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幕間3
幕間3『月光の湖』
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時の止まったような静かな水面に、白金色に輝く満月が映っていた。
そこは、大小さまざまな水晶が水底からせり出している、
『クリア湖』とよばれる場所だった。
湖を抱く島そのものも水晶でできており、
ホタルのように明滅する無数の水滴が水上で小宇宙を生み出していた。
生物の声はない。人の声もない。
ただ星くずのこぼれるような音が、涼やかに月夜にひびき渡るだけ。
ここはヒトはおろか、並大抵の竜が訪れるようなところではなかった。
なぜなら、ここはスカイランドに存在する場所とはいえ、
かぎられた力ある者だけがようやく見つけることができる、神聖な湖だからだ。
その湖の中央に映りこんだ満月がつとゆらめき、波が生まれた。
何重もの小さな波は徐々に大きさを増し、大いなる存在の気配を告げる。
ドオオォォォ―――……!
したたり落ちる水しぶき――湖の底から、白い大蛇のような竜が躍り出た。
輝かしい白銀のウロコでおおわれた竜……
生き物のようにゆるやかにしなう二本のヒゲに、鹿のように枝分かれした角。
美しく引きしまった犬の顔と、月夜を愛おしむような深い瞳――。
白竜さまだ。
彼女は細長い胴体を半分ほどあらわにしていた。
その場でくるりと優雅に身をひねると、
夜空へむかって背筋をのばし、おだやかな瞳で星々を見上げた。
――七色に光る雫が、頭上からゆっくりと降ってくる。
白竜さまは、それを額で受け止めた。
ピトン……雫の音が湖いっぱいにひびき渡る。
光の雫は飛び散ることなく、そのまま白竜さまの額の中へ浸透していった。
『――わしの声が聞こえるか、白竜』
白竜さまの頭の中に、幼い男の子のような愛らしい声が広がった。
『――聞こえていますよ。時間通りに言霊を送ってくれましたね』
白竜さまは夜空を見上げたまま、口も使わず朗々とした声で答えた。
『いやあ、こちらは今あれやこれやと忙しくてな。
そなたのためなら、もっと早く《遠談》できればよかったのじゃが。
時間を合わせてくれたこと、感謝するぞ』
話し相手は、やけに年寄りじみた威厳ある口調だ。
しかし、よくあるくたびれたしわがれ声ではなく、
成長期のやんちゃ坊主を思わせるハキハキとした声だった。
『急なお話を持ちかけてしまったことを謝ります。《小さき者》よ』
と、白竜さまは言った。
『ふむ、品行方正なそなたのことじゃ。わしに重大な言伝があるのじゃろう?』
『はい。事は一刻を争います』
白竜さまは一呼吸おいたあと、深刻そうな表情をしてこう続けた。
『……あの子の未来が、消え去ろうとしている』
『未来が消える? まさかおぬし、「予知夢」を見たのか?』
『ええ。赤き斜陽が雲海に差し、
二つの針が第十二と第六の刻を示した時に、深き水底で』
『それはまた……おぬしにしてはめずらしいタイミングじゃな。
第六感が告げておるのか、よほど回避せねばならぬ運命があると。
――して、あの子というのは?』
『スズカという名の少女です』
『ほぉぉ……いったいどのような夢だったじゃ?』
『あやつに……黒い竜に囚われたスズカが、何か……
白い卵のような揺籃の中に寝かされていました。
黒い竜は、深き眠りにいざなったスズカに言いました。
――あなたはスズカという人間ですらなくなると。
その揺籃のすぐ近くには、無数の管でつながり合った
