アデルの子

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第二章 深窓の君

68. 儀礼

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 アスコットタイにクローデルの紋章があしらわれたタイリングを付け、形を整える。

 傍に控えていたテイラーが恭しくフロックコートを広げた。僕は少しだけ微笑み、真新しいそれに袖を通す。このフロックコートは、生地からオーダーメイドで織られたもので、僕の徽章である笹百合をモチーフとした優雅な柄が織られている。さらにその上からクローデルの紋章をモチーフとした同糸の繊細な手刺繍が施されていて、途方もなく手の掛かった美しいジャケットだ。

 僕がジャケットを着ると、テイラーは背肩幅や袖丈が合っているか確かめる。

「窮屈な所はございますか」
「いや、とても着心地が良いよ」
「そうですか、よろしゅうございました」
「何度も手直しありがとう、大変だったでしょう」
「いえ、ティト様の日々のご成長を感じられて嬉しいばかりでございました」
「うん、本当にありがとう」

 僕は鏡に映る自身を眺める。今日の僕は上下ともに白を基調とした正装に身を包み、髪をかき上げている。いつもとはだいぶ違う雰囲気だ。

 僕がゆっくりと振り返ると、長年クローデル家の仕立てを行っているテイラーは、目にしわを寄せて、おめでとうございます、と深く礼をした。





 身支度を終え、使用人たちのおめでとうございます、の声に応えながらホールに出る。
 どこか慌ただしい雰囲気のホールには、すでにレヴィルが待っていた。魔力障りが落ち着き、復調した彼は凛とした佇まいだ。レヴィルは僕の姿を見ると、眩しそうに目を細めた。

「……ああ、似合っているな」
「ありがとう」
「もっと良く見せてくれ」

 レヴィルは僕の手を取り、ゆっくりと僕の姿を上から下まで眺める。

「かっこいいな。成人おめでとう、ティト」
「ありがとう、レヴィル」

 僕たちはハグをして、お互いの頬にキスを落とした。

「ティト、支度が終わったんですね」
「リノ」

 リノが少し遅れてホールにやってくる。彼は僕と同じように正装をしているが、上から下まで真っ白な装いの僕とは違い、ライトグレーの落ち着いたフロックコートを身に着けていた。
 彼は嬉しそうに微笑むと、レヴィルと同じように手を取り、僕をくるりと回る様に導いた。少し照れ臭いが、僕は彼の手にしたがってゆっくりとターンをする。素晴らしい意匠が施されたフロックコートがふわり、と揺れた。
 レヴィルとリノが僕を見つめ、柔らかく微笑む。

「ああ、とても似合っていますね、すごく素敵です」
「ふふ、ありがとう」
「テイラーはまたサイズが合わなくなったかと、ひやひやしただろう」

 僕はレヴィルの言葉に苦笑して頷く。

 今日は僕の成人の儀礼の日だ。僕が身に着けている装いは、社交界デビューをするものが身に着ける真っ白な正装だった。
 今日の為にお抱えのテイラーは心血を注いで正装を仕立ててくれたが、僕の背が伸びる速度が速すぎて、何度も調整をして貰うことになってしまった。今日は最終確認として念のため来てくれていたが、何も直しがなくてきっと彼も安心しただろう。


 しばらく僕の衣装を2人にお披露目していると、黒の揃いのお仕着せを着たテディとジェイデンが静かに歩み寄った。

「ティト様、馬車の準備が整いました」
「分かった、ありがとう」

 僕は頷くとレヴィルに向かって姿勢を正し、礼をする。
 いよいよだ。いよいよ、僕は今日からアデルの役目を務める事になる。

 顔を上げると美しいダークブルーの瞳がまっすぐに僕を見ていた。

「行ってまいります」
「……ああ、いっておいで」

 レヴィルはゆっくりと目を細めると、僕を抱きしめる。

「……愛してるよ、お前なら大丈夫だ」
「ありがとう……僕も愛しています」
「うん……」

 彼は僕の頬に手をやり、口づけを落とした。周りにはリノも、テディもジェイデンも、他の使用人もいたが、レヴィルは気にしていないという風に僕の唇を啄む。僕はレヴィルの腰にそっと手を添えて、その唇に応えた。
 しばらく口づけをした後、そっと唇を離すと、隣にいたリノが困った様に笑った。レヴィルも釣られたように少し笑ってリノの方へ振り向く。

