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第十章『サポートタワーの午後』

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スズカは、小さな妖精になっていた。


いや、自分の姿が見えるわけではなかったけれど、

雲から雲へと軽やかに跳ねまわる今の自分は、楽しさに浮かれた妖精に近かった。


階段のように上へ上へと続いていく、トランポリンのような平たい雲。

丸い綿のようなワタモドリたちが、

あちこちでふわふわ浮かびながらスズカを歓迎してくれている。

下に広がる雲海も、まるで生クリームのようになめらかだ。

気持ちいいほど愉快で、何から何まで夢のようだ。

ホップして落ちていく感じも、ちょっぴりスリリングでもある。


一番上までたどり着くと、

ワタモドリの女王さまがいて、金の冠をかぶっていた。

ここは、ワタモドリの王国だったのだ。

女王さまは、やってきたスズカを見てにっこりと笑い、愛らしい声でこう言った。


「夢はまだまだ続きますよ。オハコビ竜が、あなたを幸せにしてくれる」


ここで、目の前がすっと暗転した。

ワタモドリの女王さまや家臣たちも、空の風景も何もかも消えてしまった。

まるで一本の映画が終わりを迎えたように、

視界に広がるすべてが真っ暗になったのだ……が、

一呼吸おいたあとすぐまた視界が明るくなって、

目の前に青い文字が浮かび上がった。



  『《オハコビ・ミラクルシミュレーター》
    
    ――係の者がヘッドセットをはずしますので、そのままでお待ちください』


スズカの頭からゆっくりと装置がはずされた。

視界いっぱいに施設の風景が広がり、周囲の音がまた聞こえるようになった。


「おかえりなさい。どうだったかな?  本物のような夢の世界にひたった気分?」


スズカの前に歩みよってきたのは、桃色のオハコビ竜だった。

頭の毛がふわふわしたボブヘアになっていて、

フラップに似て愛らしい丸い目をしたメスのオハコビ竜だ。

スズカの新しい引率者である。

彼女はフライトスーツを着ておらず、全身が無装備状態だった。


スズカはテレパシー・デバイスを装着し直すと、満足げにこう答えた。


『うん!  すごかった、とっても!』


このオハコビ竜の名前は、フロルといった。

フロルは、嬉しそうにニコリとした。


スズカは、小型ジェットコースターのようなシートに座っていた。

そのシートは一人乗りで、

電磁浮力によって狭いスペースの中を自在に動けるマシンだった。

映像とあわせて動くことで、搭乗者はとてつもない没入感を味わえる。


スズカは、体を包む安全ベルトから解放されたとたん、

フロルの胸へと飛びついた。

今は昼の一時。

サーキットがオニ飛竜の襲撃を受けるよりも、一時間以上も前のことだった。


「あのね、クロワキ主任が外であなたを待ってるんだって」


『えっ、クロワキさんが?』


スズカは驚いて顔を上げた。

あの人がわざわざまた会いに来た?  なんの話があるんだろう?


