テムと夢見の森

Sirocos(シロコス)

文字の大きさ
上 下
26 / 36
8.なごりおしむ月の光

眠れる森の主(3)

しおりを挟む
 グレウスは久しぶりの実家に肉の串を届けると、そのまま急いで帰宅した。
 先程のフードの人物がオルガならば、まだ家に帰りついてはいないはずだ。人通りがまばらになるや、すぐさま馬に跨って家路を急ぐ。
 貴族の邸宅の間を縫うようにして屋敷の門まで帰り着いたグレウスは、門番をしているロイスが慌てた様子で駆け寄ってくるのに気づいた。
「お帰りなさいませ、旦那様! あの……!」
 何か言おうとするロイスを制して、グレウスは問いかけた。
「オルガは外出中か? それとも中にいるのか?」
「え……奥方様ですか? 奥方様は本日もご在宅で、お出かけのご用命は伺っておりませんが……」
 意外なことを聞かれたかのように、ロイスは戸惑いを隠さない様子で返答した。
 やはりあれは別人だったのかと思いつつも、どうしてもあそこにオルガが居たように思えて仕方がない。
 グレウスの屋敷には正面の門の他に、屋敷の裏手に使用人用の通用門もある。用があるとき以外は鍵が掛かっているはずだが、もしかするとそちらから出入りしているのかもしれない。
 それを確かめるために馬の足を裏手に向けようとした時、正門横の通用口から老執事が姿を現した。
「旦那様、こちらへ」
 老人とは思えない素早い動作で、マートンはグレウスの馬の轡を取った。
 辺りを憚るように見回して、グレウスの馬を壁際の人目につかない所へ誘導する。
 屋敷の中で何事かあったようだと察して、グレウスは馬上から身を屈めて執事に顔を寄せた。
「何かあったのか」
 日頃にない鋭い眼光で正門の方を見据えながら、老執事はしわがれた声を出した。
「ラデナ王国のゼフィエル・ラデナ殿下が、旦那様とのご面会を求めてお越しになっておいでです」
 思いもかけない名前に、グレウスは目を見開いた。






 マートンから話の概要を聞いたグレウスは、愛馬に騎乗したまま門を潜った。屋敷の正面にある車寄せに一台の馬車が停まっているのが見える。
 その馬車の全容を見て、グレウスは唖然と口を開いた。
 えらくゴテゴテと飾り立てられた、派手な馬車だった。
 馬車の車両はカボチャか何かのように大きく膨らんだ曲線を描き、色は白。
 場違いなほど巨大な車輪や扉には、眩しい金の装飾。車両のてっぺんにも金の王冠が鎮座している。
 窓もやたらと大きく、中が丸見えだ。防寒も防衛もあったものではない。さぁここに金持ちが乗っています、襲撃どうぞと言いふらしているような馬車だった。
 アスファロスは魔法が発達し、偽証や犯罪の隠蔽が難しいため比較的治安はいい。が、そうだとしても、個々に鎮座する馬車は一欠けらの危機感も見当たらない乗り物だった。
 正気を疑って思わずマジマジと眺めながら近づくと、グレウスの帰宅に気づいた御者が馬車の扉へと駆け寄った。
 少し離れた場所で馬を降り、グレウスは高貴な客人が馬車から出てくるのを待った。
 中から出てきたのは同年代と思しき青年だったが、その姿にグレウスは二度唖然とした。
 

