緑の指を持つ娘

Moonshine

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緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編

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「それでねノエル様!亀の行先はどこだったと思いますか?」

街から疲れて帰ってきたノエルを迎えたのは、珍しいことにいつもより随分饒舌なベスだった。

興奮気味の可愛い婚約者が首にしがみついてくるのをニヤニヤと楽しみながら、ノエルは、今まで宿で、遊びにも連れてゆかずに放っておいたベスが、留守の間この近くの森を散策を、相当な熱量で楽しんでいる事を知った。

(せいぜい、森の小道や村の牧場あたりを歩いて散策しているのだと思った)

もう宿の部屋中に溢れかえり出したよくわからない植物の鉢植えや、ベスの拾ってきた木の実やらなんやらで狭くなったそれらは、森の奥から採取してきたものらしい。

このところ医師団との意見交換で忙しくしていたノエルは、あまり口数の多くないベスの話をきちんと聞いていなかった事に気がついて、反省中だ。

ノエルも遊んでいたわけでは決してない。
大体の治療方針は固まったのだが、フェリクスの体内をめぐる古い魔力の浄化方法に、皆頭を抱えている。
フェリクスの魔力が強すぎるのだ。
王族の魔力に匹敵する魔力を持って浄化をする必要があるのだが、フェリクスに対抗できるほどの魔力を持つのは今の所、この国には誰もいない。悩ましい問題だ。

それにしても、足を怪我している亀を追いかけて、一日森で過ごしていただなんて、実にベスらしくて実に突拍子もない。

「どこだろう」

ノエルは仕事の事は一旦考えるのをやめて、今はこの愉快な婚約者の可愛らしい口から、いったい何という言葉が出てくるのか、集中して聞く事にした。

ベスは満面のの笑顔で、ノエルに答えを教えてくれた。

「それがね!温泉だったんですよ!」

「へえ、野生の動物も温泉に入るんだね」

「それは気持ちよさそうでした。ちょっと場所が危なそうな場所だっのですが、折角だし足を浸したらとても気持ちよかったんです。ノエル様私、外で温泉に入りたいわ」

湯治の村であるこの村の宿にも、もちろん備え付けのお風呂はある。
大きなホーローの風呂に、猫のような可愛い足が四隅について、可愛い。
このお風呂に温泉の水を汲んできたものを入れてくれるのだ。

治療院の患者は、この温泉の風呂を温め直して一日5回も入るという。
お湯を温め直すのに使う魔石がよくこの温泉地から取れるのだとか。

ノエルはこの突拍子もない婚約者に、笑って答えた。

「そうだな、外の温泉は楽しいからな。また帰り際に、王都の温泉広場に連れていってあげよう。ここに外温泉の施設はないが、王都では外でも温泉が楽しめるからな」

ノエルは、まだ何か言いたげなベスの顔に気が付くことなく、ベスの額に上機嫌で口づけを落とすと外套を脱ぎに寝室に行ってしまった。


----------------------------------------------------------

「フェリクス様。湯治のお時間でございます」

「わかった」

メイドが、フェリクスの部屋に1日5回の風呂の時間を知らせにやってくる。

フェリクスは、ため息をつきながらネチャネチャとして体液がこびりついてしまった肌着を脱ぐ。
脱ぐたびに、ピリピリと、布地に体液と膿の混じったが引っ付いて皮膚を剥がしてゆき、非常に不愉快だ。
脱いだ肌着は、専用の袋に入れて、誰の目にも触れないように洗浄魔法が使えるメイドが魔法で洗浄する。

フェリクスの肌着が、このような無残な状態である事が外に漏れたら、政治的には大事なのだ。
気位の高いフェリクスは、自らの脱ぎ捨てた肌着の状態に目を背けた。

(耐えられない)

いつもフェリクスのために用意されている豪華な風呂の水面には、数々の貴重な薬草や、ポーションが浮いていて、黒に近い色に煮えたぎって妙な匂いがする。
近くにそびえるアビーブ山の麓の、成分の濃い温泉水を使った薬草風呂だ。