もう一頭の黒い竜の姿がありました。
その竜は、スズカと同じく眠ったように静止していて――』
『白い卵のゆりかご……管でつながれた黒い竜……。むっ、そうか!』
話し相手は、早くも合点がいったようだった。
『わしには分かるぞ、白竜よ。
黒い竜とは、目下、オハコビ隊で問題となっておるガオルのことじゃな。
そなたが見た卵型の異様な装置は、おそらく、人の心を人形に移し替え、
過去の記憶を消し去るものじゃ! 不届き者め、
ヒトが持つ絶大な科学力を利用して、新たな仲間を生み出すつもりか。
しょせんそれは偽物でしかないというのに』
『《小さき者》よ、これはオハコビ隊にとって、
最重要顧客を死なせることと同じです。
そのような事態が起これば、オハコビ隊の存続問題にも
大きな影を落とすことでしょう……ああ、あの愛すべき少女が、
スズカという人間として生きられなくなる……そんなことはあってはならない』
『ずいぶん……気にかけておるのじゃな』
『昨日あの子と初めて会った時に、「心眼」を通じて、あの子の過去に触れました。
それ以来、わたしはずっとあの子を気にかけてきました。
人並外れた不幸をたどってきたスズカには、どうにか幸せになってほしい。
しかし、わたしでは救えない。
《小さき者》よ……わたしはあなたの力を必要としています』
『オハコビ隊のためではなく、あくまでも個人のためにわしを頼るか。
まったく、人間好きなそなたらしいのお』
『もちろん、わたしがみずから出向こうとも思いました。
しかし、スズカが囚われの身になっている場所を「千里眼」で見た時、
わたしはやむなく断念しました。
わたしの肉体は、その場所に染みついた過去の記憶の影響を受けやすい。
彼女のいる場所は、あまりにも強い悲しみの念波が渦巻いている……
まるで漆黒の嵐のように……聞こえてくる。
ヒトと竜の泣き叫ぶ声、押しよせる炎に飲まれる痛み、日常を奪われる悲しみ……
ああ、いけない! これ以上は胸が張り裂けそう……!』
白竜さまは、胸を詰まらせたように首を横にふった。
『純粋な生き物であるそなたが、視るだけで胸をえぐられる場所。
……ふむ、そなたが断念する理由もよく分かる。
やつの根城を取り巻く残留思念は、そなたにとって猛毒というわけじゃな』
相分かった! と話し相手は言った。
『他ならぬそなたのためじゃ。わしも現地に急行しよう』
『ああ、感謝します、《小さき者》よ』
『ふふふっ、《灰色の拳》め。
わしが助太刀に来たとなれば、どれほど面食らうことかのう!
白竜よ、もう心配はいらん。そなたはそこで吉報を待つがよいぞ!』
話し相手の気配が、白竜さまの心の中から遠のいていった。
白竜さまは、ほっと一息をつくように両手を胸に当てるのだった。
『――闇をはらむ意思、そして時間との勝負です。
最後の戦いが、はじまる……』
そこは、大小さまざまな水晶が水底からせり出している、
『クリア湖』とよばれる場所だった。
湖を抱く島そのものも水晶でできており、
ホタルのように明滅する無数の水滴が水上で小宇宙を生み出していた。
生物の声はない。人の声もない。
ただ星くずのこぼれるような音が、涼やかに月夜にひびき渡るだけ。
ここはヒトはおろか、並大抵の竜が訪れるようなところではなかった。
なぜなら、ここはスカイランドに存在する場所とはいえ、
かぎられた力ある者だけがようやく見つけることができる、神聖な湖だからだ。
その湖の中央に映りこんだ満月がつとゆらめき、波が生まれた。
何重もの小さな波は徐々に大きさを増し、大いなる存在の気配を告げる。
ドオオォォォ―――……!