スズカはフロルと手をつなぎながら、シミュレーターの個室のドアから出た。

その先には、目の覚めるほど楽しげな光に包まれた広大な空間があった。

大勢の歓声や絶叫、ノリノリのポップミュージックが全身に押しよせてくる。


ここは、ターミナルの第二層にある遊戯施設だった。

サッカースタジアムくらいの屋内空間に、

オハコビ隊が作った乗り物やアクティビティスペースがぎっしりとひしめき、

日がな一日、亜人客の家族連れなどでにぎわっている。

言ってしまえば、ターミナルに滞在する旅客むけの、退屈しのぎの施設だ。


あのスカイトレインに似せた、オハコビ竜が引っ張る大型屋内コースター。

天井近くまで跳び上がる大型バンジートランポリン。

音楽にあわせてコロコロと踊るように宙を転がる、卵型のゴキゲンな乗り物たち。

頂上の竜の城にむかってよじ登るボルダリングタワー。などなど……。


ハルトたちと同行できなかったスズカは、

フロルに連れられてターミナルをまわる中、この施設に案内されたというわけだ。

もともとヒトが何百人も密集する場所は苦手だったが、

こういうテーマパークのように楽しげで、それも亜人だらけの場所なら平気だった。


「スズカちゃん。わたし、うまく案内できてるかな?」


きらびやかな施設内を歩きながら、フロルがそっとスズカにたずねた。


『えっ、なんでそれを聞くの?  わたし、ちゃんと楽しめてるよ』


「だってスズカちゃん、『それ』をつけてると、

考えていること全部わたしに聞こえてきちゃうんだもん」


スズカは急にはずかしくなった。

『それ』とはテレパシー・デバイスのことだ。

たしかに、フロルに案内されてターミナルをめぐるなか、

スズカはずっとハルトのことを考えていた。

早くふたりに会いたい――そんなさみしさが心の声になって、

デバイスを通じてずっとダダ漏れしていたようだ。


「でもわたし」フロルは言った。

「スズカちゃんにターミナルを案内できるだけで、とても嬉しいよ。

だって、『人間の』お客様をもてなす仕事なんて、

わたしみたいな普通の隊員じゃ、めったにできないから……」


クロワキ氏は、施設を出たすぐのところで待っていた。

大通りの前でにこにこと笑い、スズカにむかって手をふっていた。


「やあやあ、元気にやってくれているみたいですねえ」


クロワキ氏は、昨夜の仕事の疲れが取れていないのか、

どこか顔色が悪そうに見えた。


『クロワキさん、具合が悪いんですか?』

スズカは心配になってそうたずねた。


「あ、いえ、心配にはおよびませんよ。お昼はもう食べましたか?」


『はい。フロルがいいお店に連れて行ってくれたから』


「それならよかった。では、いっしょに来てください。

キミにぜひ、見てほしい場所があるんです。

フロルちゃん、すみませんねえ、

ターミナル巡りの日程が狂ってしまうかもしれませんが、いいですか?」


クロワキ氏の思いがけない言葉に、フロルは恐縮した。


「あわわ……だ、大丈夫です!

クロワキさんのご提案でしたら、むしろ光栄です!」


クロワキ氏は、近くに停めてあった乗り物に乗りこむよう、スズカを手招きした。


スズカが見たのは、白くて丸い靴のような形をした、

翼もタイヤもない不思議な浮遊機体だった。

二人乗りのふかふかな座席があり、

その手前には大きなキーボードやパネルなどが備えつけられている。


「これは、『フローター』という乗り物です。

モニカちゃんのような、お運び部門のサポーターが日々愛用している……

ざっくり言うと、仕事をよくしてくれるマシンですねえ。

一人用と二人用があるんですが、これは二人用。座席が広いでしょう?」


スズカは、クロワキ氏に続いてフローターに乗りこんだ。

シートベルトをつけると、搭乗口が閉まる。

フローターはふわふわと風にただようように、全自動で進みはじめた。

フロルがその隣を飛んでついていった。


見なれないマシンが宙を飛んでいると、

周囲の亜人客が物めずらしそうにこちらを見上げていた。

カワウソ人の男の子が、

母親にむかって「あれはなに?  白い小舟みたい」と言う声も聞こえた。


一行はリフターの乗り継ぎをへて、

第二層から一気に第十七層までやってきた。ターミナルの最上層だ。

リフターを降りたとたん、スズカの視界に飛びこんできたのは、

太陽に輝いてそびえ立つ巨大タワーだった。

竜の角のような湾曲型のタワーだ。てっぺんまで、

天井をおおう雄大なガラスドームが風船ガムのように引き延ばされて、

張りついたまま固まっているような具合だ。

高さは三十階建てのビルくらいだろうか。

近くで見るとなかなか壮大なスケールだ。


「サポートタワーですよ。お運び部のサポーターたちが、

日夜オハコビ竜たちのサポートをしている現場です。

関係者以外は中に入れない決まりですが、特別に案内しますよ」


「しゅ、主任!  大丈夫なんですか?  『許可』はいただいているんです?」

フロルが横からあわてて確認をもとめた。


「いえ、もらっていませんよ」

と、クロワキ氏はゆうゆうと返した。


「ええっ、そんなのよくないことです!

