靴屋と詐欺師とドレスと花嫁

八億児

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【3】離縁

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「いやあ、疲れた! 今日はコラリーとして朝から四カ所も挨拶に回るはめになった!」
 そう言って貴婦人もどきの姿で現れたクレアは、おれの工房へ訪れて早々に二階へ上がり込んだ。
 このところ忙しいのは本当のことのようだ。先日酒場で記者と会ってから、結局二人で込み入った話の出来るような時間はお互いに取れていなかった。
「昨日は遅くまでクレアとして社の書類を確認していたんだぞ。僕としたことが勤勉すぎる」
 文句を言いながら、彼はベッドの上にだらしなく仰向けで寝転がった。ここはおれの工房の二階のおれの寝室であり、彼が寝転んだのも無論おれのベッドだ。
「人のベッドに靴を履いたままで──」
 寝るな、と言いかけたが、履いているのがおれの作った靴だということに気付いてしまった。
「ああ、君の靴はいつまでも履いていられるな。なあ、ジャン?」
「……行儀が悪いぞ」
 嬉しそうに爪先を振って言われたが、それだけは言い返しておく。おれは部屋にあった椅子を、ベッドの傍らに引いて腰を下ろした。
「会社も軌道に乗ってきたしそろそろ社交界での活動を減らそうと思ったんだが、それはそれで始末を付けるためにやることが多くて忙しいよ」
「あんた、意外と人気があるみたいで大変そうだな」
 実際、この工房にも靴の注文が増えている。噂の『コラリーの夫』への興味だけでなく、彼女の履いていた靴と似たものが欲しいという客まで増えたのは、それだけコラリーに人気があると言うことなのだろう。
「今更気付いたのか。もっと光栄に思ってくれてもかまわないんだよ」
「詐欺の共犯者をか?」
「確かに! ──だがまあ、それももう終わりだ。善良なモンタニエ卿はコラリーの健気さを疑わなかったが、あのボドワンとか言う記者に限らず、社交界にも僕を疑ってる人間はいるからな。幕引きは早めの方が良い」
 そこまで言うと、仰向きに転がっていたクレアが横臥してこちらを向いた。
「諸々整理がついたら、君と離縁してコラリーを故郷へ帰すよ」
 離縁という言葉に、なるほどこの話がしたかったのかと気付く。初めからあると分かっていたはずのことだが、おれはそれについてはっきりとは考えていなかった。
「……離縁も何も元々結婚は見せかけのものだろ」
「実質的にはそうでも、はっきりしておかないと君が困るだろう。コラリーと結婚している限り、他の相手とは結婚できないんだぞ」
 言われてみれば確かにそれは正しいのだろうが、自分が将来的に誰かと結婚をするということも、貴族との婚約を断る淑女に結婚を申し込まれるのと同じくらい現実味がなかった。
「コラリーは、呼吸器の病気の療養のため故郷へ帰ることにする。卿とのことでジャン氏には結婚から離縁まで大変ご迷惑をおかけしたが、大変感謝をしている。彼の恩に報いるために今後きっと彼女の兄が力になってくれることだろう……。というような設定でどうかな」
「本当にいなくなるのか……」
 元々存在していなかった女に対して、本当に、というのもおかしな言い方かも知れない。コラリーという女が存在していたと思っているわけではないが、この詐欺師の男に散々妻だと言われ続けることがなくなるのかと思うと、せいせいしたような、寄る辺のないような、張り合いのない気分になる。
 おかしな記者に嗅ぎ回られることもなくなり、面倒ごとを一つ手放せるというのに、それでも一つだけ聞いておきたいことがあった。
「どうしてあの店でおれに声をかけた」
「今更それを訊くのか?」
 苦笑したクレアは、少し悩むそぶりを見せてから口を開いた。
「……酔っている君が可愛かったからだよ」
「あんた正気か?」
「今のは結構真面目な話のつもりだったんだが? 君はなかなか失礼な男だな」
「いや、悪い」
「全く……。あの時、僕はコラリーと偽りの結婚をしてくれる相手を探していたところでね。素直そうで余計なことを言わない、金に困っていそうな若い男を物色していたんだ」
 こうしてはっきり言われると、やはりこの男はろくでもないという気がしてくる。
「そうしたら、カウンターの隅におあつらえ向きに大人しそうな若い労働階級の男がいるじゃないか。店のマスター相手に姉の結婚の話をしていてね。自分の面倒を見てくれていた姉に、優しくて裕福な相手との良縁が決まって嬉しいとぽつぽつ語っていた。自分からも何かよいもので祝ってやりたいが、先立つものがないのが残念だと」
「それは……多分、酔ってたんだろう」
「今思えばそうだな。君、酔うと素直になるようだから。ただ、その時は姉の結婚の話をする顔が嬉しそうで、かわいくてね。力になってあげられるんじゃないかと思った。……まあ、させることは偽装結婚の片棒だし、本当に乗ってきたのには驚いたけど」
 最後の一言は照れ隠しのように付け加えて、クレアはベッドから起き上がった。
「でもそれも、もう最後だ」
 そう言って、身を延ばしておれの唇にキスを落とした。貴婦人に似た、香水の匂いが掠める。
「何のつもりだ?」
「夫婦だというのに、コラリーは君とキスの一つもしなかったからな。最後くらいそれらしいことをしてみたくなったんだ」
 本心か冗談かよく分からないことを言う。この男はいつもそうだ。おれには、こいつの考えていることはまるで分からない。
「そんなこと、別にいい」
「寂しいことを言わないでくれよ。正直、僕は結構楽しかった。共犯者がいるというのも悪くないものだね」
「夫婦だとか、そんなことはいいんだよ」
 おれは、クレアを引き寄せてキスを返した。
「コラリーとじゃなくあんたとなら、この先もキスしてもいいんだろ」
 低く囁くと、クレアは嬉しそうに目を細める。
「……君が望むなら、どちらとでもいいよ」
 そう言うとおれの腕を引いて、二人でベッドに倒れ込んだ。ドレスは多分皺になってしまうだろう。
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