アデルの子

新子珠子

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第二章 深窓の君

47. 父と子

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 窓の外から屈託のない明るい子供たちの笑い声が聞こえる。2階から少し外を見下ろせば中庭にまだ十もいかないであろう子供たちが2人、リノの手を引っ張り何かを話している姿が見える。リノが笑って何度か頷くと彼らは勇んで中庭の中央に向かい、座って何かをし始めた。
 中庭と地続きのサンルームでは、エリクが温かいケープを身に纏い、ウッドチェアに腰をかけて、その様子を穏やかに見守っているようだった。
 時々きゃっきゃと子供たちの笑い声が響く。それはとても明るくて幸せな音の様に思えた。




 僕はその柔らかな光景から視線を戻し、オーウェン公爵の方を向く。

 僕と公爵は彼の書斎に来ていた。僕は彼に勧められ、応接セットに腰を掛ける。
 従僕がコーヒーを入れ、静かに退室をしていった。

 また階下からの笑い声が聞こえ、公爵は窓の方を向いて穏やかに目を細める。

「2人とも今朝は私と遊びたいと駄々を捏ねていたんだが、すっかり忘れられてしまったようだ。」
「貴重な家族の団らんの時間を割いていただいて申し訳ありません。」
「何を言っているんだ、お前も家族だろう。」

 その言葉には裏表はなく、温かさしかなかった。
 僕はその言葉の居心地の良さを受け止めきれず、ありがとうございますと答え、話題を切り出す。

「お子様は2人ともエリク様のお子ですか?」
「いや、下の子は兄のルークの子だ。あれらは母を早くに亡くしていてな。私が親として至らないせいで中々子も授からなかったんだ。」

 そう静かに答える公爵に僕は何と返事をしていいか分からず、曖昧に頷く。すると、それを察したのか、公爵がふ、と表情を緩ませた。

「孫たちの父親は私ではないよ。」
「そうなんですか…」
「ああ、お前に胸を張れる様な生き方はできなかったが…実子と関係を持つ事だけはしなかった。」

 彼の歩んできた道は、僕が進むかもしれない道だ。近親交配のリスクがないと言っても実子にも手を出さなくてはいけないのであれば、あまりにも残酷だと思っていた。

 ほっと力を緩めた事で、自身の身体が強張っていた事に気付く。僕が安心したのが分かったのか、公爵は小さく頷いた。





「これから…どうすべきか……でしたよね。」
「ああ、そうだな。」

 オーウェン公爵はコーヒーカップを手に取り、その香りを楽しむ様にゆっくりと口にした。僕も同じ様にコーヒーを口にする。


「…ティトは…世界情勢の勉強はしているか?」
「はい。」
「…そうか…勉強をしていて、お前はどう思った?」

 僕は突然の質問に戸惑う。彼は穏やかに笑って僕の様子を見ていた。


「…人類社会は……いずれ崩壊するのではないかと感じました。」

 僕は正直に思っている事を口にした。
 アデルの減少はこの国だけの問題ではない。この世界中で起きている問題だ。そしてどの国でもこの問題を抜本的には解決できてはいない。このまま行けば国と言うものが成り立たなくなり、社会が崩壊する可能性は高い。

 公爵は僕の答えに静かに頷いた。

「…そうだな、お前の考えは正しい。
このまま行けばいずれ社会は崩壊する。おそらくそれは、そう遠くない未来だ。

これから先、明確な打開策が出ない限り、体力のない国から滅んでいくだろう。
この国でも出生率は年々落ちて、人口は減る一方だ。領民がいなくなり、成り立たなくなった領地はいくつもある。……政治体制も…どんどんと貴族が減り、内府や議会の機能は縮小の一方だ。今では殆ど国王の権限によって国は動かされている。このままでは国として成り立たなくなるのは遠くないだろう。」

 それは僕自身も感じていた事だった。この国ではアデルを守るために隔離という処置を取った。それによって他国の様な内紛や治安の低下は起きていないが、人口低下の歯止めは効いていない。
 滅びは確実に忍び寄ってきていた。

「……公爵は…どのようにお考えなんでしょうか。」
「…今のまま…アデルを保護し、寄付の出生率も上がらない状況が続けば必ず終わりが来る。どこかでそれを打破する必要があるだろうな。
…私は残りの生涯をかけて…その問題に力を注ぐつもりだ。自身の血肉を注いででも必ず次の世代へ繋ぐ…それが私の残された使命だと思っている。」

