テムと夢見の森

Sirocos(シロコス)

文字の大きさ
上 下
35 / 36
11.夢の残り香

夢かうつつか幻か(1)

しおりを挟む
夢見の森での冒険によって、テムの日常はすっかり回復していた。


家族の日々は、変わりすぎない程度には変わっていた。

お父さんは隣町の会社での新しい事業を、熱心に取り組むようになった。

帰りが少し遅くなる日もあったけれど、

テムがベッドにつく夜の九時より前には、かならず帰宅してくれた。

おそらく、酒におぼれていた日々のつぐないなのかもしれない。


お母さんは、孤立しがちだった近所とのつきあいを反省して、

村のおばさんたちとさかんに話をするようになった。

もともと家に友人を招くような人ではなかったのに、

今では週に二回ほど、友達のおばさんたちをお茶に呼ぶくらいだ。

お父さんとぎくしゃくしていた時期をネタに話をすると、

みんな納得しながら言葉に耳をかたむけてくれるのだ。


テムは、以前のように村の友達と毎日遊ぶようになった。

屋外で遊ぶさいは、いつもノックスをともなった。

ノックスは友達から大きな人気を獲得しているからだ。

ボール遊びはため息が出るほど不得意だったが、

サッカーやドッジボールの仲間にもくわえてもらえた。

前は村のまわりを探索しに行くか、

家にさそってボードゲームをするくらいが特別だったのに、

テムはここのところ、遊びにはかなり積極的だった。


どれだけ友達と長い時をすごしていても、

テムは、ノックス以外には、

あの夢見の森での体験をだれとも話して分かちあうことはしない。

だから、家のそばにうっそうと広がる立ち入り禁止のあの森にも、

もう足をふみいれるつもりはなかった。



そんなある日のことだった。



空の晴れ晴れとした休日。

テムはその午前中、家の庭で愛犬のノックスと、

プラスチックのフリスビーで遊んでいた。

ノックスはここ数週間で、投げた物を口でキャッチして戻ってくる芸をこなすようになった。

まだ小ぶりのフリスビーやゴムボールしかキャッチしてくれないが。

本当なら友達と遊びたいのに、その友達はみんな街の動物園へ、

テムの苦手な「トカゲの博覧会」を見に行ってしまったのだ。

夢見の森で大トカゲに襲われた記憶が、

今でも鮮明に思い出されるテムには、到底たえがたいイベントだ。

でも、みんなをうらむつもりなんてない。

ノックスと二人きりで遊ぶ時間が、最近とても少なくなっていたのだから。

 
ピンポーン!


つと、家のインターホンが鳴った。

お母さんは買い物に出かけていて留守だ。

お父さんは、この休日だというのに会社へ行ってしまっていた。

そうだ、留守番をしていたのを忘れていた。


「あ、はーい!  今行きまぁす!」


たぶんまた、お母さんの友達がたずねにきたんだろう。

テムは、フリスビーを窓のステップに置くと、

とくに何を気にするでもなく、庭から玄関のほうへまわっていった。



玄関の前に、ひとりの女の子が立っていた。



テムと同じくらいの歳ごろで、うららかな陽気のなか、

波うつような栗色の長い髪をかがやかせていた。

モモ色の可愛らしいカーディガンを着ている。

頭の上には、なぜか大きな黄色いリボン――。

その女の子は、どこか落ちつきなく困っている様子だったけれど、

テムが庭からやってきたとたん、

きょとんとした面持ちでこちらを見て、小さく首をかしげた。


「こんにちは?」


女の子は、陽ざしのようにゆったりとした声で言った。

この声、聞きおぼえがある。


「……こんにちは」


テムはぼう然としながら返事をした。


「この家の子?」


「……そう」


「家のヒトたちは?」


「……その、出かけてて」


「ひとり?」


「……うん」


「名前は?」


「……テム、だよ」


目をそらせなかった。これほどの偶然があるだろうか。

テムはひと目見た瞬間から、この栗色の髪の女の子をこう思った。


ねむり姫。


夢見の森で出会った彼女と、いや、もっと言えば、

あの大好きな物語のお姫様と、うり二つとしか言えなかった。
しおりを挟む

処理中です...