緑の指を持つ娘

Moonshine

文字の大きさ
上 下
87 / 130
緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編

24

しおりを挟む
あの奇妙な一日が明けた翌日から、寝ても覚めてもフェリクスに思い出されるのはあの温泉にいた、一糸纏わぬ美しい若い娘の姿だ。
いつもであれば、フェリクスを苛む皮膚の疾患で、全く他の事を考える余裕などないのだが、ここの所少しずつ症状が良くなって、皮膚の事以外を考える心の余裕がでてきた事が仇となっているのだ。

(私は、女を寄せ付けなさ過ぎて、おかしくなっているのかもしれん)

フェリクスは誰もいなくなった夜、豪華な自室で一人頭を抱えてしまっていた。

(・・これでは、まるでこの私が、)

フェリクスにも覚えがあるこの感情。心に浮かんできた次の言葉を慌てて否定する。

完全無欠の王太子と呼ばれていたフェリクスの周りには、常にその隣に立ちたいと願う、美しく高貴な娘達の間で実に優雅な戦争が繰り広げられていた。

フェリクスは恋多き男としても知られていたのだ。

王都で流した浮名の数も数知れず、これからようやく本腰を入れて婚約者を選定という時期になって、忌まわしい皮膚の疾患がはじまった。

離宮にその居を移動させてより、フェリクスは一通の手紙も、甘い時間を過ごした女たちと交わしていない。
完全無欠の王太子・フェリクスに恋をした娘達に、今の姿を見せる事も、今の状態を知られる事も、自尊心の非常に高いフェリクスにできる事ではなかったのだ。

(それに、あれはただの、村娘ではないか・・村娘に妙な気持ちを起こすなど、どうかしている)

フェリクスは頭を抱えた。
あの娘は客観的に見て、特に美しくもなければ、身分もない。魔力すらもない事と聞いている。

この国で一番美しいと呼ばれた娘達、この国で一番才気にあふれた娘達、この国で一番高貴な姫君たちが、こぞってフェリクスの愛を得ようと、その甘い愛を与えようと躍起になっていた。
だが、あのただの村娘のように胸を掻きむしるような苦しみをフェリクスに与えた娘はだれもいない。

あの娘は、フェリクスの周辺にいる、どの娘達にも劣る。

(だというのに、なぜあの姿が目に焼き付いて離れないのだ)

フェリクスは気を紛れさせようと、暗い部屋の明かりもつけず、部屋の隅でゴンゴンと頭を壁に打ち付けてみる。

壁から、バラバラと雷石が落ちてきた。
フェリクスは、今はもう一日に5個の雷石を満タンにできるほどに、成長したのだ。
フェリクスの部屋のこの雷石は、フェリクスの努力のまぎれもない結晶だ。
特に使い道はないが、フェリクスは全てを大切に保管しているのだ。

(いや。ただの村娘、という言い方には語弊がある。もっと厄介だ。あれは高名な隣国のサラトガ魔法泊の平民の婚約者だ。私の治療を担当している、恩ある貴人の婚約者だ)

サラトガ魔法伯ノエルは、フェリクスの目からみても魔術の実力は言わずもがな、統治力にも、政治力にも、胆力にも長けた、実に有能な魔術師の上、あの美貌だ。女王との婚姻が成立していれば、理想的な王配となったであろう。正直アビーブ王国の魔術団にもこれほどの逸材はいないと言える。

だが、エリクサーの完成と引き換えに己の魂を女神に捧げてしまったため、気が少しおかしくなったらしく、下働きをしていた田舎の粉挽きの娘に盲目的に恋しているという噂だ。

(他にも、あの男には、一人で温室でナメクジと話をしている変人だ、など妙な話があったな)

あまり信憑性のないタブロイドの話を信じるようなフェリクスではないのだが、いつも冷静で、フェリクスの前では一部の隙すらもない完璧な貴公子の姿しか見せない男が、この娘の事となると少し様子がおかしいらしいとは家令のメイソンからも聞いていた。

(・・・よりによって)

