容疑者となった女、ユキ。どうしてこうなったのかを調べていく内に、コウを突き落とした容疑者はどんどんと増えてきてしまう───
「犯人を探そう。出来れば、彼が目を覚ますまでに」
自他共に認める在宅ストーカーを相棒に、誰かのために進む、犯人探し。
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