アデルの子

新子珠子

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第一章 静かな目覚め

3. お茶会

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 丘の向こうから立派な箱馬車と護衛が乗った馬がやってきた。屋敷前で馬車が止まると、御者が降り立ち恭しく馬車の扉を開けた。

 中からアッシュブロンドの髪色の青年が降りてくる。兄君のハリス様だ。彼は御者に目で礼を言うと、ウェーブのかかったワンレンショートを耳にかけて、僕の方へ向かい柔らかく微笑んだ。
 
「ティト様、本日はありがとうございます。素敵な伝書もありがとうございました。」
「とんでもありません。遠い所ようこそお越しくださいました。」
「いいえ、母が無理を言いまして申し訳ありません。」

 ハリスは申し訳なさそうに肩をすくめる。僕は緩く首を振って笑った。実際にカイザーリング伯は本当にすごいゴリ押しだった。僕一人で彼らに引き合わせる事を渋って兄は打診を断り続けててくれていたが、伯爵はかなり粘り強く、ついに断り切れずに今日を迎えることになった。
 しかし、それはハリスに非があるわけではない。会えて嬉しい旨を伝えて、挨拶を交わす。



 ハリスが馬車を降りると御者は扉を閉めた。どうやらタリスは乗っていないらしい。

「ハリス様、タリス様はいかがなさいましたか。」
「あ…タリスはその、体調不良で……いや。」

 言葉を濁した後、ハリスは決まり悪そうにして、居住まいを正した。

「実は……どうしても今日はティト様と2人で過ごしたいと私がワガママを言いました。タリスには留守番をしてもらっています。」
「え。」

 僕は目を見開いてしまった。ハリスからそのような事を言われるのは初めての事だ。
 弟君のタリスは9歳の男の子だ。幼いタリスは、伯爵が僕と彼らを引き合わせる意味を理解しておらず、遊んでもらえる事に喜び、いつも無邪気だ。幼いタリスがいると、どうしても優しい兄君になってしまうハリスはそれを避けるために、タリスを置いてきたのだろう。もしかすると彼の意志ではなくカイザーリング伯の指図かもしれないが。
 びっくりはしたものの、彼に恥をかかせる訳にはいかない。僕は落ち着いて返答を返す。

「そうでしたか。ではタリス様にはお土産をご用意しなくてはいけませんね。今日は2人で楽しい時間を過ごしましょう。」

 僕は微笑んで彼を屋敷へ引き入れた。ハリスも安心したように頷いた。




 馬車の旅に疲れたであろうハリスをサロンへ案内する。ハリスはエントランスでコートを従僕に預けた。コートの下はくすんだオリーブ色のツイードの三揃えに暗いグレイタイを合わせた肩肘の張らないスタイルだ。彼の髪色にとても似合っている。
 ハリスは僕より2つ年上の15歳だ。まだ線は細いが、身長はもう170cmにはなっているだろう。すらっとしたラインと柔らかいアッシュブロンドのウェーブヘアは、まるで物語の王子様のようだ。アデルの少ない世でなければ彼はモテて仕方がなかっただろう。

 僕たちがソファに腰を落ち着けると従僕がハーブティーを淹れる。彼が好きだと言っていたものだ。ティーカップから漂う香りを嗅いでハリスは嬉しそうに微笑んだ。

「馬車での移動でお疲れではありませんか。」
「いいえ、クローデル領は美しいところばかりで車窓も楽しかったです。」
「それは良かった。新緑の季節はさらに美しいんですよ。」
「ええ、こちらの初夏は本当に素晴らしいとクローデル侯爵からも伺いました。」

 ハリスは僕の話に柔らかい笑みでそう言った。クローデル侯爵とは僕の兄のことだ。

「はい、その頃にも是非いらしてください。ご招待いたします。」

 ハリスは嬉しそうに頷いた。
 馬車での疲れが癒えるまで、しばし彼と歓談をする。しばらく話をしているとハリスがテーブルに飾られた花に気付いた。今朝使用人が庭から摘んできた可愛らしい白い花達だ。庭から摘んで来たことを伝えるとハリスは僕が彼の好みを覚えていた事も、使用人の真心にも喜んでくれた。彼は本当に穏やかな気性だ。

「よろしければ、この後少し庭を散策しませんか。もう春の節も間近なので可愛らしい花たちが咲き始めているのです。」
「ええ、是非拝見したいです。」



 ハーブティーを楽しんだ後、コートを羽織り2人で庭に出ることになった。
 この屋敷は広大な前庭の他にいくつかの趣向の異なる庭がある。今日散策するのはアプリコットガーデンだ。樹木を楽しむ為に作られた庭で、僕はこの庭が大好きだ。
 今の季節は樹木の葉は落ちてしまっているが、春の節が近づくと一番初めに下草が咲き出す。僕はそれを見るのも好きだった。きっとハリスも気に入ってくれるだろう。

「ハリス様、お手を。」
「ありがとう。」

 少し足元が悪い所があるのでハリスの手を取る。彼は僕より10cm以上背が高く、手も一回り大きい。エスコートというには全く決まらないが仕方がない。
 足下の悪い所を超えると、しばらくスノードロップやアリッサムが咲く散策路だ。ハリスと会話をしながらゆっくり歩みを進める。少し振り返ると僕たちの会話が聞こえない距離からアズレトとリノが見守っているのが見えた。

