アデルの子

新子珠子

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第一章 静かな目覚め

42. 成人

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 翌朝、僕はいつもの通りに、辺りが明るくなる気配で目を覚ました。

 けれど、全身が怠く、中々身体を起こす気になれない。それに顔が熱いし、頭も痛かった。この感じは熱があるだろう。
 ここ最近はずっと体調が良かったので、もう大丈夫だろうと思っていたが、僕の心因による体調不良癖はまだ完治していない様だった。ひ弱な自分が情けなくて、身の置き場のない様な気持ちに襲われる。泣きそうな気分になりながら僕は息を吐いて何とか身体を起こした。

 昨日はレヴィルとリノに何も説明せずに部屋に篭ってしまった。それにジェイデンやセレダが大丈夫だったか確認をする余裕もなかった。今は寝込んでいる訳にはいかない。怠い身体を動かし、ベッドから足を下ろした。
 すると控えめにノック音がして、ゆっくりと寝室のドアが開いた。

「ティト、もう起きてたんですね、体調はどうですか?」

 部屋に入って来たのはリノと従僕だった。従僕だけだったら良かったのに、と内心では思いつつ、僕は体調不良を悟られないように、微笑んで頷く。

「おはよう、体調は大丈夫だよ。」

 僕はいつも通りに返事をしたつもりだった。
 けれどリノは僕の顔を見た途端に訝しげな顔をして、歩み寄り、額に手を当てた。そしてすぐに眉を寄せる。

「……体調が悪い時は嘘をつかないでって言ったでしょう?」

 少し怒ったような低い声だった。あっという間にベッドに押し返され、寝かされそうになる。
 ここで折れる訳にはいかなくて僕は慌てて抵抗をした。

「リノ、待って、僕…昨日の事なにも話が出来てないんだ…ちゃんとさせて…。」
「ええ…でも貴方の体調が一番優先です。もう少し休んでから話を聞かせてください。」
「ダメだよ…ジェイデンやセレダにも迷惑がかかる。僕が勝手なことをしてしまっただけで、彼らは本当に何も悪くないんだ。」                                              

 従僕は僕たちが話をしている間に、礼をして慌てて部屋の外に出て行った。きっとレヴィルやアズレトに報告が行くのだろう。僕が身体を起こそうとすると、リノがトンと僕の肩に手を添えた。

「昨晩、ティトが休んだ後にセレダと司祭様が来てくれたんです。」
「…そうなの?」
「ええ、ちゃんと昨日の事をお話しいただきました。誰も悪くない事は、僕もレヴィルもちゃんと分かってる。だから大丈夫…少し休んで。」

 僕は思い出したように顔をあげる。

「セレダは大丈夫だった?ジェイデンは?ジェイデンは平気?」
「ええ、ジェイデンは念の為に今日は休養にしてもらいますが、昨夜の時点で体調に問題はないそうです。加護も無事に終わりました。」
「そ、う…」
「セレダも大丈夫。中央医院には加護の見学が終わった事は既に彼から報告をしてもらっています。けれど詳細の説明についてはもう少し状況を整理してから行う事にしました。セレダの立場が危ぶまれないようにレヴィルも僕も対処するつもりです。」

 僕はその言葉に安心して一気に力が抜けた。気力だけで起きていたのか、ずるりと上体をリノに持たれかけてしまう。リノは優しく僕の肩を抱き、ゆっくりとベッドに寝かせた。

「……ありがとう……」
「いいえ、少しは心配が減りましたか?」

 僕は弱弱しく頷いた。自分で引き起こした事を自分で始末を付けれない情けなさは募るが、それでも今は安心の方が大きい。

 リノはそっと微笑んで僕に毛布を掛ける。

「ティトが寝てる間に心配になるような事は起きないから…だから少し休んで。」

 リノの声が優しく響く。

「………ごめん…。」
「大丈夫、今は寝ましょう。」

 リノは僕を髪を愛しそうに撫でる。

 僕の心は罪悪感でいっぱいだったが、限界を迎えて、ゆっくりと目を閉じた。







 その日の午後から、僕はかなりの高熱を出した。慣れっこだと思っていた体調不良がこんなにも辛いと感じたのは久しぶりだったかもしれない。あまりにも熱が高く、魘される日が続いた。

 熱を出して3日目、あまり寝ることもできなくて、ただ熱に浮かされながらベッドに横たわっていると、ノックの音がした。ドアの前には心配そうな顔をしたレヴィルが立っていた。