そう。よりによって、だ。
そんな面倒な男の婚約者である、あの地味な娘の姿が脳裏に焼き付いて、フェリクスを苦しめる。

あの不思議な体験をしたその次の日、あの娘は何食わぬ顔をして、いつも通り温室に出勤してきていた様子だ。

ベスと懇意にしているという家令も、メイドも、そしてノエルもいつも通りだった。
もしもあの娘が、フェリクスが目撃したように実際にあの空間に招かれて、温泉につかっていたのであれば、あれほど平静でいられるだろうか。

(私はやはり、夢をみていたのか)

答えの出ないフェリクスは悶々とする心を落ち着かせる為、離宮に居を移動させて以来随分久しぶりにこの国の建国神話の本を開けてみる事にした。

(神の領域の話が、建国神話にあったはずだ)

王太子教育の一環ではあったが、あまり興味をもたずに聞き流していた建国神話の本を開いてみた。

今になって、この離宮に一人ひきこもってから、だれとも交流を断っている事が堪える。
王宮に住んでいた頃であれば、この不思議な体験について相談ができる夢見の専門家や、魔術師、神殿の学者、大勢いただろう。

フェリクスは、心当たりのページをパラパラとめくってみる。
この国の成り立ちは、一匹の黒い亀がはじまりだという神話がある。

(そうだな、この亀がアビーブ山に雷を落として噴火を防いで、という話だな)

ぱらぱらと読むともなくページを捲る。
フェリクスは皮膚疾患が発症してより、全ての読書も、学問も遠ざけていた。
久しぶりに太古の叡智に触れて、フェリクスの心は踊る。

そうして穏やかにページを繰っていたフェリクスだったが、パラパラと流し読みをしてたどり着いた、温泉の章の伝説のページで、ほとんど息が止まりそうになる。

(・・あの温泉の、あの光景だ!!)

そこの挿絵として描かれていたのは、白い岩肌に囲まれた、霧の森の中の、水色の温泉につかる若い娘の挿絵だったのだ。
人あらざるもの達に囲まれて、一糸纏わぬ姿で温泉につかる、赤茶色の髪をした若い娘。

傷ついた、人ならざる生き物に、慈愛の目を与え、水色の温泉につかる美しい娘。

フェリクスは、震える手で本を握りしめていた。

(あの娘は、一体)

神亀は傷ついたその体を癒しに訪れたその温泉で、人間の娘に出会い、恋に落ち、その結実がこの国の王族の始まりだと、そう建国神話では伝えられている。

神亀と人間の娘の出会いの場面だ。

フェリクスは、居てもたってもいられない思いで部屋中を歩き回った。
脳裏に焼き付いた娘の姿が、鮮やかにフェリクスの目の前に現れて、フェリクスの胸を焦がす。

息が浅くなる。
窓を開けて、星を見た。星の瞬きは王都のそれよりよほどまぶしく、フェリクスはこの離宮に居を移して、はじめてこの地の星の瞬きの美しさに気が付いたのだ。

(・・会ってみよう。そして、確かめてみよう)

冷たい夜風は、フェリクスの肌を悩ませる事はなかった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

天才になるはずだった幼女は最強パパに溺愛される

雪野ゆきの
ファンタジー
記憶を失った少女は森に倒れていたところをを拾われ、特殊部隊の隊長ブレイクの娘になった。 スペックは高いけどポンコツ気味の幼女と、娘を溺愛するチートパパの話。 ※誤字報告、感想などありがとうございます! 書籍はレジーナブックス様より2021年12月1日に発売されました! 電子書籍も出ました。 文庫版が2024年7月5日に発売されました!

