一杯の紅茶の物語

りずべす

文字の大きさ
上 下
7 / 36
Menu 1『Darjeeling First Flash』

『Darjeeling First Flash』⑥

しおりを挟む
 翌日の日曜日、あたしは一人で準決勝と決勝の観戦に行った。うちの学校はもう出場しないけれど、同世代の強い選手の試合を、見ておいて損はない。
 マスターは、あたしが何度でもコートに立てると言ってくれた。その言葉を信じるなら、今はテニスができなくても、あたしは未来のあたしのために正しい努力をするべきなのだ。
 リハビリを頑張って一日でも早く怪我を治す。ちゃんと勉強をして、推薦で行くはずだった大学に合格する。そしてもう一度、テニスをする。そう決めた。
 それから、あたしの決意はもう一つあった。
 月曜、放課後。真っ先にカフェへと向かい、開口一番、その決意を口にする。
「マスター、あたしをバイトにしてください!」
 店内にはマスターと、カウンターにすらっとした綺麗な茶髪の女性がいるだけだった。二人は目を丸くしてあたしを見ていたが、やがてマスターが慌てた様子で駆け寄ってくる。
「ち、ちょっと君! いきなりどうしたの」
「君じゃなくて、伏見菜乃花です!」
「え?」マスターは戸惑いつつも、女性のお客さんからあたしを隠すように立つ。「えっと、伏見さん? だからいきなり何言って」
「あたしマスターのこと好きになりました! だからここで、バイトさせてほしいんです!」
「はあ!?」
「あと、あたしのことは菜乃花って呼んでくださいっ!」
 マスターは思いきり目を白黒させている。当然だろう。
 でも、あたしはとても真剣だ。あたしはこの人のことを、好きになった。
 好きならできるだけ近くにいたいし『お客さん』でも『君』でもないあたしを知ってほしい。本能と脊髄反射に任せた結果、こうするのが一番いいと思ったのだ。
「いや……ああ、もう。じゃあ菜乃花さん? いいからちょっと、こっち」
 マスターはあたしの手を引いてそのままカウンターの奥の裏口に向かった。店の外に出て、呆れ顔でこちらを振り返る。
「びっくりした……。あのさ、こういうの困るんだけど」
「でもマスター、言ったじゃないですか。店にもまたどうぞって」
「確かにそれは言ったけど、雇われにこいって意味じゃないよ」
 まあさすがに、それはあたしもわかってたけど。
 それでも、一度決めたらもう止まれない。言わずにはいられない。それくらい強い衝動だ。
「軽い気持ちで言ってるんじゃありませんよ。あたしマスターのこと、マスターのいれてくれた紅茶のこと、本気で好きになったんです。だからここで、バイトしたいんです!」
「紅茶を好きになってくれたのは嬉しいけど、もう一つの理由が不純だろ」
「気持ちはとっても純粋です! あたしじゃダメですか?」
「ダメですかって……バイトのことだよな?」
「バイトも、恋人もです!」
「あー、バイトねぇ。つっても、そんないきなり言われてもなぁ……」
 恋人のほうは無視された。けど、とりあえず今はバイトのほうが優先だ。
 あたしは前のめりになりながら、渋い顔のマスターを見上げて必死に訴える。
「体力には自信ありますよ!」
「別に、体力はそんなにいらないけど」
「時給はいくらでもいいです! むしろなしでもいいです!」
「それはもうバイトじゃないだろ」
「シフトもできるだけたくさん入れます! リハビリない日は毎日来ます!」
「いや、待って。だからそういう問題じゃなくて」
「いいんじゃないですか? 雇ってあげたら」
 そのとき、飛び交うあたしたちのやりとりの間に、ふっと別の声が差し込まれた。
 見ればそれは、カウンターに座ったまま、開きっぱなしの裏口から笑った顔をのぞかせている女性のお客さんだった。
「マスターさん、この前言ってたじゃないですか。店番が一人いれば、朝以外に午後にもケーキが作れるのにって。それに、茶葉の仕入れ日に店を休まなきゃいけないこともなくなるとか」
 思わぬ横槍に、マスターは苦笑いで店内を見る。
「あの、お客さん。それは確かに言ったかもしれないですけど……」
「可愛い女子高生が看板娘になってくれたら、来客も増えるかもしれないですよ。たとえ動機が不純でも、マスターさんが大人の対応をすれば、問題はないわけですし」
 どうやらこの女性は、あたしの肩を持ってくれているようだった。マスターが人手を欲していたというのも朗報だ。
 勢いづいたあたしは、ここぞとばかりに頭を下げる。
「お願いします。お願いしますお願いしますマスター!」
 まさか二方向から言われるなんて思ってもみなかったのだろう。マスターは返す言葉に困った様子で「えぇ……」とか「あー」とか「うーん」とか唸っている。
 しかし結局最後には、頭をどんどん低くしていくあたしを見て根負けしたようで「はぁ」と諦めにも似た表情を見せた。右手でガシ、と頭を掻いて。
「まあ……手伝いが一人いたらいいと思ってたのは、本当だしな……」
「ありがとうございますっ!」
 顔を上げたあたしは、言うが早いか、前のめりのままマスターに飛びつこうとする。
 けれどマスターは、それをするりとかわしてしまい。
「んじゃ手が空いたら面接するから、適当に座って待ってて」
 そしてマスターが店に戻ったと同時に、ちょうど女性客の「お会計をお願いします」という声が聞こえた。あたしは名も知らぬその女性に心の中でお礼を言いながら「あたしが承ります!」と元気よく返事をしてマスターのあとに続いた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~

