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『Darjeeling First Flash』⑥
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翌日の日曜日、あたしは一人で準決勝と決勝の観戦に行った。うちの学校はもう出場しないけれど、同世代の強い選手の試合を、見ておいて損はない。
マスターは、あたしが何度でもコートに立てると言ってくれた。その言葉を信じるなら、今はテニスができなくても、あたしは未来のあたしのために正しい努力をするべきなのだ。
リハビリを頑張って一日でも早く怪我を治す。ちゃんと勉強をして、推薦で行くはずだった大学に合格する。そしてもう一度、テニスをする。そう決めた。
それから、あたしの決意はもう一つあった。
月曜、放課後。真っ先にカフェへと向かい、開口一番、その決意を口にする。
「マスター、あたしをバイトにしてください!」
店内にはマスターと、カウンターにすらっとした綺麗な茶髪の女性がいるだけだった。二人は目を丸くしてあたしを見ていたが、やがてマスターが慌てた様子で駆け寄ってくる。
「ち、ちょっと君! いきなりどうしたの」
「君じゃなくて、伏見菜乃花です!」
「え?」マスターは戸惑いつつも、女性のお客さんからあたしを隠すように立つ。「えっと、伏見さん? だからいきなり何言って」
「あたしマスターのこと好きになりました! だからここで、バイトさせてほしいんです!」
「はあ!?」
「あと、あたしのことは菜乃花って呼んでくださいっ!」
マスターは思いきり目を白黒させている。当然だろう。
でも、あたしはとても真剣だ。あたしはこの人のことを、好きになった。
好きならできるだけ近くにいたいし『お客さん』でも『君』でもないあたしを知ってほしい。本能と脊髄反射に任せた結果、こうするのが一番いいと思ったのだ。
「いや……ああ、もう。じゃあ菜乃花さん? いいからちょっと、こっち」
マスターはあたしの手を引いてそのままカウンターの奥の裏口に向かった。店の外に出て、呆れ顔でこちらを振り返る。
「びっくりした……。あのさ、こういうの困るんだけど」
「でもマスター、言ったじゃないですか。店にもまたどうぞって」
「確かにそれは言ったけど、雇われにこいって意味じゃないよ」
まあさすがに、それはあたしもわかってたけど。
それでも、一度決めたらもう止まれない。言わずにはいられない。それくらい強い衝動だ。
「軽い気持ちで言ってるんじゃありませんよ。あたしマスターのこと、マスターのいれてくれた紅茶のこと、本気で好きになったんです。だからここで、バイトしたいんです!」
「紅茶を好きになってくれたのは嬉しいけど、もう一つの理由が不純だろ」
「気持ちはとっても純粋です! あたしじゃダメですか?」
「ダメですかって……バイトのことだよな?」
「バイトも、恋人もです!」
「あー、バイトねぇ。つっても、そんないきなり言われてもなぁ……」
恋人のほうは無視された。けど、とりあえず今はバイトのほうが優先だ。
あたしは前のめりになりながら、渋い顔のマスターを見上げて必死に訴える。
「体力には自信ありますよ!」
「別に、体力はそんなにいらないけど」
「時給はいくらでもいいです! むしろなしでもいいです!」
「それはもうバイトじゃないだろ」
「シフトもできるだけたくさん入れます! リハビリない日は毎日来ます!」
「いや、待って。だからそういう問題じゃなくて」
「いいんじゃないですか? 雇ってあげたら」
そのとき、飛び交うあたしたちのやりとりの間に、ふっと別の声が差し込まれた。
見ればそれは、カウンターに座ったまま、開きっぱなしの裏口から笑った顔をのぞかせている女性のお客さんだった。
「マスターさん、この前言ってたじゃないですか。店番が一人いれば、朝以外に午後にもケーキが作れるのにって。それに、茶葉の仕入れ日に店を休まなきゃいけないこともなくなるとか」
思わぬ横槍に、マスターは苦笑いで店内を見る。
「あの、お客さん。それは確かに言ったかもしれないですけど……」
「可愛い女子高生が看板娘になってくれたら、来客も増えるかもしれないですよ。たとえ動機が不純でも、マスターさんが大人の対応をすれば、問題はないわけですし」
どうやらこの女性は、あたしの肩を持ってくれているようだった。マスターが人手を欲していたというのも朗報だ。
勢いづいたあたしは、ここぞとばかりに頭を下げる。
「お願いします。お願いしますお願いしますマスター!」
まさか二方向から言われるなんて思ってもみなかったのだろう。マスターは返す言葉に困った様子で「えぇ……」とか「あー」とか「うーん」とか唸っている。
しかし結局最後には、頭をどんどん低くしていくあたしを見て根負けしたようで「はぁ」と諦めにも似た表情を見せた。右手でガシ、と頭を掻いて。
「まあ……手伝いが一人いたらいいと思ってたのは、本当だしな……」
「ありがとうございますっ!」
顔を上げたあたしは、言うが早いか、前のめりのままマスターに飛びつこうとする。
けれどマスターは、それをするりとかわしてしまい。
「んじゃ手が空いたら面接するから、適当に座って待ってて」