至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます

下菊みこと
恋愛
至って普通の女子高生でありながら事故に巻き込まれ(というか自分から首を突っ込み)転生した天宮めぐ。転生した先はよく知った大好きな恋愛小説の世界。でも主人公ではなくほぼ登場しない脇役姫に転生してしまった。姉姫は優しくて朗らかで誰からも愛されて、両親である国王、王妃に愛され貴公子達からもモテモテ。一方自分は妾の子で陰鬱で誰からも愛されておらず王位継承権もあってないに等しいお姫様になる予定。こんな待遇満足できるか!羨ましさこそあれど恨みはない姉姫さまを守りつつ、目指せ隣国の王太子ルート!小説家になろう様でも「主人公気質なわけでもなく恋愛フラグもなければ死亡フラグに満ち溢れているわけでもない至って普通のネグレクト系脇役お姫様に転生したようなので物語の主人公である姉姫さまから主役の座を奪い取りにいきます」というタイトルで掲載しています。

転生おばさんは有能な侍女

吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀? 転生おばさんは忙しい そして、新しい恋の予感…… てへ 豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!

兄みたいな騎士団長の愛が実は重すぎでした

鳥花風星
恋愛
代々騎士団寮の寮母を務める家に生まれたレティシアは、若くして騎士団の一つである「群青の騎士団」の寮母になり、 幼少の頃から仲の良い騎士団長のアスールは、そんなレティシアを陰からずっと見守っていた。レティシアにとってアスールは兄のような存在だが、次第に兄としてだけではない思いを持ちはじめてしまう。 アスールにとってもレティシアは妹のような存在というだけではないようで……。兄としてしか思われていないと思っているアスールはレティシアへの思いを拗らせながらどんどん膨らませていく。 すれ違う恋心、アスールとライバルの心理戦。拗らせ溺愛が激しい、じれじれだけどハッピーエンドです。 ☆他投稿サイトにも掲載しています。 ☆番外編はアスールの同僚ノアールがメインの話になっています。

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。 誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。 幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。 ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。 一人の客人をもてなしたのだ。 その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。 【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。 彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。 そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。 そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。 やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。 ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、 「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。 学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。 ☆第2部完結しました☆

【完結済】平凡令嬢はぼんやり令息の世話をしたくない

天知 カナイ
恋愛
【完結済 全24話】ヘイデン侯爵の嫡男ロレアントは容姿端麗、頭脳明晰、魔法力に満ちた超優良物件だ。周りの貴族子女はこぞって彼に近づきたがる。だが、ロレアントの傍でいつも世話を焼いているのは、見た目も地味でとりたてて特長もないリオ―チェだ。ロレアントは全てにおいて秀でているが、少し生活能力が薄く、いつもぼんやりとしている。国都にあるタウンハウスが隣だった縁で幼馴染として育ったのだが、ロレアントの母が亡くなる時「ロレンはぼんやりしているから、リオが面倒見てあげてね」と頼んだので、律義にリオ―チェはそれを守り何くれとなくロレアントの世話をしていた。 だが、それが気にくわない人々はたくさんいて様々にリオ―チェに対し嫌がらせをしてくる。だんだんそれに疲れてきたリオーチェは‥。

夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

魚谷
恋愛
「ギュスターブ様、離婚しましょう!」 8歳の頃に、15歳の夫、伯爵のギュスターブの元に嫁いだ、侯爵家出身のフリーデ。 その結婚生活は悲惨なもの。一度も寝室を同じくしたことがなく、戦争狂と言われる夫は夫婦生活を持とうとせず、戦場を渡り歩いてばかり。 堪忍袋の緒が切れたフリーデはついに離婚を切り出すも、夫は金髪碧眼の美しい少年、ユーリを紹介する。 理解が追いつかず、卒倒するフリーデ。 その瞬間、自分が生きるこの世界が、前世大好きだった『凍月の刃』という物語の世界だということを思い出す。 紹介された少年は隠し子ではなく、物語の主人公。 夫のことはどうでもいいが、ユーリが歩むことになる茨の道を考えれば、見捨てることなんてできない。 フリーデはユーリが成人するまでは彼を育てるために婚姻を継続するが、成人したあかつきには離婚を認めるよう迫り、認めさせることに成功する。 ユーリの悲劇的な未来を、原作知識回避しつつ、離婚後の明るい未来のため、フリーデは邁進する。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

処理中です...