ちゃんと『あの方』の許可を取らないと――」


「フロルちゃん、心配いりませんよ。わたしはマスターエンジニアだ。

多少のことは大目に見てもらえますよ。一部の者をのぞいてですがね」


一行は巨大な正面ゲートをくぐり、

広大なエントランスにある受付カウンターにむかった。

フロルは、クロワキ氏から受付手続きのかわりを頼まれた。

カウンターのむこうには、鳥人やら魚人やらの受付嬢がいて、

数分間の細かいやり取りのあと、フロルにヒモつきのカードを一つ手渡した。


「スズカちゃん。これを首にかけてほしいの」


フロルは、受付から受け取ったカードを、スズカの首にそっとかけてくれた。

そのカードには、『特別招待客』と書かれていた。


『ねえ、フロル。わたし、いいのかな、こんなところに入っても?』


「今は、せっかくの主任のご厚意だし、

大人しくついていくしかないよ。不安だけどね」


その後一行は、エントランスの奥へとむかうと、

通路を曲がったり、階段を上がったりをくり返した。


そして、スズカが気づいた頃には、

何やら長い螺旋通路をびゅんびゅん加速して飛んでいたのだ。

思いもよらぬ迫力に、

スズカは思わず座席横の手すりにすがるようにつかまっていた。

風圧で髪の毛が勢いよくなびいている。


「おや、怖いですか?」


『……ちょっとびっくりしただけ』


やがて、急に視界が開けた。

そこは、巨大な地球儀の内側のような空間だった。

四方を取りかこむ壁にさまざまな情報が映し出され、

多くの不思議な電子音が音楽のように鳴っている。

空間のいたるところにフローターがふわふわと浮いていて、

それぞれに人間や亜人が乗っていた。

みんなかっこいいヘッドセットを身につけ、

モニターを前にだれかと通話しているのが分かる。

縦や横に列を作って浮かぶ機体や、複数で輪を作って浮かんでいる機体もあった。

あちこちひっきりなしに動きまわる機体なんかもある。
  

「コントロールルームですよ。

オハコビ隊のすべてのフライターの飛行状態と、

飛行ルートを管理しているんです。どうです、幻想的でしょう?」


と、クロワキ氏は誇らしげに言った。


美しいサイバー空間に放り出されたような感覚に、スズカは子どもながら、


「こんな素敵な空間で仕事ができるなら、きっと大人も退屈しない」

と思うほどだった。


「みんな楽しくお仕事していますよ。

本当はモニカちゃんにも会わせたかったんですけどねえ、

彼女はちょっと用事がありまして。

ここに来られたのは、今までのツアー参加者でキミただひとりですよ」


『あの、どうしてサポーターさんたちは、

わざわざこんな空飛ぶ乗り物に乗って、仕事をしているんですか?』


「うーん、竜と心を重ねやすくするため、でしょうかねえ」


『心を重ねる?』


「ええ。ほら、サポーターは竜のように飛べないし、

実際に空を飛んで仕事をしているのは、オハコビ竜たちじゃないですか。

だから、竜と心が離れすぎないように、自分たちも空の浮遊感を感じることで、

竜たちの仕事現場に体を近づけているわけです」


羨ましい……スズカはただそれだけを思った。

サポーターたちの仕事が羨ましい。地上界ではこんなことは考えられない。

スズカにとって、スカイランドのオハコビ隊が途方もない憧れの対象になった。


この光景を、いつまでも目に焼きつけておきたい。
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