絹乃
キャラ文芸
陸翠鈴(ルーツイリン)は年をごまかして、後宮の宮女となった。姉の仇を討つためだ。薬師なので薬草と毒の知識はある。だが翠鈴が後宮に潜りこんだことがばれては、仇が討てなくなる。翠鈴は目立たぬように司燈(しとう)の仕事をこなしていた。ある日、桃莉(タオリィ)公主に毒が盛られた。幼い公主を救うため、翠鈴は薬師として動く。力を貸してくれるのは、美貌の宦官である松光柳(ソンクアンリュウ)。翠鈴は苦しむ桃莉公主を助け、犯人を見つけ出す。※表紙はminatoさまのフリー素材をお借りしています。※中国の複数の王朝を参考にしているので、制度などはオリジナル設定となります。 ※第7回キャラ文芸大賞、後宮賞を受賞しました。ありがとうございます。

絶世の美女の侍女になりました。

秋月一花
キャラ文芸
 十三歳の朱亞(シュア)は、自分を育ててくれた祖父が亡くなったことをきっかけに住んでいた村から旅に出た。  旅の道中、皇帝陛下が美女を後宮に招くために港町に向かっていることを知った朱亞は、好奇心を抑えられず一目見てみたいと港町へ目的地を決めた。  山の中を歩いていると、雨の匂いを感じ取り近くにあった山小屋で雨宿りをすることにした。山小屋で雨が止むのを待っていると、ふと人の声が聞こえてびしょ濡れになってしまった女性を招き入れる。  女性の名は桜綾(ヨウリン)。彼女こそが、皇帝陛下が自ら迎えに行った絶世の美女であった。  しかし、彼女は後宮に行きたくない様子。  ところが皇帝陛下が山小屋で彼女を見つけてしまい、一緒にいた朱亞まで巻き込まれる形で後宮に向かうことになった。  後宮で知っている人がいないから、朱亞を侍女にしたいという願いを皇帝陛下は承諾してしまい、朱亞も桜綾の侍女として後宮で暮らすことになってしまった。  祖父からの教えをきっちりと受け継いでいる朱亞と、絶世の美女である桜綾が後宮でいろいろなことを解決したりする物語。

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

ある老人の残した日記帳

大神達磨
キャラ文芸
 亡くなった老人の日記帳の内容です。  日記ノベルと言う形を取って書かせて頂いているので、通常の小説と言うよりは日記を読んでいる感覚で読まれると楽しめると思います。 (この作品はフィクションであります、現実の人物団体に関係は有りません。)

フリー声劇台本〜モーリスハウスシリーズ〜

摩訶子
キャラ文芸
声劇アプリ「ボイコネ」で公開していた台本の中から、寄宿学校のとある学生寮『モーリスハウス』を舞台にした作品群をこちらにまとめます。 どなたでも自由にご使用OKですが、初めに「シナリオのご使用について」を必ずお読みくださいm(*_ _)m

あなたと恋に落ちるまで~御曹司は一途に私に恋をする~ after story

けいこ
恋愛
あなたと恋に落ちるまで~御曹司は一途に私に恋をする~ のafter storyになります😃 よろしければぜひ、本編を読んで頂いた後にご覧下さい🌸🌸

ショートショート

真白 悟
キャラ文芸
真白悟による超短編集です。 他サイト(カクヨム、ノベルアップ+、小説家になろう、マグネット等)に投稿したものや、今まで書き溜めておいたものを気まぐれに投稿して行きます。 基本的には一話完結ですので、どこから読み始めても問題ないかと思います。ジャンルはバラバラなので、ジャンル毎に分ける努力はしますが、ジャンルエラー等ございましたら申し訳ございません。 長編小説を読みつかれたという方や、空き時間に少しだけ読みたい! という方はぜひご覧ください。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

処理中です...