 その言葉にはどこまでも強い、確かな意思が感じられた。

 かつてこの国は西方の隣国と戦争状態にあった。
 アデル風邪の大流行によって世界中が混乱した時勢に、その戦争を終わらせ、さらには各国との同盟を強化する事が出来たのは、この国が最初にアデル風邪のワクチンを開発した功績からだった。
 開発したワクチンは国内で絶大な効果を発揮し、惜しみなく他国にも分け与えられた。今では世界中に行き渡り、長い時間を掛けて人類はアデル風邪を克服している。

 次の世代に繋いで行くためには、それに値するような大きな何かが必要なはずだ。
 それは果てしなく途方もない話に思える。それでも目の前にいるこの人からは本当に成し遂げようとする意志しか感じられなかった。



 僕はその強い意志に気圧される様だった。中々自分の言葉が出ず、しばらく押し黙り言葉を探す。ゆっくりと顔を上げると、公爵は僕の言葉を待ってくれていた。
 僕は乾き切った舌を潤す様に、こくりと唾を呑み、口を開く。

「………僕は……この世界の状況を…理解すればするほど…僕が何人ものエバを妻にして子を作ったとしても…この世界のためには本当に限られた貢献にしかならないのではないかと…感じていました。
…でも…少し前まではそれで良いんだろうと思っていました。僕は弱くて何もできない出来損ないのアデルです。せめてその役目だけは果たせる様になれれば、それで良いと…」

 僕は喋りながら自分の声が震えている事に気付いた。国政を動かす立場にあった英雄たる人に、ただの14歳のアデルが意見を述べるなんて余りにも畏れ多い事だ。
 それでもセレダの言葉が、ジェイデンの忠誠が、頭をよぎってしまうと、弱くて何も出来ないままの人間として逃げ込むことは出来なかった。僕は無意識の内にベスト越しに懐中時計に触れて、必死に言葉を探していた。

「…けれど……今は…それだけでは駄目なんじゃないかと思っています。
貴方の様になれるとは思えない…でもこの世界の役に立つ為に出来ることがあるならば、努力をすべきだ。貴方と同じ視点に立つために、走り続けるべきだと……今は…そう思います。
…いや、そう思わなくてはいけないと…思っています。」

 嘘がつけず、思わず言い直してしまった。バツが悪く、僕は少し視線を落とす。

「僕は…まだ人が怖いと感じる時があります。王都でまた生活をしていけるかどうかも、これから挑戦をしていきます。実際に社交界で自分がどんな立場なのかもピンと来ていない。とても今すぐ貴方と共に歩みたいと言える状況ではありません。
でも…それらの状況を受け入れて、克服できたのなら、僕は貴方と共に同じ世界を見たいと……そう、思います。」

 公爵はゆっくりと目を細めた。

「……そう思わないといけないと…思っている…か」
「………はい」

 この人は、僕がこの先どうしていくべきかを話し合う時に、世界情勢の話題を切り出す様な人だ。父親である前に、この国に身を捧げている国家の人であるのだと思う。
 別にそれに対しての不信感はなかった。ただ、そんな人に偽善で嘘は付けないと言う思いがあるだけだ。

「そうか……」

 彼は静かにそう呟いた。

 階下から、わっと子供たちの笑い声が響いた。何か面白い事があったのだろう。ころころと子供たちの笑い声が書斎に響く。


「お前が出した答えは…私が望んでいた答えだ。お前と共に歩めればどんなに良いだろうと思っていた。」

 公爵は眩しそうに窓の外を見やった。

「だが………俺は結局………お前に父親として何もしてやれないんだな……」

 その横顔は何処か寂しげな雰囲気だった。

「……それで…いいのだと思います。貴方はこの国を導くお方です。僕の父親として…力を注ぐより、やっていただかなくてはいけない事がたくさんある。それだけなのだと思います。」



 僕が静かにそう答えると、公爵はゆっくりと顔を伏せ、骨張った大きな右手を額に当てた。

「…そうか…………」

 彼は泣いている訳ではなかった。けれど、僕は彼の姿を直視していられず、そっと窓の外に視線を移す。




 僕はこの人が親として感じる幸せを奪ってしまっているのだろうか。

 どこまでも国の為に走って来た人に、自分が立志する為に、父親として立ち止まるなと言う。それで本当に良いのかは僕には分からなかった。
 ただ僕が口にした言葉は、セレダが僕に口にした思いと同じ鋭さを持って彼に届いたのだろうと思った。





 子供たちの笑い声が響く。




 窓から差し込む光は柔らかく、僕たちの足元に穏やかな陽だまりを作っていた。



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