テムと夢見の森

Sirocos(シロコス)

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10.夜明けの呼び声

試練のはてに

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いばらのとげにうたれた部分で、服が引き裂かれていた。

不思議と痛みはない。けれどしめっている。

おそるおそる手でさわってみると、生温かなものがこびりついた。


自分の、血だった。

重傷を負わされたというのか。感覚がおいつかない。


信じがたい光景に、体の芯がドロリととけこむような恐怖をおぼえた。

ああ、ぼくは、こんなにうちのめされてしまったのか……あこがれのねむり姫に。


いや、これではっきりした。

あのねむり姫は、自分の知っているねむり姫とはまったく違う。

事実、じつの家族に森に置き去りにされたことなんて、

あの作中のどこにも語られていないはずだ。


「……悲しみを忘れるために、眠りの力を借りているんだね?」


テムは、息を切らしながら言った。

彼女はねむり姫であって、ねむり姫ではないのだ。

それに気がついた時、テムは彼女の正体をしかとさとった。


「ならキミは、ぼくとおんなじだ」


なおも触手たちがテムをとりかこむ。

次はどのように痛めつけてやろうかと、小悪魔のように思案している様子だった。


けれど、テムもやられてばかりではなかった。

よろけながらもゆっくり立ち上がると、

しっかりと右手につかんでいたたいまつを、天にささげる勢いでかかげた。


たいまつの火がこれまでになく強く、はるかな恒星のようにあざやかにかがやいた。


邪悪な夜気を一気にうちはらうような温かい光の衝撃に、

赤い目という目が、真新しい朝日のようなまぶしさを焼きつけられて、

たまらず花びらのなかに隠れてしまう。


と同時に、いばらの触手たちも後退していく。

いばらの壁の合間に逃げる触手。地面の暗所に身をかくす触手。


今なら、ねむり姫に近づける。

テムはそう確信すると、傷口の痛みも忘れて一気にかけだしていた。

だけど、棺をかかえる木に開いた黄色い目だけは、まだやられていなかった。

ぱっちりと見開かれたままだ。

やっぱり、あれが姫の邪悪な力の中心なんだ。


テムは木に巻きついたいばらに手足をかけると、

するどいとげに注意をはらいながら登りはじめた。


ちゃんと体に力が入る。

負わされた大ケガの痛みが分からないのは救いだ。

登りながら、テムはあの大きな黄色い目玉のそばをよじ登る時、

いつ何をしかけられてもいいように心の準備をした。


テムは、姫にこう語りかけた。


「キミは、ぼくの未来の姿をしめしているんだよね。

ぼくはパパとママがずっと仲違いしてるから、もしかすると家族がバラバラになるんじゃないかって、ずっと思ってる。

でも、ぼくにはどうすることもできない。

そう思ったからぼくは、その悲しさから逃げたくて、覚めることのない夢を見たいって願ったんだ。

ぼく、やっと分かったんだよ。このままだと、ぼくはキミのようになってしまう。

現実で目覚めることのない体のまま、パパとママにすてられてしまう。

そのことをキミは、ぼくに教えようとしているんだよね」


多くの言葉が、ゆるぎない信念を原動力にして、おのずと形になった。

テムは、とうとうねむり姫の目の前まで登りつめた。

よごれ一つないガラスをすかしてねむり姫を見た時、

鏡のようなガラスの表面で、自分の顔がねむり姫の顔と重なった。


「そうだ……キミは、ぼくの心の奥で眠っていた、

ぼくでも自覚できていなかったもう一つの意識なんだ」


『……わたしが?』


ねむり姫は、テムの言葉を受けて動揺しているのか、心の声をかすかにふるわせていた。


『勝手なことを言わないで!』


「うわあっ!」


出しぬけに、いばらの触手がたいまつをつかむ右腕をとらえた。

それは、この木のすぐ根元から生えたものだった。


テムはずるりと木から引き下ろされ、あの黄色い目玉の前につるし出された。

やっぱり痛みがない。

森のいばらは、姫の望みとともに、心や体の痛みすらうばいとるようだ。

これが夢の外ならば、燃え上がるような激痛に、

身をよじりながら泣き叫んでいるところだ。


このまま後ろに投げすてられて、最初からやり直しのハメになるか。

はたまた、今まさに気力を取りもどして復活した触手たちに巻きつかれ、しめ殺されるか。

そうはいくものか!



「もういいんだよ、ねむり姫!  いっしょに目を覚まそうよ。

キミだけの森の旅人に、ぼくはなってみせるから!」



テムは右手からたいまつを手放すと、左手にそれを持ちかえた。

そして体を大きくひねり、金色の火の先端を、

黄色い目玉めがけて思いきり突き当てた。



  ジュワァァァァ……!



高熱が目玉を焼いていく。

目玉は、今にも飛び出しそうなくらいの痛みにもだえ、

するどい腐臭のする蒸気を立てながら、表面から徐々に黒く焼けこげていき、

やがて目の全体が黒いちりとなって散っていく。


力の源を絶たれたまわりじゅうの触手たちが、苦しみに身をよじる。

この場所をおおういばらのすべてが、

ドームの形をとどめることができずに、少しずつバラバラに解きほぐれていく。

広がるいばらたちのその合間から、青くあざやかな夜空が現れた。


そして、いばらたちは、突然、爆発してはじけ飛んだ。


テムをとらえていた最後のいばらも、

はじけて黒い粉じんをまき散らし、ちりとなって消えていく。

前方の木も、そして、地面さえも。

何もかも散りぢりになって、風に運ばれてはかなく消えていく。


あとにはテムと、眼下に広がる雲海。

上にも下にも、右にも左にもはてしなく広がる、夜明けを目前にした静かな空。

期待に胸がさわぐような、るり色の大空。


そしてあの棺が、美しい姫君と白花をおさめた棺が、

姫の寝姿を正面にしめして、朝日に白んできた雲海のかなたを背に、

すぐそこでただよっていた。
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