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魂の美味しくない投獄された男×重罪人の魂を食べたい悪魔の話
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特別な重罪人が入れられる牢は、監獄の最も奥まった場所にあった。日も当たらぬその石造りの部屋の隅には、昼夜を問わず闇が滞っている。
ある夜、イゴルはその闇の中からぬるりと人の姿が現れるのを見た。
気でもおかしくなったかと何度も目をこすり凝視するが、闇から生えてきた人物は消えることなくイゴルの元へ近づいてくる。鉄格子の外からの明かりでようやく目にすることの出来たその姿は、まだ少年めいた年頃の姿をしていた。細い銀の髪や白い衣服は整っており、監獄へ使い走りをさせられるような立場でないことは明らかだ。
「これはこれは……なんと期待外れだ」
少年はイゴルの顔を眺めると、落胆した様子でそう言い捨てた。
「ここに入るということはさぞかし業の深い魂の持ち主だろうと、私がわざわざ訪ねて来たというのに……。まさかこんなに不味そうな男が一人とは」
イゴルには、自分が何を言われているのか分からなかった。思わず牢の外の看守の様子を窺うが、いつも通りの居眠りから覚める様子はない。
「あんた、どうやってここへ入った……?」
「私は大抵の場所へ入れる。看守に助けを求めようとしても無駄だぞ、眠らせておいたからな。そんなことより、どうしてお前のような人間が重罪人の牢にいる? 冤罪でも負わせられたか?」
少年は地位の高い人間のような横柄な振る舞いで、驚いたまま腰の立たないイゴルを見下ろす。
「いや……冤罪ではない。おれは、貴族に逆らった」
「ほう、何をやらかした」
さっきまで不機嫌だった少年が、少しだけ興味を見せた。
「女が連れて行かれるところを、止めようとして殴った」
「お前の女か?」
「いや」
「身内か?」
「知らない女だ」
「知らない女を助けようとして貴族を殴ったのか? お前、そんな正義感でよくこれまで生きてこられたな!」
少年はとうとう、明らかに面白そうにイゴルの前にしゃがみ込んだ。
「別に、正義感なんかじゃない」
「なんだ、その女に惚れたのか」
「目が合った」
目が合ってしまったのだ。
イゴルはそう思い返す。揉め事に関わり合いたくなどなかった。介入して、自分がどんな目に遭うか想像したくもなかった。
だが、町中で背後から男の大きな罵声が聞こえて思わずそちらに振り返ってしまったのが間違いだった。
腕を掴まれた女の、見開いた大きな黒い目を見てしまった。同時に女も自分を見たのが分かった。
あとはもう夢中だった。ほとんど反射的に男を殴りつけ、女を逃がし、殴りつけた貴族に衛兵を呼ばれるまでそう時間はかからなかった。
だがああしていなければ、あの眼から逃れることはできなかったと今でも思う。だからおそらく、こうなるのも自分にとってはどうしようもなかったことなのだろう。
「目が合ったから、仕方なかった」
淡々と告げるイゴルの顔を、少年は今度は面白くなさそうに眺めている。薄暗い牢内で気付かなかったが、間近で見ると少年の顔はこれといった特徴らしい物がなく、それでいてうっすらと光でも放っているかのように異様なまでに美しい。そこに至ってイゴルは、ようやく少年が何らかの魔性のものであることを察した。
「あんたが何を期待してここに来たのか分からないが、おれでは不足があるんだろう。それについては悪いとは思うが、できればこの場は命は助けてくれないか」
すでに重罪人として牢に入れられていることを思えば、イゴル自身も妙なことを頼んでいると思う。それでも突然魔性のものに命を奪われるというのは望むところではない。
「言っておくが、その逆だぞ」
少年は面白くなさそうな顔のまま答えた。
「私は重罪人の業の深い魂を取りに来ただけだ。あれは多くの因果が絡んで、並の人間の魂よりずっと美味い」
「あんた、死神なのか……?」
「さあね。死神とか悪魔とか神とかお前達は好き勝手に呼んでいるようだが、私は美味い魂を食いたいだけだよ。……だがお前の魂と来たらどうだ。目が合っただけの女を助けて牢に入れられた、因果も業もろくにない人間だ。お前の魂など並以下じゃないか!」
不満げに非難されるが、その苦情はイゴルにはどうすることもできない。だが少年のような顔で駄々をこねられると、とりあえず宥めなければいけないような気がしてしまう。
「それは……悪かった」
「そうだ、私の期待を裏切ったお前が悪い」
口ではそう言いながら、少年の溜飲は多少下がったようだ。立ち上がって再び隅の闇に向かって行く。だが数歩進んだところで振り返った。
「何やってるんだ、お前も来い」
「お、おれも? ここから出してくれるのか?」
少年の中で一体どういうことになったのかが分からず、イゴルは有難くも戸惑う。
「願ってもない申し出だが、どうして。おれの魂は美味くないんだろう」
よろよろと立ち上がって少年のあとに続く。見下ろされていたのと存在感のせいでもっと背丈があると思っていたが、立って並ぶと相手は随分と華奢で小柄だった。
