アデルの子

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第一章 静かな目覚め

17. ガーデンパーティー

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 いよいよガーデンパーティーの当日を迎えた。


 僕たちは3人で揃いの夏の麻仕立てのスーツを着た。今日は庭の眺めを損なわないために、ドレスコードで皆淡い色合いの服を着る。昨晩この屋敷に宿泊したウィッグス伯とマティも、淡いベージュ色の麻のスーツを着ていた。
 僕たちはサロンでお茶を飲みながら定刻まで時間を過ごした。お互いの装いを見比べながら歓談していると、従僕がトレイを差し出した。トレイの上には花が乗っている。今日のホストの証だ。それぞれ思い思いの花を取り、胸元に挿す。
 従僕は一礼すると別のトレイを僕に差し出してくれた。トレイの上には頼んでいた花が乗っている。カスミ草と小ぶりな白の野ばらだ。僕はお礼を言ってそれを受け取る。

「リノ、この花を髪飾りにつけてもいいかな?」
「髪にですか?」
「うん、今日の髪型に似合うと思って摘んできてもらったんだ。」
「嬉しいです。お願いします。」

 リノは少し屈んでくれる。今日の彼はアッシュブラウンの髪を編みおろしにしていた。僕は従僕に手伝ってもらってその花を柔らかな髪に挿す。リノの優しい雰囲気にその花たちはとても似合っていた。

「どうですか?」
「うん、すごく似合ってる。」
「ふふ、ありがとうございます。」

 リノは微笑んで僕の頬にキスをした。伯爵とマティが笑った気配がする。

「ティト、俺にはないのか?」
「えっ…レヴィルには髪飾りはいらないのでは?」

 僕がそういうとレヴィルは残念そうな表情をした。予想通りのリアクションで僕は思わず笑ってしまいそうになる。最近の彼はリノになにかをすると、自分にはないのかと強請る事があった。リノも同じような事を思っていたのかくすくすと笑う。

「冗談ですよ。レヴィルにはこちらを、礼拝の後に庭に出て編んできました。」

 僕は従僕からもう一つの花を受け取る。白詰草とカスミ草を編んだものだ。僕はレヴィルの腕をとって、きゅっと結びブレスレットにした。

「白詰草とカスミ草のブレスレットです。少し子供っぽいかもしれませんが…付けてくれますか?」

 レヴィルはブレスレットを付けた腕を見て微笑んだ。

「小さい頃よくお前が作ってくれたな。」
「はい。でもその時よりは上手でしょう?」

 レヴィルはああ、と言って笑った。白詰草にキスを落とした後、そのまま僕を引き寄せてキスをする。伯爵たちが見ているのも構わず、彼のキスはかなり積極的だった。ミルフォード湖へ出かけてから彼は少し変わった気がする。また伯爵たちが笑う気配がした。


「……仲が良いのは良いことだが、そろそろ出迎えの準備をしようか。」

 マティがからかい交じりの声でそう言った。僕は慌ててレヴィルから身体を離す。

「っ…すみません。」
「ははっ、謝る必要はない。お前たちの様子がよく分かって嬉しいよ。でもマティの言う通り、そろそろ外で出迎えようか。」

 ウィッグス伯の言葉に頷いた。僕たちは立ち上がってエントランスへ向かう。そろそろゲストがやってくる時間だ。






 エントランスを出ると前庭にはいくつかの天幕が張られ、使用人たちがもてなしの準備をしてくれていた。今日は天気も良く庭はとても美しかった。良い会になりそうだ。

 しばらくすると丘の向こうから馬車の影が見えてきた。あの馬車は見た事がある。おそらくカイザーリング家の馬車だ。僕たちは5人で並んで彼らを迎え入れる準備をした。
 馬車が屋敷前に止まり扉が開くとタッと中から人が出てくる。

「ティト様!」

 小さい男の子がにこにこの笑顔で僕に駆け寄った。ハリスの弟のタリスだ。僕は可愛らしく駆け寄る彼に合わせて、膝を折り視線を合わせる。

「タリス様、お久しぶりです。元気にしていらっしゃいましたか?」
「はい!えと、あの、ご結婚おめでとうございます!」
「ふふ、ありがとうございます。」
「お会いできてうれしいです!」
「ありがとうございます、僕もすごく嬉しいです。」
「タリス!」

