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10.夜明けの呼び声
裏切られた日
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心臓の鼓動がどんどん高まって、耳の奥まで聞こえてくる。
いやというほど高ぶった緊張感で、のどがからからに乾ききっている。
テムはついに、いばらの森の一番深い場所へとやってきた。
そこは、うねるようないばらがドーム状に空をおおう、広大なホールにもにた場所だった。
いばらの壁に群がるような目玉はみんな閉じていたし、不気味なほど静かな暗がりだった。
ドームの中心には、醜く節くれだった大きい枯れ木が立っていた。
地下から生えたいばらにからめとられたその木は、
永くこの場所でいばらの痛みにたえながらも、
魔物のよこしまな心に浸食されてしまったのだろう。
その木の高い場所に開いたうろのなかに、ガラスの棺があった。
黒い細かな根に埋めこまれたようなその棺のなかに、たくさんの光る白花にいだかれている少女――。
「ねむり姫……!」
モモの花を思わせる華やかなドレス。波のような長い栗色の髪に、黄金のティアラ。
家のベッドの上でちらりと見せられたあの姿に、間違いなかった。
大好きな絵本で見た姿そのままだ。
邪悪な感情に支配されているとは思えないほどきれいな寝顔で、静かに眠っている。
死んだように昏睡している。
いよいよ、最後の試練だ。ここが夢の終わりになるのだ。
「ねむり姫! キミを起こしに来たよ!
起きて、森のみんなに笑顔を見せてあげようよ!」
テムがねむり姫に呼びかけた、ちょうどその時だ。
空間をおおういばらの群れがふたたび大きくうごめき、
きしむ音があたりをつつんだ。
静まっていた花たちがいっせいに目玉をむき、攻撃をはじめると言わんばかりだ。
「うわ! うわああっ!」
地面から、何本もの触手が勢いよく飛び出して、テムの前に立ちふさがった。
何としてでも行く手をはばもうというのだ。
触手たちは、乱暴なムチのようにあたりを打ちつけ、バシン、バシン! とはげしい音を立てた。
『わたしに近づかないで』
一度も聞いたことのない女の子の声がした。
『わたしをひとりにして。わたしを、ひとりぼっちのままにして』
花そのものが話しているかのような、甘くてはかなげな声。
きっとこれが、ねむり姫の声だ。
覚めない眠りの中から、頭に直接語りかけてくる。
なんてすてきな声だろう! 心から好きになりそうな声音だ。
それなのに、どうしてそんなにつらそうな、悲しげなことを口にするんだ。
いばらがまき散らす粉塵に両手をおおいながら、テムは叫んだ。
「キミはひとりになっちゃいけないんだ!
キミのようにきれいな女の子は、
幸せにならなくちゃいけないんだよ、ゼッタイに!」
『……あの旅人さんとは、違うことを言うのね』
ねむり姫は、深く消沈したような声でそう言った。
想像すらしていなかった。あの森の旅人を引きあいに出してくるなんて。
『あなたの言葉は、あの人のように、わたしの心にひびかない。
あの人の使う言葉は、もっと大人らしくて、知性があったはず』
やめてくれ。ぼくとあの旅人をくらべるのは!
「キミはどうして、眠りについてしまったの!」
『あなたの言葉は、好きになんてなれない』
「そうだよ。ぼくは、森の旅人とは違うよ。
だけど……あの旅人と同じくらい、ぼくはキミのことを思ってるんだ、一生懸命!」
『ウソ。あなたはわたしのことを、物語のなかの人物としか見ていない』
テムは、ひどく幻滅していた。
あんなに大好きだったねむり姫から、
こんなに手きびしい言葉を投げかけられるのが、いやで仕方なかった。
『だって、まだあなたは、夢見の森でのわたしの過去を知らないから』
「キ、キミの過去?」
『遠い昔、わたしにも家族がいた。とても優しかったお父様と、お母様がいたの』
まさか……。テムは、胃袋がきつくしぼむような予感がした。
『わたしは、ずっと愛されていたの。
なのに、ある日突然、わたしはこの森にすてられた。そして……』
頭に流れてくるねむり姫の声が、だんだんと悲しみにふるえだした。
『あの人たちは、わたしの目の前で別れてしまった。
悲しくて、さみしくて、死にそうだった。
すてきな森の動物たちが助けてくれなかったら、今ごろ飢えて死んでいた……』
そんなばかな……テムは胸がはち切れそうだった。口がはげしくわなないた。
自分がこの上なく恐れていることを、ねむり姫はまさに体験していたのだ。
『わたしは、たくさんの動物たちにかこまれて暮らしていた。
それも幸せな毎日だった。
でも、あのすてられた日のことだけは、いつまでも胸に残っていたの。
ずっと心が痛かった。傷をつけられたままのガラスの器みたいに』
棺をだいている木に巻きついていた太いいばらの表面に、
大きな赤い花びらがつと開いていく。
さらに、その花の中心にむき出しになる、ひときわ大きな黄色い目玉。
邪悪な力の中心。
バシン、バシーン! 触手たちの攻撃が止まない。
テムはすでに手から足にいたるまで、あちこちかすり傷を受けていた。
これが、姫の心の痛みなのか。
痛みが積もりに積もって、こんなに大きな力になったのか。
『眠りのなかなら、この痛みを感じなくなる。
だからわたしは、眠り続けることを選んだの。
あなたは、邪魔をしないで!』
バシィーン!
