アデルの子

新子珠子

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第一章 静かな目覚め

30. 触れる*

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「っレヴィル………。」

 レヴィルのフェロモンに当てられた僕の思考はふわふわと溶けそうだった。
 今すぐに彼を組み敷いて、彼の中に僕の魔力を注ぎたい。隅々まで味わい尽くしたい。そんな思いに思考が支配されそうだった。


「…っ!」

 僕は咄嗟に自分の手を噛んだ。鈍い痛みの感覚を追って、何とか意識を保つ。室内にふー、ふー、と僕の荒い呼吸音が響く。

 突然挙動にレヴィルは驚き、フェロモンの匂いが少し弱まったようだった。


「ティト…?」
「っ……、待って…このまま勢いで…貴方を抱いたら…きっと貴方はまた…自分を、責めるでしょう?」

 僕は荒い息を吐きながらそう言った。もう僕のものは完全に反応してしまっている。

 レヴィルは顔を歪ませて、縋るように僕を見た。

「それでもいい…苦しいんだ……お前に抱かれたい…。」
「…貴方の事は…抱き、ます……でもこんな風には嫌だ…っ、僕は本当に貴方が好きなんですっ……貴方の不安をちゃんと取り除きたい。」

 僕が離れようとすると、彼がぐっと僕を引き寄せた。僕は噛んでいた手を離し、ゆっくりと彼を抱きしめる。

「…レヴィル、大丈夫……貴方の不安はちゃんと僕がなくします。…だから少しだけ…フェロモンを止めて。」

 彼はふるふると首を振る。

「…寝室に移動する間だけ、でいいから…。」

 僕は宥めるように彼の肩をさする。けれど下腹部には硬くなったペニスが当たってしまっていて、僕自身も何が何だか分からなくなりそうだった。

 僕が身動ぎすると、彼は不安そうに僕のシャツをきゅ、と握る。

「…行かないでくれ…。」
「うん…どこにも行かないよ、一緒に寝室に移動するだけ。」

 ね、と僕が彼の顔を覗き込むと、彼は本当に渋々と言った風にフェロモンの匂いを弱めた。

 僕ははあ、と息を切らしながらも、ありがとうと頬にキスを落とす。身体を離しても、今度は彼も抵抗をしなかった。



 僕は乗り上げていた椅子から降り、ふうと息を吐く。何とか息を整えると、レヴィルは俯き、額に手を当てていた。

「……レヴィル…?」
「…お前を…誘う事すら…うまく出来ないな……。」

 彼はそう言って嘲笑した。僕は慌てて彼の足元に跪き、彼を見る。

「レヴィル…貴方を拒絶した訳じゃないです。」
「………。」
「僕は…貴方のことを愛してる、から…こんな形で襲うような真似はしたくなかったんです。」

 ダークブルーの瞳が僕を捉える。彼の瞳は揺れていた。

「…少しの間だけでいいから…僕を信じて…。」
「何で……お前はそんなに…冷静なんだ…。」
「…っ全然冷静なんかじゃない、もう貴方を抱く事しか考えられなくなってる!」

 僕は少し声を荒げてしまった。レヴィルは驚いたように僕を見る。

「本当に貴方が好きなんだ……フェロモンなんて関係ないよ…。」

 また涙腺が滲んでくる。僕はそれを誤魔化すように、少し彼から離れた。

「……ティト…?」
「…待ってて、書類を渡してくる。」

 僕は文箱の中から書類を取り、出入り口近くにある呼び鈴を鳴らした。すぐに人が近づいてくる物音がする。僕は自分の姿が全ては見えない程度に少しだけ扉を開けた。扉の向こうにはレヴィルの従者が控えていた。

「…今日はレヴィルはもう休むから、書類の処理をお願い。」
「承知いたしました。」
「…それと、今日は僕もここで休むからそのように。明朝に湯の支度だけお願い。身支度も手伝わなくていいから。」
「は…かしこまりました。」

 僕は用件だけを足早に伝える。おそらく彼は正しく意図を理解したのだろう。書類を受け取ると何も言わずに静かに下がった。僕は扉を閉め、そのまま鍵をかける。



 僕はふう、と息を吐いてレヴィルの元に戻った。

「…ティト…怒ってるのか。」

 彼は少し不安そうに、熱を孕んだ表情で僕を見つめていた。その表情を見ただけでずくりと、腰が重くなる。
 僕は思いのほか冷静な声色で、怒ってないよと答えた。彼に歩み寄りそっと頬に触れる。不安そうな表情とは裏腹に彼の瞳はゆらゆらと揺れていた。