 ハリスとカイザーリング伯が慌てて馬車から降りてきた。ハリスに呼ばれてタリスはたたっと彼の方に戻る。彼は困った顔をしながらもタリスを抱きとめた。

「申し訳ありません。大変失礼をいたしました。」

 カイザーリング伯とハリスは礼をした。タリスの微笑ましい無邪気さに、皆微笑んで首を振った。

「ご婚約おめでとうございます。本日はお招きいただきましてありがとうございます。」
「レヴィル様、ティト様、リノ様、ご婚約おめでとうございます。」

 2人は僕たちに恭しく挨拶をしてくれた。タリスも2人に合わせてぺこりとお辞儀をする。タリスを抱きとめているハリスは、前会った時よりもさらに大人びたように見えた。彼もまた背が伸びているかもしれない。ハリスは僕と視線が合うと、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

「ティト様…お久しぶりです。背が高くなられましたね。」
「はい、貴方が仰った様に最近になって背が伸び始めました。」
「今日の皆様の揃いのスーツもとてもお似合いです。」
「ありがとう。今日はどうか楽しんでください。」

 ハリスはありがとうございますと柔らかく微笑んだ。彼らは一礼をした後、使用人に庭へと案内をされて前庭へと向う。今はお出迎えの時間なのでハリスとじっくりと話すことは難しい。できればまた後で話がしたいが今日は婚約のお披露目の場なので、もしかすると難しいかもしれない。



 それから僕たちはクローデル家とウィッグス家の縁のあるゲストたちを次々と出迎えた。ごく親しい人のみのパーティーではあるが、それでもこれだけの人数と一度に話をしたのは久々の事だった。
 出迎えが無事に終わると、どっと疲れを感じた。それまで自分が緊張状態であった事に気付き、ふうっと息を吐く。

「ティト、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ちょっと緊張してたみたい。」
「具合が悪くなったりしていないか?」

 大丈夫だよ、と微笑み返した。レヴィルとリノは心配そうに僕を気遣ってくれる。

「たくさんの人と会って疲れただろう。乾杯が終わったら少し休むと良い。」
「いえ、そんな。ホストが休むだなんて…。」

 ウィッグス伯の提案を慌てて拒むと、マティが僕の肩に優しく手を乗せた。

「大丈夫だよ。今日のゲストは君のことを良く知っている人ばかりだ。君が休む事を責める人はいないさ。」
「でも…。」
「君が具合悪そうにしてた方が皆さん気を遣ってしまうよ。今は休む事も仕事だ。」

 僕は項垂れるようにして頷いた。一人前に振舞えない事が悔しいが、マティの言う事はもっともだった。けれどウィッグス伯もマティも僕の貧弱さを否定せず、受け入れてくれている事はとてもありがたかった。



 僕たちはゲストが集まった前庭に移動する。使用人が手慣れた様子で給仕し、ゲストにスパークリングワインが行き渡るとウィッグス伯の挨拶によって僕たちの婚約の報告された。
 ゲストからは祝いの拍手が送られる。僕たちが礼をして答えるとウィッグス伯が頷いて乾杯の発声をした。乾杯の声が庭に響く。とても和やかなムードでガーデンパーティーが始まった。

 僕はしばらくゲストからの祝いの言葉を受けていた。さすがに少し疲れが隠せなくなってきた頃、レヴィルがそっと僕の腰に手を回して引き寄せた。

「ティト、そろそろ天幕で休もうか。」
「そうですね。少しだけ休ませてもらいましょう。」
「うん…ごめんね。」
「何も謝ることはないさ。」

 レヴィルが微笑んで僕の瞼にキスを落とすと、周りにいたゲストからわっと声があがる。さすがに少し恥ずかしくて僕は顔を伏せた。その様子にリノがくすくすと笑う。
 天幕にはゆったりと庭やもてなしを楽しめるように丁寧に手編みされたラタンチェアや寝椅子が用意されている。僕は2人に導かれるまま天幕に入り、ラタンチェアにゆっくりと腰を掛けた。すぐに使用人が替えの飲み物を持ってきてくれた。