そしてマスターが店に戻ったと同時に、ちょうど女性客の「お会計をお願いします」という声が聞こえた。あたしは名も知らぬその女性に心の中でお礼を言いながら「あたしが承ります!」と元気よく返事をしてマスターのあとに続いた。
マスターは、あたしが何度でもコートに立てると言ってくれた。その言葉を信じるなら、今はテニスができなくても、あたしは未来のあたしのために正しい努力をするべきなのだ。
リハビリを頑張って一日でも早く怪我を治す。ちゃんと勉強をして、推薦で行くはずだった大学に合格する。そしてもう一度、テニスをする。そう決めた。
それから、あたしの決意はもう一つあった。
月曜、放課後。真っ先にカフェへと向かい、開口一番、その決意を口にする。
「マスター、あたしをバイトにしてください!」
店内にはマスターと、カウンターにすらっとした綺麗な茶髪の女性がいるだけだった。二人は目を丸くしてあたしを見ていたが、やがてマスターが慌てた様子で駆け寄ってくる。
「ち、ちょっと君! いきなりどうしたの」
「君じゃなくて、伏見菜乃花です!」
「え?」マスターは戸惑いつつも、女性のお客さんからあたしを隠すように立つ。「えっと、伏見さん? だからいきなり何言って」
「あたしマスターのこと好きになりました! だからここで、バイトさせてほしいんです!」
「はあ!?」
「あと、あたしのことは菜乃花って呼んでくださいっ!」
マスターは思いきり目を白黒させている。当然だろう。
でも、あたしはとても真剣だ。あたしはこの人のことを、好きになった。
好きならできるだけ近くにいたいし『お客さん』でも『君』でもないあたしを知ってほしい。本能と脊髄反射に任せた結果、こうするのが一番いいと思ったのだ。
「いや……ああ、もう。じゃあ菜乃花さん? いいからちょっと、こっち」
マスターはあたしの手を引いてそのままカウンターの奥の裏口に向かった。店の外に出て、呆れ顔でこちらを振り返る。
「びっくりした……。あのさ、こういうの困るんだけど」
「でもマスター、言ったじゃないですか。店にもまたどうぞって」
「確かにそれは言ったけど、雇われにこいって意味じゃないよ」
まあさすがに、それはあたしもわかってたけど。
それでも、一度決めたらもう止まれない。言わずにはいられない。それくらい強い衝動だ。
「軽い気持ちで言ってるんじゃありませんよ。あたしマスターのこと、マスターのいれてくれた紅茶のこと、本気で好きになったんです。だからここで、バイトしたいんです!」
「紅茶を好きになってくれたのは嬉しいけど、もう一つの理由が不純だろ」
「気持ちはとっても純粋です! あたしじゃダメですか?」
「ダメですかって……バイトのことだよな?」
「バイトも、恋人もです!」
「あー、バイトねぇ。つっても、そんないきなり言われてもなぁ……」
恋人のほうは無視された。けど、とりあえず今はバイトのほうが優先だ。
あたしは前のめりになりながら、渋い顔のマスターを見上げて必死に訴える。
「体力には自信ありますよ!」
「別に、体力はそんなにいらないけど」
「時給はいくらでもいいです! むしろなしでもいいです!」
「それはもうバイトじゃないだろ」
「シフトもできるだけたくさん入れます! リハビリない日は毎日来ます!」
「いや、待って。だからそういう問題じゃなくて」
「いいんじゃないですか? 雇ってあげたら」
そのとき、飛び交うあたしたちのやりとりの間に、ふっと別の声が差し込まれた。
見ればそれは、カウンターに座ったまま、開きっぱなしの裏口から笑った顔をのぞかせている女性のお客さんだった。
「マスターさん、この前言ってたじゃないですか。店番が一人いれば、朝以外に午後にもケーキが作れるのにって。それに、茶葉の仕入れ日に店を休まなきゃいけないこともなくなるとか」
思わぬ横槍に、マスターは苦笑いで店内を見る。
「あの、お客さん。それは確かに言ったかもしれないですけど……」
「可愛い女子高生が看板娘になってくれたら、来客も増えるかもしれないですよ。たとえ動機が不純でも、マスターさんが大人の対応をすれば、問題はないわけですし」
どうやらこの女性は、あたしの肩を持ってくれているようだった。マスターが人手を欲していたというのも朗報だ。
勢いづいたあたしは、ここぞとばかりに頭を下げる。
「お願いします。お願いしますお願いしますマスター!」
まさか二方向から言われるなんて思ってもみなかったのだろう。マスターは返す言葉に困った様子で「えぇ……」とか「あー」とか「うーん」とか唸っている。
しかし結局最後には、頭をどんどん低くしていくあたしを見て根負けしたようで「はぁ」と諦めにも似た表情を見せた。右手でガシ、と頭を掻いて。
「まあ……手伝いが一人いたらいいと思ってたのは、本当だしな……」
「ありがとうございますっ!」
顔を上げたあたしは、言うが早いか、前のめりのままマスターに飛びつこうとする。
けれどマスターは、それをするりとかわしてしまい。
「んじゃ手が空いたら面接するから、適当に座って待ってて」
そしてマスターが店に戻ったと同時に、ちょうど女性客の「お会計をお願いします」という声が聞こえた。あたしは名も知らぬその女性に心の中でお礼を言いながら「あたしが承ります!」と元気よく返事をしてマスターのあとに続いた。
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