テムはいばらのムチに脇腹をうたれて、地面にたおれこんでしまった。
いやというほど高ぶった緊張感で、のどがからからに乾ききっている。
テムはついに、いばらの森の一番深い場所へとやってきた。
そこは、うねるようないばらがドーム状に空をおおう、広大なホールにもにた場所だった。
いばらの壁に群がるような目玉はみんな閉じていたし、不気味なほど静かな暗がりだった。
ドームの中心には、醜く節くれだった大きい枯れ木が立っていた。
地下から生えたいばらにからめとられたその木は、
永くこの場所でいばらの痛みにたえながらも、
魔物のよこしまな心に浸食されてしまったのだろう。
その木の高い場所に開いたうろのなかに、ガラスの棺があった。
黒い細かな根に埋めこまれたようなその棺のなかに、たくさんの光る白花にいだかれている少女――。
「ねむり姫……!」
モモの花を思わせる華やかなドレス。波のような長い栗色の髪に、黄金のティアラ。
家のベッドの上でちらりと見せられたあの姿に、間違いなかった。
大好きな絵本で見た姿そのままだ。
邪悪な感情に支配されているとは思えないほどきれいな寝顔で、静かに眠っている。
死んだように昏睡している。
いよいよ、最後の試練だ。ここが夢の終わりになるのだ。
「ねむり姫! キミを起こしに来たよ!
起きて、森のみんなに笑顔を見せてあげようよ!」
テムがねむり姫に呼びかけた、ちょうどその時だ。
空間をおおういばらの群れがふたたび大きくうごめき、
きしむ音があたりをつつんだ。
静まっていた花たちがいっせいに目玉をむき、攻撃をはじめると言わんばかりだ。
「うわ! うわああっ!」
地面から、何本もの触手が勢いよく飛び出して、テムの前に立ちふさがった。
何としてでも行く手をはばもうというのだ。
触手たちは、乱暴なムチのようにあたりを打ちつけ、バシン、バシン! とはげしい音を立てた。
『わたしに近づかないで』
一度も聞いたことのない女の子の声がした。
『わたしをひとりにして。わたしを、ひとりぼっちのままにして』
花そのものが話しているかのような、甘くてはかなげな声。
きっとこれが、ねむり姫の声だ。
覚めない眠りの中から、頭に直接語りかけてくる。
なんてすてきな声だろう! 心から好きになりそうな声音だ。
それなのに、どうしてそんなにつらそうな、悲しげなことを口にするんだ。
いばらがまき散らす粉塵に両手をおおいながら、テムは叫んだ。
「キミはひとりになっちゃいけないんだ!
キミのようにきれいな女の子は、
幸せにならなくちゃいけないんだよ、ゼッタイに!」
『……あの旅人さんとは、違うことを言うのね』
ねむり姫は、深く消沈したような声でそう言った。
想像すらしていなかった。あの森の旅人を引きあいに出してくるなんて。
『あなたの言葉は、あの人のように、わたしの心にひびかない。
あの人の使う言葉は、もっと大人らしくて、知性があったはず』
やめてくれ。ぼくとあの旅人をくらべるのは!
「キミはどうして、眠りについてしまったの!」
『あなたの言葉は、好きになんてなれない』
「そうだよ。ぼくは、森の旅人とは違うよ。
だけど……あの旅人と同じくらい、ぼくはキミのことを思ってるんだ、一生懸命!」
『ウソ。あなたはわたしのことを、物語のなかの人物としか見ていない』
テムは、ひどく幻滅していた。
あんなに大好きだったねむり姫から、
こんなに手きびしい言葉を投げかけられるのが、いやで仕方なかった。
『だって、まだあなたは、夢見の森でのわたしの過去を知らないから』
「キ、キミの過去?」
『遠い昔、わたしにも家族がいた。とても優しかったお父様と、お母様がいたの』
まさか……。テムは、胃袋がきつくしぼむような予感がした。
『わたしは、ずっと愛されていたの。
なのに、ある日突然、わたしはこの森にすてられた。そして……』
頭に流れてくるねむり姫の声が、だんだんと悲しみにふるえだした。
『あの人たちは、わたしの目の前で別れてしまった。
悲しくて、さみしくて、死にそうだった。
すてきな森の動物たちが助けてくれなかったら、今ごろ飢えて死んでいた……』
そんなばかな……テムは胸がはち切れそうだった。口がはげしくわなないた。
自分がこの上なく恐れていることを、ねむり姫はまさに体験していたのだ。
『わたしは、たくさんの動物たちにかこまれて暮らしていた。
それも幸せな毎日だった。
でも、あのすてられた日のことだけは、いつまでも胸に残っていたの。
ずっと心が痛かった。傷をつけられたままのガラスの器みたいに』
棺をだいている木に巻きついていた太いいばらの表面に、
大きな赤い花びらがつと開いていく。
さらに、その花の中心にむき出しになる、ひときわ大きな黄色い目玉。
邪悪な力の中心。
バシン、バシーン! 触手たちの攻撃が止まない。
テムはすでに手から足にいたるまで、あちこちかすり傷を受けていた。
これが、姫の心の痛みなのか。
痛みが積もりに積もって、こんなに大きな力になったのか。
『眠りのなかなら、この痛みを感じなくなる。
だからわたしは、眠り続けることを選んだの。
あなたは、邪魔をしないで!』
バシィーン!
テムはいばらのムチに脇腹をうたれて、地面にたおれこんでしまった。
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