風呂の成分は肌に良いらしく、風呂から上がると少しは症状がマシになる。
だが、成分が溶けきって腐乱したような匂いのする黒い風呂に浸かると、肌の状態の悪さも伴って、フェリクスは何とも自分が黒い湯に腐って溶けゆくような気持ちになり、無残な状態の肌着を目にしなくてはいけない事もあり、入浴の時間は好きではない。

風呂には非常に貴重な薬草を浮かべているため、この風呂の水を換えるのはひと月に一度だけだ。

どうやら今日はその日にあたったらしい。

風呂の横に置かれていた銀のトレイの上には、数々の薬草やポーションが揃えられている。
湯船に入れられている湯は、まだ綺麗な透明な色だ。

この薬草やポーションを湯船に入れて、フェリクスが魔術をかけてその有効成分を湯に抽出した、真っ黒なドロドロとした湯に入浴する。
他の人間に抽出を任せても良いのだが、これは何となく自分で担っているのだ。

久しぶりに見る透明な水面に映る自分の顔は、醜く写り、フェリクスは思わず風呂の水面から身をよじった。
この離宮には鏡も存在しない。
全ての鏡は、フェリクスが離宮から処分させた。

(化け物だ)

水面に映った自分の顔に、フェリクスは吐き気を及ぼす。

(こんな、自分ですら受け付けらないような醜い生き物の顔を見て、叫ばすにおられる人間などいるだろうか)

自嘲気味にそう考えて、ふと、今日森であった不思議な出来事を思い出す。

(あの娘・・は、そういえば叫ばなかったな。一体何者だ。見たところただの村娘のようだったが)

森で偶然に出会ってしまったのは、田舎臭い赤茶色い髪の、よく顔も覚えていないほどの地味な娘だった。
だがその娘はフェリクスの爛れた顔を見ても、不思議そうにはしていたが、叫ぶことはなかった。

(そうだ。私に何か瓶を渡して、それから亀を追いかけてどこかに消えてしまったんだ)

フェリクスは、脱いだばかりの服のポケットに入れっぱなしにしていた瓶を取り出した。
今日の体験はあまりに不思議で現実味がなさすぎて、夢だった気がするが、瓶がポケットに入っているところを見ると現実に起こった出来事らしい。

(風呂に入れろ、そう言っていたな)

フェリクスは、ぽわり、と瓶の中身に簡単な鑑定魔法をかける。

(毒性なし。成分はただの水だ)

普段は実に用心深く、そして若い平民の娘が差し出した正体不明のものなど、一瞥にも値しないと本気で信じているようなフェリクスなのだが、今日の出来事が不思議に感じて、どうしてもこの瓶の中身を使ってみたくなった。

(ただの水だ。1日くらいは妙なものを試してみてもいいだろう)

フェリクスは銀の盆に山と積まれた貴重な薬草の山を退けて、透明な水の張られた風呂に、不思議な娘からもらった瓶の中身をぶちまけてみる。

ふわりと、心地よい花の香りがした。

恐る恐る、フェリクスは湯船に身を浸してみた。

いつもの黒い湯に浸かるときのように、不愉快で惨めな気持ちにはならない。
新しく清潔な湯に、花の良い香りが立ちのぼって思わずフェリクスは深呼吸する。

(気持ちいいな)

深呼吸すると、肺の奥にまで花の香りが染み込んでゆくようで、実に心地よい。
いつもジクジクと不愉快な肌も、流れ出たいものがそのまま流れ出て、肌に入りたいものがゆっくりと染み込んで入ってゆくように感じる。

心地よさが骨身に染み入ると、いつの間にか鼻歌が漏れ出ていた様子。高い天井の豪奢な風呂場に、自分の鼻歌がこだましているのを、フェリクスは驚きを持って受け止めていた。

フェリクスは、皮膚疾患が発症してから何年振りかで、風呂を心から楽しんでいた。
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