テムと夢見の森

Sirocos(シロコス)

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11.夢の残り香

新しい朝

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まぶしい。

まぶたにかがやくような朝日を受けて、テムは目を開けた。

遠い遠い空の上から、そっと舞い降りてきたような気分だ。

はるかな夢路から道しるべをたどって。


家族の寝室の、自分のベッドの上だった。

かぎなれたシーツの少し香ばしいにおい。

窓からそそぐ温かい光を受けて舞っているホコリ。


「……ぼくの家だ」


長い長い夢から覚めて、最初に目に入ったこの部屋は、暖かいのにどこか、冷たい。

お父さんとお母さんのベッドのシーツがめくられている。

ついさっきまで、ふたりが眠っていたのを物語っている。

ゆっくりと起き上がる。ふと自分の姿を見てみると、パジャマを着たままだ。

昨日の夜中、たしかにここで着がえたはずなのに。

夢見の森をいっしょに旅した服は、ベッドの下にたたんで置かれたままだった。


部屋の外から、フライパンで焼く音が聞こえてきた。同時に、新聞をめくる音も。


お父さんとお母さんが、リビングにいる。


「パパ!  ママ……!」


恋しさが風船のようにふくれあがって、テムはベッドを飛びだした。



リビングに入ると、お父さんは帰っていた。

テーブルのイスで、今朝とどいたばかりの新聞をながめている。


そらずにのびたままの無精ひげと、ただよい続けるアルコールのにおいが、

いまだ近よりがたい空気をただよわせている。


いっぽうお母さんは、キッチンで静かに目玉焼きを焼いていた。

ふたりとも、顔を背けるようにして、朝をすごしていた。

ふたりの背中から伝わってくる、さみしいような、冷めきった気配。


やっぱりこれは、現実だ。本当に夢見の森から帰ってきてしまったのだ。


足の裏がなまりのように重くなる。と同時に、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。

ぼくの試練は、まだ終わっていないんだ。


「お……おはよう」


情けないほど弱々しいあいさつだった。

きっと返事をしてくれない。

ふたりとも人と話すのもおっくうというくらい、暗く冷たくなっていたから。


けれどふたりは、テムと目線をあわせて、ちゃんと返事をしてくれた。


「おはようテム……」


「ああ、起きたか。おはよう」


何か思いつめたようなふたりの表情に、テムの胸は爆発した。

涙が、あふれだしてくる。ほんの一晩の別れだったのに、

両親の顔がとてつもなくなつかしく見える。


「テム……?」


突然のテムの異変に、お父さんは新聞を置いてテムのそばにやってきた。

お母さんも、キッチンの火を切ってあわててやってきた。

ふたりとも、どの親も決まってそうするように、心配な視線をむけていた。


「……ぼ、ぼくは、ずっとパパとママの、子ども、なんだよね……?」


「え……?」

「おい……」


にじむ視界のむこうで、ふたりがどぎまぎしている。


「だって、このままじゃ、ふたりとも、どうにかなっちゃうでしょ?

ぼく、パパとママが別れちゃって、

それで……ぼ、ぼくのこと、す、すてちゃうんじゃないかって……」


涙が止まらない。

テムは、言いたいことをどうにか言葉にしようと一生懸命だった。

そしてどうやら、お父さんもお母さんも、テムがいきなり痛いところを、

しかも、この朝に言い出してきたのに、たいそう驚いているようだった。


「パパ、ママ……ぼくたち、家族っ……!」


限界だった。言葉が完全につまってしまった。

あとには、涙が滝のようにあふれだすばかりだった。

それをパジャマのそででぬぐうのに、手いっぱいだ。

お父さんとお母さんは、とうとうおたがいの顔を見合った。

そこには、おたがいの愚かさが鏡のように映し出されていた。


「テム」

お母さんが身をかがめながら、

わが子の深い悲しみを悔やむように、こう言った。


「お母さん、今こそあやまらなきゃ。

近頃のお母さん、あなたのことをまったく考えてなかったわ……」


ごめんなさい。

お母さんは、瞳に涙をうかべながらそう言った。


「ママ……」


「昨夜、この人と暮らしていける自信がないなんて、

あなたを不安がらせるようなことを言って。

お母さん、ずっと後悔していたの」


よく見ると、お母さんの目の下に、小さなくまができている。

おそらく昨晩、ずっと気にかけて寝つけなかったのかもしれない。


「なあテム」


お父さんが、テムの肩に手をそえて言った。


「その……お父さんも、悪かった。

じつはそろそろ、いい加減にしなきゃいけないと思っていたんだ……」


「パパ……」

「あなた……!」


お父さんは、申しわけなさそうに腰に手を当てながら、告白した。


「ここのとこ、友人のところに飲みにかよっていたのはな、

会社の新しい事業をどうすればいいか、相談しに行っていたからなんだ。

そして昨晩な、やっと具体的な案がうかんだんだ」


「パパ、じゃあ!」


「ああ!  お父さん、今度こそ仕事を成功させてみせるからな!

ふたりとも、不満をつのらせて、本当に悪かった。

母さんにも、なかなか言い出すに言い出せなかった。

何しろ、一番怒らせちまったからな……」


お母さんは、ため息まじりに笑ってみせて、お父さんの腕に手をそえた。


「本当よ、もう……これからは、あんまり心配かけさせないでちょうだい」


三人は、忘れかけていた温かな日々を思い出すように、よりそいあった。

このすばらしい朝が、かけがえのない家族の物語の一ページにきざみこまれた瞬間。


ヒュプノスの言葉は、本当だった。
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