 身分を誇示する華美な馬車から現れたのは、予想通りと言うかなんと言うべきか、さすがこれだけの馬車を走らせるだけのことはあると唸るような人物だった。
 初めにグレウスの目に入ったのは、光沢を放つ白い絹の靴と、染み一つない真っ白なズボン。それから宝石で飾り立てた腰のベルトと黄金造りの細身の剣。
 金の房飾がこれでもかと付いた真紅の上着の下は、金の刺繍がびっしりと入った真紅のベスト。
 中のシャツは白だったが、呆れるほど大きな襟にレースの装飾までついている。
 肩に掛かるのは丁寧に巻かれた蜂蜜色の巻き毛だ。赤い宝石が嵌まった黄金の宝冠が、その頭のてっぺんに乗っている。
 目のいいグレウスは、その宝冠が馬車のてっぺんに飾られているのと同じ意匠であることに気づいた。
 極めつけに、肩から垂らした真紅のマントには、巨大なラデナ王国の紋章が金糸と宝石で描き出されていた。
 初対面であっても、ラデナ王国の王族以外には見間違えようのない出で立ちだ。
 金・赤・白・赤・金・金・金……。
 近づくと目がチカチカするのを感じながら、一応の礼儀としてグレウスは名を名乗った。
「グレウス・ロアでございます。え、え……と、ゼフィエル・ラデナ殿下でいらっしゃいますか?」
 貴族の屋敷を訪問するには、事前に先触れの使者を出して訪問の可否を問うのが常識だ。
 もしやこの出で立ちで王子ではなくだたの使者だったらどうしようと思っていると、馬車から地面に降り立った貴人はグレウスを一瞥して、雄弁な溜息を吐いた。
 芝居がかった仕草で巻き髪の房を後ろに払いのけると、青年は尊大な調子で言ってのける。
「お前がグレウス・ロア侯爵か。私はゼフィエル・ラデナ。ラデナ王国王太子の第三王子である」





 来客であるゼフィエル・ラデナについては、門の外でマートンが手短に教えてくれていた。
 現在の国王の孫にあたる王族で、王太子の三番目の王子。
 グレウスと同じ二十六歳で、ディルタス皇帝が即位した際の祝賀に、ラデナ国王名代としてアスファロスを訪れた。それ以来オルガに執心なのだという。
 王子からの求婚は、本人が国外への降嫁を拒否しているという理由で退けられたようだが、そうでなくともまったく想像がつかない組み合わせだ。
 片や眩しいほどの金ぴか王子、片や黒ずくめの皇弟――。
 そう思いかけて、自分とオルガも十分想像できない組み合わせだということに、グレウスは思い至ってしまった。
 どんな奇妙な組み合わせであっても、あり得ないということはない。自分たちがいい例だ。
 世が世ならば、この王子とオルガが夫婦になる可能性もあったのだろうか。
 グレウスは眩しい衣装に身を包んだ王子を見下ろした。


 アスファロスとラデナは王族同士の婚姻の歴史もあり、様々な条約を結んだ友好国でもある。
 その国の都に来て、貴族の屋敷を先触れもなく訪れ、挙句にこの態度である。下手をすると外交上の問題になりかねないのに、お付きの従者たちは止めなかったのだろうか。
 従者たちを見渡して、グレウスは溜息を呑み込んだ。王子の奇行にはとっくに慣れているのか、諫めるどころか顔色一つ変えていない。何とも言えない痛々しさだ。
 とにかく顔を合わせないように帰れと命じた騎士団長の気持ちがわかった気がした。
 言葉で説明されていても、実物を見るまできっと理解できなかったに違いない。国民性の違いなのかもしれないが、とても話し合いが可能な相手とは思えなかった。
 何の用で来たかは知らないが、さっさと用件を聞いて追い返すに限る。