したたり落ちる水しぶき――湖の底から、白い大蛇のような竜が躍り出た。
輝かしい白銀のウロコでおおわれた竜……
生き物のようにゆるやかにしなう二本のヒゲに、鹿のように枝分かれした角。
美しく引きしまった犬の顔と、月夜を愛おしむような深い瞳――。
白竜さまだ。
彼女は細長い胴体を半分ほどあらわにしていた。
その場でくるりと優雅に身をひねると、
夜空へむかって背筋をのばし、おだやかな瞳で星々を見上げた。
――七色に光る雫が、頭上からゆっくりと降ってくる。
白竜さまは、それを額で受け止めた。
ピトン……雫の音が湖いっぱいにひびき渡る。
光の雫は飛び散ることなく、そのまま白竜さまの額の中へ浸透していった。
『――わしの声が聞こえるか、白竜』
白竜さまの頭の中に、幼い男の子のような愛らしい声が広がった。
『――聞こえていますよ。時間通りに言霊を送ってくれましたね』
白竜さまは夜空を見上げたまま、口も使わず朗々とした声で答えた。
『いやあ、こちらは今あれやこれやと忙しくてな。
そなたのためなら、もっと早く《遠談》できればよかったのじゃが。
時間を合わせてくれたこと、感謝するぞ』
話し相手は、やけに年寄りじみた威厳ある口調だ。
しかし、よくあるくたびれたしわがれ声ではなく、
成長期のやんちゃ坊主を思わせるハキハキとした声だった。
『急なお話を持ちかけてしまったことを謝ります。《小さき者》よ』
と、白竜さまは言った。
『ふむ、品行方正なそなたのことじゃ。わしに重大な言伝があるのじゃろう?』
『はい。事は一刻を争います』
白竜さまは一呼吸おいたあと、深刻そうな表情をしてこう続けた。
『……あの子の未来が、消え去ろうとしている』
『未来が消える? まさかおぬし、「予知夢」を見たのか?』
『ええ。赤き斜陽が雲海に差し、
二つの針が第十二と第六の刻を示した時に、深き水底で』
『それはまた……おぬしにしてはめずらしいタイミングじゃな。
第六感が告げておるのか、よほど回避せねばならぬ運命があると。
――して、あの子というのは?』
『スズカという名の少女です』
『ほぉぉ……いったいどのような夢だったじゃ?』
『あやつに……黒い竜に囚われたスズカが、何か……
白い卵のような揺籃の中に寝かされていました。
黒い竜は、深き眠りにいざなったスズカに言いました。
――あなたはスズカという人間ですらなくなると。
その揺籃のすぐ近くには、無数の管でつながり合った
もう一頭の黒い竜の姿がありました。
その竜は、スズカと同じく眠ったように静止していて――』
『白い卵のゆりかご……管でつながれた黒い竜……。むっ、そうか!』
話し相手は、早くも合点がいったようだった。
『わしには分かるぞ、白竜よ。
黒い竜とは、目下、オハコビ隊で問題となっておるガオルのことじゃな。
そなたが見た卵型の異様な装置は、おそらく、人の心を人形に移し替え、
過去の記憶を消し去るものじゃ! 不届き者め、
ヒトが持つ絶大な科学力を利用して、新たな仲間を生み出すつもりか。
しょせんそれは偽物でしかないというのに』
『《小さき者》よ、これはオハコビ隊にとって、
最重要顧客を死なせることと同じです。
そのような事態が起これば、オハコビ隊の存続問題にも
大きな影を落とすことでしょう……ああ、あの愛すべき少女が、
スズカという人間として生きられなくなる……そんなことはあってはならない』
『ずいぶん……気にかけておるのじゃな』
『昨日あの子と初めて会った時に、「心眼」を通じて、あの子の過去に触れました。
それ以来、わたしはずっとあの子を気にかけてきました。
人並外れた不幸をたどってきたスズカには、どうにか幸せになってほしい。
しかし、わたしでは救えない。
《小さき者》よ……わたしはあなたの力を必要としています』
『オハコビ隊のためではなく、あくまでも個人のためにわしを頼るか。
まったく、人間好きなそなたらしいのお』
『もちろん、わたしがみずから出向こうとも思いました。
しかし、スズカが囚われの身になっている場所を「千里眼」で見た時、
わたしはやむなく断念しました。
わたしの肉体は、その場所に染みついた過去の記憶の影響を受けやすい。
彼女のいる場所は、あまりにも強い悲しみの念波が渦巻いている……
まるで漆黒の嵐のように……聞こえてくる。
ヒトと竜の泣き叫ぶ声、押しよせる炎に飲まれる痛み、日常を奪われる悲しみ……
ああ、いけない! これ以上は胸が張り裂けそう……!』
白竜さまは、胸を詰まらせたように首を横にふった。
『純粋な生き物であるそなたが、視るだけで胸をえぐられる場所。
……ふむ、そなたが断念する理由もよく分かる。
やつの根城を取り巻く残留思念は、そなたにとって猛毒というわけじゃな』
相分かった! と話し相手は言った。
『他ならぬそなたのためじゃ。わしも現地に急行しよう』
『ああ、感謝します、《小さき者》よ』
『ふふふっ、《灰色の拳》め。
わしが助太刀に来たとなれば、どれほど面食らうことかのう!
白竜よ、もう心配はいらん。そなたはそこで吉報を待つがよいぞ!』
話し相手の気配が、白竜さまの心の中から遠のいていった。
白竜さまは、ほっと一息をつくように両手を胸に当てるのだった。
『――闇をはらむ意思、そして時間との勝負です。
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