「リノも、頼むぞ」
「ええ、承知いたしました」

 僕はすっとリノに向かって手を差し出した。

「いこう、リノ」
「はい」

 僕とリノは、レヴィルに向き直ると片膝を折り、彼へ挨拶をする。彼は静かな表情で頷き、僕たちを見送った。






 成人の儀礼が行われるのは、王都の中心に位置する王宮だ。
 この国の名家の子息は、国王陛下に謁見し挨拶ができる立場になる事で、1人前と認められ社交界に参加することができるようになる。これは王族、貴族、爵位や称号を持った上流階級の名家の出身者だけが行う儀礼で、労働階級の者たちは教会で行う儀礼を終えると成人したと見なされるらしい。

 宮殿へまっすぐに続くプラタナス並木の街道を進み、広場に出る。そこは大理石とブロンズで造られた二柱の神と初代国王の彫像が建立されており、その正面に荘厳な正門が鎮座していた。
 僕たちの馬車は、正門前でゆっくりと止まる。御者が衛兵と会話をするくぐもった声が聞こえ、しばらくすると重厚な正門が開いて馬車が進んだ。




 いくつかの検問を超えて、宮殿内に入る。今まで正門越しに見ていたそれは、近くで見ると思っていた以上に大きかったが、中は本当に圧巻の空間だった。
 僕たちが通されたグランドホールは、壁に優雅なテキスタイルや彫刻が施され、スタッコ装飾が美しい天井からは荘厳なシャンデリアがいくつも輝いていた。床にはうっとりとするような素晴らしい手織りの絨毯が一面に敷かれ、豪華絢爛と言っても良いはずだが歴史的な調度品が飾られ、品があるその場所は王家の威厳が漂う格式ある雰囲気であった。

 僕はその圧巻の光景に、ほう、と息を吐く。
 ホール内には軍服を着た衛兵や勲章を身に着けた要人が多く目についたが、ちらほらと白い装いを身に着けた若い男性の姿も見える。

 僕とリノが3歩ほどホールに足を踏み入れると、入り口に立っていた侍従が朗々と声を上げた。

「クローデル侯爵家ご次男、ティト・クローデル様。ウィッグス伯爵家ご次男、リノ・ウィッグス様!」

 その瞬間、ホール内にいた人々の会話が止まり、ざっ、と視線が集まった。

 急に集まった視線に呼吸が止まりそうになる。
 僕は意識的に軽く息を吐き、リノに向き合った。少しだけ口角を上げて、彼に手を差し出す。彼はそっと僕の手を取ると優しく微笑んだ。まるで大丈夫、と言ってくれている様だった。

 僕たちはゆっくりとホールを進む。さすがに視線を上げる事は難しくて、おどおどとしてしまわない様に深く呼吸をする事を意識するので精一杯だ。
 深窓の君と呼ばれる僕は、社交界で名前だけは広まっている。きっと僕がどんな姿なのか見てみたい好奇の目が集まっているのだろう。人々の間を縫う度、視線が向けられているのを感じる。


 静々とホールを進み、人が少ない場所で立ち止まった。周りの人々は遠巻きに僕たちの様子を見ているが、今の所話しかけに来る人はいない。リノは向き合って僕を見上げると、小さな声で口を開いた。

「大丈夫そう?」
「ん……でも、あまり周りは見れないかも」
「うん、大丈夫、すごく頑張れているよ」

 僕が小さく頷くと、リノは褒める様に僕の腕を撫でた。ざわざわとしたホールでは、僕たちの小さな会話は聞こえないだろう。僕はふう、ともう一度息を吐いて心を落ち着かせるように心がける。
 リノはぽつぽつと周りの状況や、ホールの景色についての話を振ってくれた。