「お待たせして申し訳ございません。ひとまず中にお入りください」
「無礼者め……! 私はラデナの王族。このような怪しげな屋敷に入る気はない」
 そう言って中に入ろうとしないことはマートンからも聞いていたので、グレウスはあっさりと諦めた。
「では御用をお伺いしてよろしいでしょうか」
 嫌な用事は早く済ませて、オルガと話がしたい。屋台で見かけた相手は、オルガだったのかそうでなかったのか。それに、子どもの頃に街で出会った時のことも詳しく話がしたかった。
 面倒そうな気配がでてしまったのだろうか、ラデナの王子が眉を吊り上げた。その口から剣呑な言葉が飛び出す。
「盗人がここに居ると聞いたのでな。我が手で成敗しに来たのだ」
「盗人」
 思わずオウム返しに呟いて、グレウスは装飾の激しい馬車に目をやった。
 いくらアスファロスの治安がいいからと言って、あんな馬車で往来すれば盗人の一人や二人は出てもおかしくない。大方目を離したすきに、馬車の装飾品でも盗られたのだろう。
 慰めの言葉でもかけるべきかと思ったが、ゼフィエルの言いたいことは違ったようだ。
「そうだ! 我が婚約者にして麗しの皇子オルガ・ユーリシス殿をよくも寝取ったな! この盗人侯爵が!」
 白い手袋に包まれた指が、糾弾するようにグレウスを指し示した。


 頭一つ低いところにある王子の顔を、グレウスは思わず凝視した。
 顔を真っ赤にして睨みつけてくる王子の顔は、自分の正義を信じて疑いすら持っていないようだ。
 馬鹿馬鹿しい主張だが、今まで誰もこの王子の言うことを否定したり諫めたりはしなかったのだろう。挙句の果てに隣国まで押しかけて、既婚者となった相手を奪い返そうとでも言うのだろうか。
 物の道理もわかっていないような、尊大な口調と表情。まるで駄々をこねる小さな子どものようだ。
 だが――、とグレウスは考える。
 カボチャのような馬車もやたらと煌びやかな衣装も、グレウスの目には少々滑稽に映るほどだが、本人やお付きの従者にとってはこれが当たり前のことなのだろう。
 大勢に傅かれて育ったのだと察せられる、傍若無人な振る舞い。
 髪は過剰なくらいに手入れが行き届いており、肌は日焼けも知らない。白い手袋が真っ白なままでいられるのは、その手で何もすることがないからだろう。
 巨大な窓を持つ馬車を走らせても、少しの危機感も覚えない。
 装飾過多な衣装を重いとも感じずに身に着けて、上等な絹の靴を汚した時には新しいものに履き替えるだけ。
 身の回りの世話はすべて下々に任せて、ただ思うがままに振舞うことだけを許される存在。
 ――これが王族というものだ。
 不意にグレウスは理解した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王女様は美しくわらいました

トネリコ
児童書・童話
   無様であろうと出来る全てはやったと満足を抱き、王女様は美しくわらいました。  それはそれは美しい笑みでした。  「お前程の悪女はおるまいよ」  王子様は最後まで嘲笑う悪女を一刀で断罪しました。  きたいの悪女は処刑されました 解説版

みかんに殺された獣

あめ
児童書・童話
果物などの食べ物が何も無くなり、生きもののいなくなった森。 その森には1匹の獣と1つの果物。 異種族とかの次元じゃない、果実と生きもの。 そんな2人の切なく悲しいお話。 全10話です。 1話1話の文字数少なめ。

【総集編】日本昔話 パロディ短編集

Grisly
児童書・童話
❤️⭐️お願いします。  今まで発表した 日本昔ばなしの短編集を、再放送致します。 朝ドラの総集編のような物です笑 読みやすくなっているので、 ⭐️して、何度もお読み下さい。 読んだ方も、読んでない方も、 新しい発見があるはず! 是非お楽しみ下さい😄 ⭐︎登録、コメント待ってます。

シンクの卵

名前も知らない兵士
児童書・童話
小学五年生で文房具好きの桜井春は、小学生ながら秘密組織を結成している。  メンバーは四人。秘密のアダ名を使うことを義務とする。六年生の閣下、同級生のアンテナ、下級生のキキ、そして桜井春ことパルコだ。  ある日、パルコは死んだ父親から手紙をもらう。  手紙の中には、銀貨一枚と黒いカードが入れられており、カードには暗号が書かれていた。  その暗号は市境にある廃工場の場所を示していた。  とある夜、忍び込むことを計画した四人は、集合場所で出くわしたファーブルもメンバーに入れて、五人で廃工場に侵入する。  廃工場の一番奥の一室に、誰もいないはずなのにランプが灯る「世界を変えるための不必要の部屋」を発見する五人。  そこには古い机と椅子、それに大きな本とインクが入った卵型の瓶があった。  エポックメイキング。  その本に万年筆で署名して、正式な秘密組織を発足させることを思いつくパルコ。  その本は「シンクの卵」と呼ばれ、書いたことが現実になる本だった。