「ティト、休憩をしながら少しずつご挨拶をしましょうね。」
「うん、ありがとう。」
「焦らなくて大丈夫だ。俺は少しウィッグス伯と挨拶に回ってくるからリノと休んでいてくれ。」
「うん。」

 僕は2人に気遣ってもらい、何度も休憩を挟みながら、ゆっくりと時間を掛けてゲストに挨拶をして回った。マティが言ってくれたようにゲストたちは皆、僕が休憩をしながら挨拶をして回ることに気分を害していなかった。むしろ若い2人が僕を気遣いながら過ごしている姿を微笑ましく見守ってくれていたようだった。僕は本当に周りの人たちに恵まれている。




 何度かの休憩を挟んでレヴィルたちと挨拶に回ると高齢の男性と司祭服をきた男性がこちらに会釈をした。麓の村から代表できてくれた村の長老と教会の司祭だ。僕たちは2人の元へ歩み寄る。2人は小さい頃から見知った僕たちの婚約を喜んでくれているようで朗らかに微笑み、礼を示してくれる。

「クローデル侯爵、ティト様、リノ様、改めてご婚約おめでとうございます。」
「ああ、ありがとう。」
「あんなに小さかったティト様がもうご婚約とは、私まで夢のような心地ですよ。」
「ふふ、ありがとうございます。」
「結婚式の際には村の者たちも屋敷へ呼ぶつもりだ。」
「ああ、それは嬉しいですな。きっと皆喜びます。」

 この屋敷のすぐ近くにある村は小さな村だが、クローデル家と結びつきがとても強い。結婚のお披露目の際には上流階級の人たちとは日を分けて、村の人たちを呼びたいと話をしていた。
 結婚は僕が精通を迎えた後になるため、まだいつになるかは分からない。でもできれば屋敷が美しい季節であれば良いなと思う。

「侯爵、術師の選定も済みましたので、またご確認をいただければと思います。」
「ああ、そうだな。今度リノと一緒に確認しよう。」
「ええ、そうですね。」

 司祭とのやり取りに首を傾げているとレヴィルがこちらを振り返った。

「ティト、そろそろ教会への寄付の際のお前の担当を決めておきたいんだ。」
「寄付。」
「はい、初めてお会いする方だとティトも困ってしまうでしょうから、事前に顔合わせをできればと思っているんです。寄付についてはどうしても魔力を操れる方でなくてはいけませんから。」
「あ、うん…そうだね。」

 僕はこくりと頷いた。僕は婚約のことにいっぱいいっぱいで、まだ寄付について意識が向いていなかったが、2人は先のことも考えて動いてくれていたようだ。


 この世界で子供を授かるためには保護地区でアデルの春を買う必要がある。だがアデルの絶対数が少ないため、保護地区の価格は比較的高く設定されている。余裕がない人には一晩の春でさえ買うことが難しい。そう言った人たちのために教会が受け口を担っているのだ。
 アデルは精通を迎えると一定数の精子を教会に寄付することが義務付けられている。寄付された精子は、子供を望むエバに保護地区よりもはるかに低額で提供されているのだ。


 僕も精通が始まれば教会に精子を寄付をしなくてはならない。精子と魔力を過不足なく保管するためには魔力を操れる術師が必要不可欠だ。彼らはその担当者について話し合いをしていたのだった。

「ティト、絶対に貴方に怖い思いはさせたりはしませんよ。」
「ああ、俺たちを信じて任せてくれないか?」
「うん、お願いします。」

 僕はぺこりとお辞儀をした。それでも少し心配そうな僕の様子に、司祭は視線を合わせて微笑んだ。

「ティト様、担当の術師が決まりましたら、すぐにこちらに呼び寄せます。時々教会に遊びにきてはいただけませんか。」
「遊びに?」
「ええ、私と術師とお話をしたりして過ごしましょう。人となりが分かればきっと怖いことはありません。」
「……僕…教会のお手伝いもしたいです。」
「それは嬉しいですね。ぜひお願いします。」

 司祭はにっこり笑って頷いた。
 それから僕たちは先の予定について、いくつか相談をして司祭と長老の元を離れた。

「…いきなりの事でびっくりさせてしまいましたね。」
「ううん、大丈夫。ちゃんと僕の事考えてくれてありがとう。」
「いいえ、不安なことがあったら無理せずにおっしゃってくださいね。」
「ティト、成人しても寄付の義務までには少し猶予があるんだ。焦らずに進めよう。辛いことがあったら言ってくれ。」

