アデルの子

新子珠子

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第二章 深窓の君

56. 温もり

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 暖炉の炎がパチ、と音を立てた。ひら、ひら、と燃える炎は居間を温め、あたりを赤く照らしている。
 僕は穏やかな心持ちでその炎をぼんやりと見ていた。今日は久しぶりに稽古や出かける予定もなく、僕は屋敷でのんびりとしていた。

 すると居間にリノが入ってくる。彼も今日の仕事を片付けたのだろう、手には飲み物が乗ったトレイを持っていた。

「ティト、エッグノックを淹れてもらいました、一緒にどうですか?」
「うん、ありがとう、いただくよ」

 リノはトレイを暖炉前のローテーブルに置くと、マグカップの一つを僕に渡してくれた。僕がそれを受け取ると彼はゆっくりと僕の隣に座る。

 ミルクをベースに卵の黄味がかった優しい色味の飲み物にシナモンスティックが添えられて、優しくスパイシーな香りが漂う。僕はふう、と息を吹きかけ、口を付けた。控えめな優しい甘味が口に広がる。

「……美味しい」

 僕が少し微笑んでそう言うと、リノも微笑んで隣に座り、同じように口をつけた。

「今日はもう勉強は終わったんですか?」
「うん、リノは?」
「僕もです」

 リノは微笑んでそっと僕にもたれ掛かった。僕も彼に身体を預け、お互いの温もりを感じながら暖炉の炎を眺める。

「ゆっくり出来るのは久しぶりだね。」
「うん、……嬉しい」

 リノは僕の肩に頬を乗せて、甘える様に僕を見上げた。僕は微笑み返して、彼に口付けをする。
 唇を離すとお互い少しだけはにかみ、また飲み物に口を付けた。僕たちは暖炉の火を眺めながらゆっくりと時間を過ごした。




「……ティト」
「ん?」

 飲み物を大体飲み終え、手を繋いで過ごしていると、僕に寄りかかっていたリノがそっと顔を上げていた。

「昨日はレヴィルと一緒に寝た?」
「…………うん」

 リノの口調は柔らかくて責めるような雰囲気ではなかったが、一緒に眠る順番を守っていないと言う後ろめたさから、急に心臓が跳ねる様な気持ちになる。

「セックスも……した?」
「………………うん」
「……そっか」

 リノは自分を納得させるかの様に小さく何度か頷いた。その仕草は健気で、僕は罪悪感で気持ちがぐるぐるとし始める。

「っごめん……約束を守っていなくて……その……」

 僕が何か言おうとしどろもどろになりながら口を開くと、リノがそっと僕の唇に指を乗せた。

「大丈夫、レヴィルの気持ちも分かるから……大丈夫だよ」

 彼はあまりにも優しい声でそう言うと僕の頬をそっと撫でた。

「悪い事はしてないんだから謝らなくていいんだよ」

 それ以上は何も言えなくて小さく頷くと、リノは困った様に笑い、僕の唇に軽くキスをした。

「…………でも……本当はレヴィルがすごく羨ましいって気持ちはいつもあるんだ」

 彼は僕の髪を優しく撫でながら、もう一度ゆっくりと唇を近づける。彼の唇は薄く開かれていて、榛色の瞳はゆらゆらと揺れていた。

「うん……」
「謝らなくていいから…………キスして……」

 甘える様な声でリノが僕の髪をくしゅと撫でたのを合図に、僕たちは深く舌を絡ませ合った。











――――――――――――――――――


 僕が精通を迎えてから、ずっと軽くキスを交わす程度で我慢をしていたせいか、僕はいつの間にかリノに押し倒され、お互いに腰を擦り付け合い、深く何度も何度もキスをしていた。

 満足するまでキスし合うと、リノは先ほどよりは落ち着いたのか、どこか安心した様な表情で僕の髪をゆっくりと撫でる。

「……ティト、キスがすごく上手になったね」
「ええ……そうかな……」
「ん……前から上手だし、気持ちよかったけど……今は蕩けちゃいそう」

 そう言って蕩ける様に微笑んで僕の胸に擦り寄る彼は、あまりにも無防備だ。僕はむくむくと湧いてくる欲望を諫めて、誤魔化す様に微笑む。

「それは……嬉しいけど……僕が上手と言うよりはフェロモンが出るようになったからじゃない?」
「ふふ、フェロモンもいい匂い、大好き」
「……うん、ありがとう」

 僕が恥ずかしげに笑うとリノは戯れる様に僕の胸に頬を寄せた。


 しばらくそのままの体勢で過ごしていると、やがてリノがそっと僕を見上げた。

「僕……少しティトに相談があるんだ」
「ん?何かな」

 彼は頬はキスをしたせいか紅潮していたが、表情は真剣だった。

「最近のレヴィルの忙しさが少し異常なのは気付いてる?」
「…………うん、僕が成人してからだよね」
「そう、ティトと関係を持ちたい家からの招待がかなり増えて、レヴィルは今までの交友関係に加えて、今は1日に夜会を2件回る事もあるんだ……」
「……そう……だったの」

 僕は驚きが隠せず、思わず言葉を濁す。
 レヴィルは僕への関係打診の話を僕に話す事をすごく怖がっていて、余り話そうとはしない。僕も無理に聞く事もしなかったのだが、まさかそんな無理なスケジュールをこなす程だとは思っていなかった。