マサオの三輪車

よん
児童書・童話
Angel meets Boy. ゾゾとマサオと……もう一人の物語。

見習い錬金術士ミミリの冒険の記録〜討伐も採集もお任せください!ご依頼達成の報酬は、情報でお願いできますか?〜

うさみち
児童書・童話
【見習い錬金術士とうさぎのぬいぐるみたちが描く、スパイス混じりのゆるふわ冒険!情報収集のために、お仕事のご依頼も承ります!】 「……襲われてる! 助けなきゃ!」  錬成アイテムの採集作業中に訪れた、モンスターに襲われている少年との突然の出会い。  人里離れた山陵の中で、慎ましやかに暮らしていた見習い錬金術士ミミリと彼女の家族、機械人形(オートマタ)とうさぎのぬいぐるみ。彼女たちの運命は、少年との出会いで大きく動き出す。 「俺は、ある人たちから頼まれて預かり物を渡すためにここに来たんだ」  少年から渡された物は、いくつかの錬成アイテムと一枚の手紙。 「……この手紙、私宛てなの?」  少年との出会いをキッカケに、ミミリはある人、あるアイテムを探すために冒険を始めることに。  ――冒険の舞台は、まだ見ぬ世界へ。  新たな地で、右も左もわからないミミリたちの人探し。その方法は……。 「討伐、採集何でもします!ご依頼達成の報酬は、情報でお願いできますか?」  見習い錬金術士ミミリの冒険の記録は、今、ここから綴られ始める。 《この小説の見どころ》 ①可愛いらしい登場人物 見習い錬金術士のゆるふわ少女×しっかり者だけど寂しがり屋の凄腕美少女剣士の機械人形(オートマタ)×ツンデレ魔法使いのうさぎのぬいぐるみ×コシヌカシの少年⁉︎ ②ほのぼのほんわか世界観 可愛いらしいに囲まれ、ゆったり流れる物語。読了後、「ほわっとした気持ち」になってもらいたいをコンセプトに。 ③時々スパイスきいてます! ゆるふわの中に時折現れるスパイシーな展開。そして時々ミステリー。 ④魅力ある錬成アイテム 錬金術士の醍醐味!それは錬成アイテムにあり。魅力あるアイテムを活用して冒険していきます。 ◾️第3章完結!現在第4章執筆中です。 ◾️この小説は小説家になろう、カクヨムでも連載しています。 ◾️作者以外による小説の無断転載を禁止しています。 ◾️挿絵はなんでも書いちゃうヨギリ酔客様からご寄贈いただいたものです。

きたいの悪女は処刑されました

トネリコ
児童書・童話
 悪女は処刑されました。  国は益々栄えました。  おめでとう。おめでとう。  おしまい。

忠犬ハジッコ

SoftCareer
児童書・童話
もうすぐ天寿を全うするはずだった老犬ハジッコでしたが、飼い主である高校生・澄子の魂が、偶然出会った付喪神(つくもがみ)の「夜桜」に抜き去られてしまいます。 「夜桜」と戦い力尽きたハジッコの魂は、犬の転生神によって、抜け殻になってしまった澄子の身体に転生し、奪われた澄子の魂を取り戻すべく、仲間達の力を借りながら奮闘努力する……というお話です。 ※今まで、オトナ向けの小説ばかり書いておりましたが、  今回は中学生位を読者対象と想定してチャレンジしてみました。  お楽しみいただければうれしいです。

処理中です...