「どうしてと言われるとな……」
少年は、少し困ったように小首をかしげる。
「目が合ったから、仕方ないだろう」
そう言ってイゴルの手を取ると、二人して闇の中へするりと姿を消した。
ある夜、イゴルはその闇の中からぬるりと人の姿が現れるのを見た。
気でもおかしくなったかと何度も目をこすり凝視するが、闇から生えてきた人物は消えることなくイゴルの元へ近づいてくる。鉄格子の外からの明かりでようやく目にすることの出来たその姿は、まだ少年めいた年頃の姿をしていた。細い銀の髪や白い衣服は整っており、監獄へ使い走りをさせられるような立場でないことは明らかだ。
「これはこれは……なんと期待外れだ」
少年はイゴルの顔を眺めると、落胆した様子でそう言い捨てた。
「ここに入るということはさぞかし業の深い魂の持ち主だろうと、私がわざわざ訪ねて来たというのに……。まさかこんなに不味そうな男が一人とは」
イゴルには、自分が何を言われているのか分からなかった。思わず牢の外の看守の様子を窺うが、いつも通りの居眠りから覚める様子はない。
「あんた、どうやってここへ入った……?」
「私は大抵の場所へ入れる。看守に助けを求めようとしても無駄だぞ、眠らせておいたからな。そんなことより、どうしてお前のような人間が重罪人の牢にいる? 冤罪でも負わせられたか?」
少年は地位の高い人間のような横柄な振る舞いで、驚いたまま腰の立たないイゴルを見下ろす。
「いや……冤罪ではない。おれは、貴族に逆らった」
「ほう、何をやらかした」
さっきまで不機嫌だった少年が、少しだけ興味を見せた。
「女が連れて行かれるところを、止めようとして殴った」
「お前の女か?」
「いや」
「身内か?」
「知らない女だ」
「知らない女を助けようとして貴族を殴ったのか? お前、そんな正義感でよくこれまで生きてこられたな!」
少年はとうとう、明らかに面白そうにイゴルの前にしゃがみ込んだ。
「別に、正義感なんかじゃない」
「なんだ、その女に惚れたのか」
「目が合った」
目が合ってしまったのだ。
イゴルはそう思い返す。揉め事に関わり合いたくなどなかった。介入して、自分がどんな目に遭うか想像したくもなかった。
だが、町中で背後から男の大きな罵声が聞こえて思わずそちらに振り返ってしまったのが間違いだった。
腕を掴まれた女の、見開いた大きな黒い目を見てしまった。同時に女も自分を見たのが分かった。
あとはもう夢中だった。ほとんど反射的に男を殴りつけ、女を逃がし、殴りつけた貴族に衛兵を呼ばれるまでそう時間はかからなかった。
だがああしていなければ、あの眼から逃れることはできなかったと今でも思う。だからおそらく、こうなるのも自分にとってはどうしようもなかったことなのだろう。
「目が合ったから、仕方なかった」
淡々と告げるイゴルの顔を、少年は今度は面白くなさそうに眺めている。薄暗い牢内で気付かなかったが、間近で見ると少年の顔はこれといった特徴らしい物がなく、それでいてうっすらと光でも放っているかのように異様なまでに美しい。そこに至ってイゴルは、ようやく少年が何らかの魔性のものであることを察した。
「あんたが何を期待してここに来たのか分からないが、おれでは不足があるんだろう。それについては悪いとは思うが、できればこの場は命は助けてくれないか」
すでに重罪人として牢に入れられていることを思えば、イゴル自身も妙なことを頼んでいると思う。それでも突然魔性のものに命を奪われるというのは望むところではない。
「言っておくが、その逆だぞ」
少年は面白くなさそうな顔のまま答えた。
「私は重罪人の業の深い魂を取りに来ただけだ。あれは多くの因果が絡んで、並の人間の魂よりずっと美味い」
「あんた、死神なのか……?」
「さあね。死神とか悪魔とか神とかお前達は好き勝手に呼んでいるようだが、私は美味い魂を食いたいだけだよ。……だがお前の魂と来たらどうだ。目が合っただけの女を助けて牢に入れられた、因果も業もろくにない人間だ。お前の魂など並以下じゃないか!」
不満げに非難されるが、その苦情はイゴルにはどうすることもできない。だが少年のような顔で駄々をこねられると、とりあえず宥めなければいけないような気がしてしまう。
「それは……悪かった」
「そうだ、私の期待を裏切ったお前が悪い」
口ではそう言いながら、少年の溜飲は多少下がったようだ。立ち上がって再び隅の闇に向かって行く。だが数歩進んだところで振り返った。
「何やってるんだ、お前も来い」
「お、おれも? ここから出してくれるのか?」
少年の中で一体どういうことになったのかが分からず、イゴルは有難くも戸惑う。
「願ってもない申し出だが、どうして。おれの魂は美味くないんだろう」
よろよろと立ち上がって少年のあとに続く。見下ろされていたのと存在感のせいでもっと背丈があると思っていたが、立って並ぶと相手は随分と華奢で小柄だった。
「どうしてと言われるとな……」
少年は、少し困ったように小首をかしげる。
「目が合ったから、仕方ないだろう」
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