「…調子はどうだ?」
「レヴィル…」

 レヴィルはベッドへ歩みより、そっと僕を覗き込んだ。優しく微笑み、額に手が乗せられる。彼の姿を見るだけで、安心感と申し訳なさが一気に押し寄せる。

「……すみません…」
「…謝らないでくれ、お前の体調不良は誰が悪いわけでもないだろう?」

 いや……違う、僕が悪い。

 僕はそれを口には出せなくて、緩く首を振ってくしゃりと顔を歪ませた。

「…っ…すみません…」
「…大丈夫だ、ゆっくり休め。」
「はい…すみません……」

 最後の方はもう消え入るような声だった。僕は泣きたくなるのを必死に堪えて、頷いた。
 レヴィルは困ったような顔で微笑む。

「体調不良の時は、気持ちが不安になるよな。…傍にいてやれなくてごめんな。」

 そう言うとレヴィルはそっと額を撫で、ゆっくりと身を乗り出して僕を抱きしめた。

 彼の声と体温の温かさが伝わる。僕はそれまで堪えていた涙がぽろりと零れてしまったのに気づく。

「…ティト……本当は…何か言いたい事があるんじゃないか?」

 レヴィルは優しい声でそう言った。


 心拍数が上がり、身体が緊張する。
 後ろめたさと申し訳なさが一気に込み上げてくる。


 レヴィルは僕の様子がおかしいのにきっと気付いているだろう。けれど何も言わずしばらくゆっくりと僕の頭を撫でた。

 声を出そうとしても口の中が乾き、唇が震えていて、まともに声を出せない。僕はカタカタと歯を震わせながら涙を落とした。

「……大丈夫、無理に言わなくてもいい。大丈夫だよ。」

 レヴィルは宥めるようにそう言った。

「…俺はいつでもお前の味方だ、何も心配はいらない。」

 その声はどこまでも優しく、そして僕への信頼に溢れていた。



 僕は耐えきれなくて唸るように声を零した。
 その唸りは段々と口の端から零れていき、やがて嗚咽に変わった。




「…ごめんっ………僕……っ精通したんだ…!」

 

 その事実を告げるのが精一杯だった。
 僕はレヴィルにしがみつき、慟哭した。


「………そうか、…そうか……大丈夫だ、そんなに泣かなくていい、大丈夫だよ。」

 レヴィルはもしかすると気付いていたのかもしれない。驚いた素振りは見せず、僕をただ抱きしめた。

「っごめん……ごめんなさいっ…!」
「…大丈夫だ、教えてくれてありがとうな。」
「ごめんなさい…っ!!」

 僕は壊れてしまった様に泣きながら謝り続けた。



 加護の見学の日、僕はジェイデンのフェロモンに当てられて初めて自慰をした。
 その時はいつもの様にドライでイッてしまうだけかと思っていた。けれど、いつもと少し感覚が違っていて、…気が付いた時には精通していた。

 僕はその事実が申し訳なくて、誰にも言えないでいたのだった。

「ジェイデンにも…セレダにもっ……本当にっ申し訳ない…ごめんっ……っごめん」

 神聖な加護の場に欲情し、さらにはそれを自慰の材料にして精通までしてしまった。真摯に向き合ってくれた彼らを辱めてしまった様で罪悪感で押しつぶされそうだった。
 それに真っ直ぐな愛を向けてくれていたレヴィルやリノではない相手に欲情し、精通をしてしまった事も申し訳なくて仕方がなかった。


 もう涙を止める事が出来なくて嗚咽しながら、なんとか言葉を絞り出す。

「本当に…ごめんなさい…っごめんなさい…っ」
「…大丈夫、大丈夫だよ。謝る事は何もない、大丈夫だ。」

 レヴィルの声はどこまでも優しかった。僕はもうそれ以上言葉が出なくて、ただただ、わんわんと泣き続けた。




 僕が精通した事が発覚した事で屋敷はバタバタとし始めた様だった。

 今の時代、アデルにとって、精通は成人を意味する。きっと僕の生活は成人を境にガラリと様相が変わっていくはずだ。

 
 けれど僕はまだそんな先の事まで考えられなかった。罪悪感は抱えたままだったが、レヴィルに打ち明けてしまった事でどこか少し安心して、頭の中に泥が雪崩れ込むように重い眠気が襲ってきていた。
 僕はレヴィルに抱かれて久しぶりに数時間しっかりと眠った。







 目覚めるとレヴィルはまだ側にいてくれていた。彼の体温を感じ、安心感からじわりと涙が滲む。僕が起きたことに気付いたのか、レヴィルがゆっくりと身動ぎをした。

「…ティト…起きたのか?」
「うん……ごめんなさい…」

 レヴィルは困った様に笑い、僕の額にキスを落とした。

「大丈夫だよ。まだ身体は辛いか?」

 僕は曖昧に首を振った。しっかりと睡眠とったおかげか先ほどよりは気分が楽だが、熱はまたあるように感じた。
 僕の額に手を乗せたレヴィルもそう感じたのか、心配そうに顔を覗き込む。

「一度…セレダに魔力の巡りを見てもらおうか。体調不良は魔力が原因かもしれない。」
「…セレダ……」

 セレダという言葉に、曖昧だった僕の意識がふっと浮上してくる。

 医者には散々体調を見てもらっていたが、熱を出してからはセレダとはまだ顔を合わせていない。

 加護はどうなってしまったのか、僕はリノから聞いたきりだった。ジェイデンは本当に大丈夫なのか、せっかくの加護を台無しにしてしまって立場的にセレダは本当に大丈夫なのか、ちゃんとセレダの口から聞きたかった。
 それに、なりよりも彼らにちゃんと謝りたかった。僕はようやく思考が回り始めていた。


「………セレダ…会いたい…。」

 何とかそう声を絞り出すとレヴィルは静かに頷いた。

「……分かった。ただ、お前の魔力の巡りを見てもらうために呼ぶんだ。体調に無理をしてまで長く話をすることは許さないぞ。」
「うん…」

 僕は小さく頷いた。

 視線を上げるとレヴィルはじっと僕を見ていた。そのダークブルーの瞳には批難の色はなく、相変わらずとても美しかった。彼は僕を安心させるようにゆっくりと瞳を細める。

「そんな顔をしなくていい。大丈夫だよ。」

 その声はあまりにも優しく慈しみ深い声だった。僕はまたすぐにでも泣いてしまいそうで、ただ頷く事しか出来なかった。

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