「……レヴィルは他の家長より忙しそうに思わない?」
「うん……」

 リノはゆっくりと耳に髪を掛けると、視線を落とし伏し目がちになる。

「レヴィルは20歳で家督を引き継いだ時に、自分はまだ未熟だから、まずは全体の流れを理解したいと言って、僕やアズレトがやるべき仕事もいくつか引き受けたんだ。今まではそれでも何とか成り立っていたけど……それを手放さずにティトの関係の窓口も全て自分がやりたいと言い始めて……今はかなり無理をしているの。」
「……そう……」
「今の状況が続けば……いつかレヴィルが身体を壊してしまうと思う。……だからティトとの縁を持ちたい人達の窓口を僕が引き受けたいんだ。まだレヴィルは嫌がっているんだけど……何とか説得をしてみるつもり。」

 僕が引き受けてもいいかな?と彼は心配そうに僕を見上げた。

 今の状況になっても、純粋にレヴィルの事を心配してくれる彼の心根に、言葉に言い表せない気持ちが込み上げる。僕はすぐには言葉が出なくて、小さく頷いた。

「……ありがとう……リノに負担をかけてしまってごめんね」
「ううん、そんな事ない。むしろティトとの関係を持ちたい人達と直接お会い出来るのは、僕としても安心するから」

 リノはそう言うと柔らかく微笑んだ。

「でも、僕が窓口を引き受けると、レヴィルも僕も夜会に出る日が出てきてしまうと思う。ティト1人で食事を取らなくてはいけない日も出てきちゃうと思うんだけど……大丈夫かな?」

 彼の声色は少し心配そうだった。たしかに少し前の僕は、食が細い上に1人で摂る食事がすごく苦手だった。それをずっと側で見ていた彼は、また僕が食事が苦手になるのではないかときっと心配なのだろう。

「大丈夫だよ、ここの食事は本邸に負けないくらい美味しいから1人でも沢山食べてしまうと思う。」

 僕が笑ってそう言うと、リノは安心した様に頷いた。

「レヴィルの帰りが遅い時は、ジェイデンを食事に誘っても良いからね。ヤキモチ妬いちゃうだろうからレヴィルが忙しい内はまだ秘密にしておいて欲しいけど」
「……え?」

 僕は突然出てきたジェイデンの名前に首を傾げた。僕が要領を得ないでいると、彼もきょとんとした顔をする。

「ジェイデンの事、気になっているんでしょう?」
「…………え……え?」
「……ティトはよくジェイデンの事を目で追ってるし、気に掛けてるから……そうなんだろうって思って、たんだけど……」

 リノはさらっとそう言ったが、僕が明らかにびっくりした様な顔で固まっているのを見て、段々と声が小さくなる。

「……違った?」

 リノは首を傾げ、僕の様子を伺うように腰に腕を回した。
 僕はジェイデンに二度もキスをしてしまった事がバレたのかと思い、どっと背中に嫌な汗を掻いていた。いや、きっと誰にキスをしたとしても彼にはきっと怒られないのだが、僕自身がジェイデンにキスをしてしまった事に対して後ろめたさを持っているせいか、何だか無意識にバレたくないと思っていた。
 彼は僕の様子が急におかしくなったのが分かったのか、不安そうに僕を見上げる。

「……ティト?」
「……いや……その……正直……分からないんだ」
「分からない?」
「……ジェイデンに対して抱いている感情が何なのか、自分でも分からない……僕は彼の事が気になっている……の……かな」

 僕がジェイデンに抱く気持ちは、レヴィルに抱く気持ちともリノに抱く気持ちとも違う。どちらかと言えば罪悪感や、オーウェン公爵に突きつけられた選択肢に重荷を感じていたのが主な感情で、僕はわざわざ誓いを立てて彼自身とどうなりたいか考える事を避けているくらいだった。

 正直、リノに指摘されるまで、彼の事を目で追っていた自覚もなかった。僕は自分の行動と感情をちゃんと結びつけられなくて、またぐるぐると思考が空回りしてしまいそうになる。

「……ティト」

 思考の海に溺れそうになっていると、リノがそっと僕の頰に触れた。温かい彼の両手が僕の顔を包む。

「大丈夫、そんなに焦らないで。ティトはまだ14歳なんだから、色んな事にゆっくり気付いて行けば良いんだよ……ティトはもう成人を迎えたけれど、すぐに全ての事に大人にならなくちゃいけない訳じゃない」

 そう言った彼の声は本当に優しかった。

「だからジェイデンの事もすぐに答えを出さなくて良いんだよ。僕が早とちりして不安にさせちゃったね、ごめんね」

 リノは優しく僕を抱きしめた。彼に触れられていると不思議と不安な気持ちが和らいでいく。

「それで……良いの……かな……」
「うん、大丈夫、大丈夫だよ……一緒に失敗したり成功したりしながら大人になろうね。」

 それはまだ僕が前世の記憶を取り戻したばかりの頃に掛けてくれた言葉と同じだった。彼の言葉はいつでも僕の心をじんわりと温かくさせてくれる。
 僕は泣きそうになる顔を誤魔化す様に小さく頷いて、彼を抱き返した。


 その温かさに包まれながら、ああ、僕はリノが好きだ、とはっきり腹に落ちた気がした。


 僕は彼の匂いに包まれながら、王都に来て初めて、少しだけ涙を溢した。
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