 いよいよ現実味を帯びてきたアデルの義務に少しビビっているのは確かだった。でも僕の婚約者はどこまでも僕に優しくて気遣ってくれる。それがとても心強かった。
 僕は2人の腕をひっぱり、そっとそれぞれの頬へキスを落とす。

「ありがとう、僕…頑張るよ。」

 2人は優しく微笑んで僕の頬へキスを返してくれた。





 挨拶を一通り終えて、天幕へ戻るとレヴィルは前庭を見渡して、ふう、と息を吐いた。

「さて…あらかた挨拶も終わったし、このままティトを独占したいところだが…そろそろ開放してやるか。」
「ふふ、このままレヴィルがくっついたままなのかと心配してました。」
「…俺は構わないがな。」
「だめですよ。」
「…何のこと?」

 僕が首を傾げると、レヴィルはちらりとカイザーリング伯の方に視線を向けた。僕もそちらに視線を向ける。カイザーリング伯の傍にいるハリスは、タリスが無邪気に遊ぶのに付き合ってあげているようだ。優しく笑いながらタリスを見守っていた。

「ハリスの事だよ。久しぶりなんだ、話がしたいだろう?」
「え、…良いのですか?」
「もちろん。夫に良き相手を見つけて、導くのも妻の役目だ。」
「でも本当は少し焼き餅焼いてるんですよね?」

 リノはくすくすと笑いながらそう言った。レヴィルはきまり悪そうに眉間にしわを寄せる。

「リノ…ティトが行き辛くなるだろう。」
「ふふ、すみません。冗談です。」
「僕…今日は婚約のお披露目の場だから、ハリスとは話さない方がいいのかと思ってました。」
「いえ、なにも問題はありませんよ。ティトが行きたければぜひ行ってあげてください。」

 僕はもう一度ハリスの方を見ると、彼もこちらの視線に気づいたようで微笑んで会釈をしてくれた。僕も少しだけ頷いて返事を返す。彼とは春前にお茶会をして以来、手紙のやり取りしかしていない。このまま、あまり話もせずに帰すのは悪いなと思っていたところだった。

「僕、ハリスと話をしてきたいです。アプリコットガーデンの方に行ってもいいでしょうか。」
「ああ、いってこい。」
「いってらっしゃい。」
「ありがとう。」

 僕はもう一度2人の頬にキスをした。2人は笑って受けてくれた。




 正直に言えば2人との仲が深まった今、このタイミングでハリスの元に行くのは2人の事を思うと申し訳なくて仕方がない。けれど僕への好意を素直に示してくれているハリスを知らんぷりするのは、あまりにも失礼で嫌だった。僕はゆっくりとハリスの方へ進んだ。
 タリスと遊んでいるハリスに近づくと、先にカイザーリング伯が僕に気付いた。僕はカイザーリング伯に礼をする。

「タリス、喉は渇いていないか?私と飲み物を選んでこよう。お前の好きなエルダーフラワードリンクもあったぞ。」
「はい、母上!」

 立ち上がった伯爵にタリスは嬉しそうに駆け寄る。伯爵は気を遣ってくれたようだ。もう一度彼に礼をすると、ハリスが僕の方を振り返る。

「ティト様。」
「ハリス、突然すみません。良ければ僕と話をしてくれませんか?」

 ハリスは髪を耳に掛け、本当に嬉しそうに、ぜひと微笑んだ。僕は彼に手を差し出す。

「せっかくですから以前見ていただいたアプリコットガーデンに行きませんか?今の季節が一番僕のお気に入りなんです。」
「嬉しい…お願いします。」


 彼は潤んだ瞳で微笑み、そっと僕の手をとる。
 何となくその行動だけで、ああ、僕の事を好いてくれているんだろうなと感じてしまった。少しだけ感じた罪悪感を胸にしまって、ちゃんと彼に向き合い微笑み返す。


 僕たちはしっかりと手を繋ぎ、賑やかなパーティー会場をそっと抜け出して裏庭へ向かった。
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