「でも…もうはできない。」
「っ…構、わない…。」
「…本当に?」

 自分で誘ったはずなのに、レヴィルはどこか不安そうな表情のままだ。
 それでも彼は間を開けず、小さく頷いた。

「っ…このままじゃ……切なくて…苦しい……、ちゃんとお前で…満たしてくれ…。」

 それはほとんど悲鳴のようだった。
 僕は彼の手を引っ張り、立ち上がらせた。彼は身をゆだねるように僕にもたれる。

「大丈夫…貴方が満たされるまで…ちゃんと愛します。」

 僕たちは額を合わせ、そのまま深く口付けを交わした。





 移動する間も惜しくて、何度も何度もキスをして、縺れながら何とか寝室のベッドにたどりつく。もう完全にお互いに火がついてしまっていた。
 レヴィルが僕を引っ張り、ベットになだれ込む。僕が彼の上に覆いかぶさった状態になった。

 僕はそのまま彼の首筋にキスを落としながら、ベストやシャツを脱がしていった。シャツの前を開くと彼の美しい肉体が外気に晒される。美しく浮き出た彼の鎖骨の形を唇で楽しみながら、そのまま彼のベルトに手をかけた。

「ん……っ、ティトっ…。」
「……っうん?」
「お前もっ………、俺だけ…っ脱がすな…。」

 レヴィルは居心地悪そうに身を捩らせた。彼が身動ぎすると、ふわ、と彼の香りが漂い僕を誘う。僕は少し苦笑いをし、分かったと答えた。

「脱がしてくれる?」

 レヴィルは小さく頷き、僕のシャツのボタンに手をかける。シャツを脱いでしまうとお互いの肌の匂いが混ざり合う感覚がして、頭の芯がくらくらした。

 彼がベルトに手をかけると、僕は構わずに唇を重ね、舌先でそっとその歯列を割った。

「んっ……んぅ…。」

 レヴィルからはくぐもった抗議の声が上がったが、すぐに僕の舌を受け入れるように舌が絡まり合う。軽く吸い上げると僕の身体を挟むようにして立てていた彼の膝がぴくりと動き、僕を緩く挟んだ。

 それだけで堪らなくなり、キスをしながら彼の身体をなぞる。滑らかな肌の感触を楽しみ、下腹部をゆるく撫でた。そして、そのままさらに下に手を滑らせ、スラックス越しに彼のものに触れる。

「ん、……っ。」

 レヴィルのペニスはしっかりと反応していた。僕はそれが嬉しくて彼の顔にキスを振らせながら、形を辿る様に彼のものを撫でた。

「は、…あ…ティトっ。」
「…うん?」

 やはり抗議の声が上がり、僕はキスを止めて彼の顔を見る。レヴィルは少し不安げに、それでも期待するような表情で僕を見ていて、いやに誘われている様な感覚に陥る。

「…っ、…その…、俺はあまり慣れてなくて…お前に教えて…やれない…んだ…。」

 彼は申し訳なそうに眉を歪ませた。

 僕は一瞬言葉を詰まらせる。普段は凛としている彼が、僕の腕の中で頼りげない姿を見せることが、どれだけ僕を煽ることになるか、きっとピンと来ていないのだろう。僕は興奮する自分を何とか噛み殺し、できるだけ穏やかな調子で、大丈夫だよ。と答えた。

「僕も…最後までするのは…初めてだから、痛かったり嫌だったりしたら、ちゃんと教えて。」
 
 レヴィルは2度ほど小さく頷いた。それでも彼はまだ不安そうに僕を見る。



「…リノとは…どこまでしたんだ…?」
「……そ、れは…。」

 僕は何と答えるべきなのか分からず、言葉を濁す。

 正直この場面でリノとの関係を聞かれるのは困るし、察してほしいところではある。ただ、聞かれてしまったからには、誤魔化すのはリノにも悪い気がした。

「………リノとは…触れ合ったり、抜き合いは何度もしてるし、…口で、してくれたり…っ彼の中を指で触れさせてもらったことも、ある。」
「そう、か…。」

 レヴィルは少しぼんやりした、何とも言えない表情のまま頷いた。

「でもリノはずっとレヴィルの事を気にしてて…彼の中に触れたのも…レヴィルとの時に僕が困らないように…教えてくれたんだよ…、最後まではしてないんだ。」
「…うん。」