「後でカイザーリング伯とハリス様も来てくださると思う。さっき目があったから」
「そう、もう来てるんだ。気が付かなかった」
「ふふ、少し見てみる?ハリス様すごく素敵だよ」
「う、ん」

 リノはゆっくりと視線を動かした。僕は少しだけ勇気を振り絞ってその視線を負う。視線の先には何人もの人が居たが、視線を泳がせると一際目を引く人物が目に入った。
 格式高い重厚感のあるホールの中、そこだけ月の光が落ちている様なアッシュブロンドに、輝く白の装い。遠くに居ても分かる清廉な美しさと柔らかな気配を纏っているハリスがいた。

 彼はカイザーリング伯爵と何かを話していたようだったが、母に言われたのか途中で僕たちの方に顔を上げる。目が合うと彼はぱっと顔を輝かせて、嬉しそうに微笑んだ。

「……本当だ、すごく綺麗だね」
「ふふ、そうだね」

 僕が落ち着くまで待っていてくれたのか、しばらくするとカイザーリング伯とハリスはゆっくりと僕たちの方へ移動してきた。周りの視線が彼らに集まるのを感じるが、彼らは気にすることもなく優雅に僕たちの所まで歩み寄り、礼をした。

「ティト様、ご成人おめでとうございます」
「ハリス様も、ご成人おめでとうございます」

 僕も彼らと同じように礼をする。近くで見るハリスは白の正装が映えて、とても美しかった。彼は僕と目が合うと少し恥ずかしそうに笑う。

「ティト様、すごくかっこいい」
「ありがとう、ハリスもすごく綺麗だ。花も付けてくれてありがとう」

 ハリスの胸元には僕と揃いの”花”が付けられていた。白い花と緑の花が繊細にあしらわれた品の良いコサージュは僕が贈ったものだ。ハリスは僕の胸元に同じ様に付けられている花を見ると嬉しそうに笑った。

 今日の成人の儀礼は、国王陛下に挨拶をする式典と、新成人のお披露目を兼ねる舞踏会の2部構成になっている。舞踏会はただ踊るだけではなく、セックスをして純潔を散らす所まで含まれていて、成人を迎える僕たちは必ず誰かと一夜を過ごさなくてはいけない。
 揃いの”花”を身に着けた僕たちは一夜を過ごす相手をもう決めている事を示す証になる。
 今夜、僕はハリスと一夜を過ごすのだ。



 ハリスの横に立つカイザーリング伯爵は、穏やかに僕たちを見守っていたが、僕と目が合うとゆっくりと口を開く。

「今日はよろしく頼むよ」
「はい、本日はハリス様との舞踏会の同行をお許しいただきまして、ありがとうございます」

 僕は片膝を折り、挨拶をする。カイザーリング伯は僕をまじまじと見つめると、優しく表情を緩めた。

「大人になったな」
「は、ありがとうございます」
 
 顔を上げて、その顔を見る。こうやってまじまじとカイザーリング伯と顔を合わせる機会はそこまでなかったかもしれない。
 カイザーリングの瞳は、母を思い出すような、優しいまなざしをしていた。


 僕は強引に自身の子息と引き合わせようとするこの人に、少し苦手意識を持っていた。
 でも今なら分かる。きっとカイザーリング伯は自分の子に悲しくて苦しい夜を過ごさせたくなかった。だから、せめて少しでも好意のある相手と初めての一夜を過ごせるように、強引とも言ってもいい方法で僕とハリスを引き合わせていたのだろう。

 彼は僕を見つめ、穏やかに頷くとゆっくりと口を開いた。

「ハリスを頼んだぞ」
「はい」

 僕はもう一度、彼に深く、深く礼をした。





 リィイン、と鈴が鳴る。
 音の方へ視線を向けると、ホールの入口に立つ侍従が恭しく鈴を掲げていた。

「謁見の準備が整いました。お名前をお呼びした方より、順次謁見の間へお進みくださいませ」


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