緑の指を持つ娘

Moonshine

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緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編

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「2度と、いくんじゃない」

大喜びのベスから、今日の出来事の話を全てを聞いたノエルは、難しい顔をしてそう諭した。

「どうして?素晴らしい場所でしたし、心も体もどこもかしこも元気になりましたよ。ほら、この通りです」

ベスの動かなくなっていた小指を見せる。小指の関節は、問題があった気配すら見えないほどに回復しているし、足の傷も、生きてゆく上で細々とした体に残った傷の全てが、まるで今生まれたかのように、全て消え去っている。

「ベス、どれほど素晴らしい温泉であっても、人が神の領域に出入りするのは危険だ。下手をすると、お前は2度とこちらに帰ってくることはできなくなる。一度神に魅入られた人間が、どうなるのかは知っているだろう」

ベスもよく知っている。
神殿の大聖女であったノエルの母は、神に魅入られ、そして人という存在である事を手放した。
記憶は洗われ、存在は新しい理を与えられ、その命の輪の中で、2度と人間という存在とは交差することはないだろう。ノエルの母であった過去など、彼女に取っては記憶にも値しない、夢。

「あの場所が禁足地になっているのは、アビーブの王家にとって重要な場所だからに違いない。初代の後に、13代目の王が、戦争で重傷を負った際に、神託を受けて森に分け入って、神の湯に浸かったという記録があった。湯に浸かった後、王の傷は癒やされ、劣勢だったアビーブ軍が盛り返して、王国軍の勝利に導かれたという話だ」

ノエルは離宮の図書室に入って、フェリクスの症状の改善に繋がる研究を続けると同時に、この国の歴史や郷土の医療についても研究を重ねていたのだ。

「今日は気まぐれなカラスがお前を人の世界まで送ってくれたが、次はそうとは限らない。ことによっては神の領域で永遠に彷徨い続ける事になっていたかもしれん」

ベスを森の入り口まで送ってくれた三羽のカラスは、おそらくは神の使いだと、ノエルは確信していた。
この国の建国の神は黒い亀であるという。
そして、黒い亀の神の使いは、カラスの姿をしていると、そう歴史の本に書かれていた。

(だが、なぜだ。なぜこの国の神は、ベスをわざわざ神の湯に呼んで、そしてわざわざ眷属まで寄越して、人の世界に帰した)

ノエルには解せない。神々がただの気まぐれでベスを神の湯に呼び込んだだけとしても、人の世界にわざわざ眷属をつけてまで、ベスを送り届ける理由が見当たらないのだ。

「・・そうですね。本当に気持ちよかったお風呂だったので、すっかり嬉しくなってしまっていました、ノエル様と離れ離れになりたくないですし、私は健康ですから、危険を冒してまであのお風呂にわざわざ浸かりにいく理由もないですものね。でも、本当に素晴らしいお風呂だったんです」

あっさりとそう言って、ベスは遅れた夕食に手をつけた。
ノエルは珍しく、ため息をついて説教を続ける。

「ベス、風呂が気持ちよかったのはよくわかるが、考えても見てくれ。うら若い未婚の娘が、外で入浴するなど、森の奥とはいえ誰が見ているかわかったものではない。神々の中にも、若い人の娘を好む連中もいるだろう。頼むから、少しは婚約者の俺の気持ちになってくれ」

ノエルはすんでの所でオベロンからベスを取り戻したばかりなのだ。
心労でソファに突っ伏してしまう。

「ノエル様、心配をおかけしてごめんなさい。とても素晴らしい温泉だったけど、もう2度と行きません」

ノエルの力でどれだけベスを囲い込んでも、少し油断するとこうして、ベスは人の存在を超える、人智の及ばない存在の目に止まってしまう。

(ノエル様も一緒に喜んでもらえると思っていたなんて、私ったらなんて浅慮だったのかしら)

宿の女将さんにも、若い娘が外のお風呂に入るなんてお嫁に行けなくなると言われたばかりだというのに、ベスは素晴らしい温泉に出会った喜びで、己の行動がどれほどノエルに心配をかけていたのか気がついて、すっかり元気を無くしてしまう。
ベスの大きな目には、みるみる涙が溜まってゆく。

しょんぼりしているベスを見て、今度はノエルは罪悪感を覚えてしまう。

ノエルはベスが喜ぶものならなんでも与えてやりたいし、なんでもしてやりたい。

今日はベスをきつく叱ってしまったが、ベスが人智を超えた存在に近づかれてしまうのは、ベスの責任ではない。ベスは無邪気に、素晴らしい外のお風呂を楽しんだだけだ。ベスはお風呂が好きなのだ!

ノエルは頭を掻きむしって、言った。

「・・・ああああ!!!わかった、俺がなんとかしてやるから!頼むから笑ってくれベス、お前が気落ちしてる姿なんか見るくらいなら、会議に100回出席した方がまだマシだ!!」

「え?」

少し涙目になって床を見つめていたベスは、びっくりしてノエルの方を向く。

「お前を神の領域の温泉に立ち入らせるのは危険すぎる。行かせる事はできない。だが、その温泉は、鳥やらなんやらも一緒に入れて、源泉の温泉で、森の横で、つまりそういう温泉だったんだよな?」

「え、ええ、そうですけど」

ノエルは、くしゃくしゃの笑顔を見せると、腰に手を当てて胸を張って、堂々たる態度で言い放った。

「喜べベス、お前の婚約者は立派な魔術師だ!!離宮の温室はどんな改造をしてもいいと、許可を得ているんだ。温室の中に、森の中の温泉の代わりになる、お前のための外温泉を作ってやるよベス!魔術でなんとか源泉の湯を引き込んで、たくさんの植物で湯を森のように囲んでしまおう。天窓を開けたら鳥も遊びに来るかもしれん!」

ベスの沈んでいた顔が、みるみると喜びで笑顔になる。

「まあ!そんな事ができるんですか!!そしたら、大きなお風呂にして、王都の温泉広場みたいに入浴着をきて、ノエル様も、オリビアも、宿の女将さんも、みんなで一緒にお風呂に入りましょう!ああノエル様なんて素敵!大好きよ!」

(ノエル様は、決して私を否定しないんですもの)

ノエルは決してベスの思いも、願いも否定しない。
それがどれほど世間の常識と離れていても、それがベスにとって害ではない限り、どんな事でも受け入れて、最善を尽くしてそれを叶えようとしてくれる。
ベスの喜びは、ノエルの喜び。ベスの幸せは、ノエルの幸せなのだ。

長い間一人で生きてきたベスとって、ベスに向けられるノエルの愛は、この上なく嬉しく、この上なく尊く、ベスの心を暖めてくれる。

感極まってノエルの胸にすごい勢いで飛び込んできたベスを抱きしめて、ノエルは優しく口づけを落としてやる。

「泣くなよベス、明日から忙しくなるぞ!」

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