 次第に彼の瞳は潤んでいき、珍しく幼い返事をした。彼は目元を腕で隠す。

 僕はしばらく彼の様子を見守った。


「……俺は…結局リノに何の義理を果たせずに、苦労だけさせて…、お前を誘ってしまった……本当に…狡猾な人間だ……。」

 その声は震えていた。どうやら涙を堪えているようだった。彼の心は様々な葛藤や罪悪感で支配されているのかもしれない。


「レヴィル…。」

 僕は彼に体重を掛けないようにそっと覆いかぶさり、彼の髪を撫でた。僕は少し冷静さを取り戻していた。こんな状態の彼を無理に抱いてしまう事が、良いとはとても思えなかった。

「…リノはそんな風には思っていないよ、何度も話をしたんでしょう?」

 バカンスでの話以降、レヴィルとリノは、僕との関係について何度も2人で話し合いをした様子だった。リノからは結局レヴィルが折れたと聞いている。

「………リノは…小さい頃から自分の幸せよりも…俺やこの家の事を優先してしまう…。そういう癖がついているんだ…。」
「…そうだね。」
「あれは俺の半身だ…。あいつが苦しいなら俺も苦しいし、あいつが幸せなら俺も嬉しい…そう思っていた。」
「…うん。」
「…っでも、駄目なんだ…、俺はお前の心が欲しい…っ、あいつに幸せになって欲しいと思う気持ちもあるのに…それが抑えられない…っ。」

 目元を隠したレヴィルの頬につう、と涙が零れた。彼の声は震えきっていて、可哀そうなほどだった。

「…っだから、俺はリノとお前の優しさに漬け込んで…こんな……、っ…。」

 レヴィルは声を押し殺し、小さな声で嗚咽した。僕は彼を抱きしめ、なるべく優しく彼を擦る。



 僕の心は貴方のものだ。


 そう言ってしまうのは簡単だった。

 でも、リノの事を大切に思う彼に、そんなことを言っても救われない事も痛いほどに分かっていたし、僕自身もそれを口に出す事を恐れていた。

 僕が誰よりも1番に愛しているのはレヴィルだ。
 でも、それは決して言っていけない事実だった。

 誰よりも愛している人に、その事実を言えない事がこんなにも苦しいなんて、思ってもいなかった。

 僕自身もままならない現状に泣いてしまいそうだった。


「レヴィル…僕はこの時代に生まれてしまったアデルなので…貴方に心のすべてを寄せる事は、っできません……。」

 僕は小さな声で申し訳ありません。と続けた。

「僕は…もうリノの事も大好きだから…レヴィルに全てをあげることはできない。でも…僕の心の軸は貴方のものだ。僕がこの先何人ものエバを愛すことになったとしても、僕の心の中心にはレヴィルがいる…それはきっと生涯変わりません。」

 僕は目元を隠す彼の手にそっと触れた。彼は僕の手に従い手をずらし、濡れた瞳で僕を見つめた。

「…今は信じられなくてもいい。僕は生涯をかけて心の軸を貴方に捧げる事を証明する。…そして、リノの事も愛して、幸せにすると約束します。レヴィルが心配することは何も起きない、僕がちゃんと責任を果たす。」

 だから、と僕は懇願する様に声を出す。

「お願い…自分を責めないで…。一人で苦しまないで欲しいんだ。貴方が苦しいと…僕もとても苦しい。」




 彼はしばらく僕を見つめた後、僕の手に自分の手を重ねた。そして2筋ほど涙を零し、目を細める。

「そんなことを約束してしまって…、俺よりも好きになる相手が現れたらどうするんだ……?」
「…その時はちゃんと貴方に相談します。でも…そんな事にはならないと思う。」

 僕は真剣にそう答えた。

「……お前は本当に真面目だな。」

 レヴィルは顔を歪め、涙をほろりと零しながら笑った。





「…でも……そういう所も…愛しいよ。」



 レヴィルはそう言って、そっと僕の首に手を回した。涙に濡れた瞳で穏やかに笑う彼はとても美しかった。



 僕たちは額を合わせ、お互いの息を整えた後、そっと口付けを交わす。それは今までしたどのキスよりも、彼と通じ合えた気がしたキスだった。






「ティト…しようか…。」
「うん…。」



 僕はようやくレヴィルの心に触れた様な気がした。
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