 ハリスは散策をしながら王都での話をしてくれた。ハリスとタリスは社交界シーズンになると伯爵と共に王都に滞在する事が多い。彼から聞く王都の様子や観劇した舞台の話はとても面白かった。

 話をしながら少し坂道になった道をいくらか進むとラッパ水仙が咲いているエリアに出た。緩やかな丘の斜面に黄色の愛らしいラッパ水仙が群生しているのだ。今が丁度見頃でとても美しい。一面のラッパ水仙にハリスは感嘆の声を上げた。

「すごい……綺麗ですね。」
「ふふ、良かった。丁度美しい時期だったので是非見ていただきたかったのです。」
「本当に素晴らしいです。」

 ハリスは感動した様子で足を止め、一面の水仙を眺めを楽しんだ。しばらく丘を散策した後、2人で丘の上に建てられたガゼボへ向かう。このガゼボはサンルームに近い建物で、全面ガラス張りになっている。中でお茶を楽しみながら庭を眺めることができる僕のお気に入りの場所だ。
 中に入るとすでに従僕がいて、アフタヌーンティーの準備が出来ていた。簡易ストーブには魔石も焚べられていて暖かい。僕はハリスをソファにエスコートして、自分も反対側に座る。遅れて入室したアズレトとリノは出入り口付近にそっと控えている。

「素敵な場所ですね。」
「ええ、僕のお気に入りの場所なんです。」

 ハリスは微笑んで庭を眺めた。今の季節は冬枯れの樹木と一面の水仙のコントラストが美しくまるで静かな風景画のような眺めになっている。

「お恥ずかしいですが、僕は食が細くて。少しでも楽しく食べれる様にと、温室だったここを兄が改装してくださったのです。」
「そうだったのですか。」

  とにかく僕が食べない事に頭を悩ませた兄や使用人は、せめて楽しく食べさせようとあれやこれやと心を砕いてくれている。ここも僕が楽しくお茶を飲めるようにと整えてくれた場所だった。本当に頭が上がらない。ハリスは思い出したようにくすりと笑った。

「確かに以前お食事をご一緒した際は少ししか召し上がられないので、私たちが失礼をしたのではないかと心配いたしました。」
「あの時はとんだ失礼を…お恥ずかしいです。」
「いいえ、こちらこそ無理にお誘いして申し訳ありませんでした。」

 確かあの食事も僕が王都に滞在した際にカイザーリング伯から突然お声がかかったのだ。ハリスはそれを申し訳なく思ってくれているのだろう。少し困ったように笑って肩をすくめた。

「とんでもないです。僕でよろしければまた是非ご一緒させてください。」
「ええ、それは是非。でも小食については心配なさらなくても大丈夫だと思いますよ。」
「え?」
「私も背が伸び始めるまで食が細くて母を心配させていました。きっと成長期が来ればたくさん食べられるようになります。」
「そうだといいのですが…。」

 ハリスは今まさに成長期で、すぐに服の丈が合わなくなってしまうらしい。羨ましい。僕はまだ身長が伸びる気配がなく、肉も付いていないのでひょろひょろだ。貧弱なまま大人になってしまわないか心配で仕方がない。

 話をしていると従僕がスイーツと軽食が乗ったアフタヌーンスタンドとティーセットを持ってきた。スタンドに乗っているのは僕やハリス好みの甘さが控えめなものだ。タリス用に用意してくれていた甘い茶菓子はお土産に包んでくれているのだろう。熱々の紅茶は僕がリクエストしたフレーバーティーになっている。

「いい香りですね。」
「良かった。実はこのフレーバーティーは我が家で作ったものなのです。」
「え、そうなのですか。」

 ハリスはそっと紅茶に手伸ばした。僕もカップを手に取る。リンゴとほんのりとシナモンの良い香りが漂う。紅茶やハーブの香りも合わさって、優しいホットワインのような豊かな香りだ。

「この庭でとれたリンゴとカイザーリング領から輸入されたシナモンが入っています。苦手ではありませんか?」
「いえ、美味しいです。すごく良い香りですね。」

 カイザーリング領は海に面しており、貿易が盛んだ。海を挟んだ異国から様々な品を輸入していて、香辛料もその一つだ。子息のハリスとお茶会をするなら、その香辛料を使ったこのフルーツティーがふさわしいと思い用意をしたのだ。ハリスは紅茶を気に入ったようで、香りを楽しんでくれている。良かった。



 ほっとして油断していた僕と目が合うと、ハリスはあどけない表情で笑った。それは、それまでの浮かべていた笑みとは違う、年相応の可愛らしい笑顔だった。

「ティト様、たくさんの温かな心遣いをありがとうございます。今日は本当に楽しくて、こちらにお伺いできてよかったです。」

 心からそう言ってくれているのだと感じて、僕は嬉しくて笑顔を返す。



 初めてハリスとちゃんと心を通わせたような気がした。
 僕たちはゆっくりと時間をかけてお茶会を楽しんだ。



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