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6.安息のかなたへ

目覚めの部屋

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「数か月前のことだ」


王様はテムのために、ネネ姫の身に起きたできごとを語ってくれた。


「娘がバルコニーでひとり月光を見上げていた時だ。

夜の闇にまぎれて、生きた心をつけねらう化けコウモリが現れたのだ。

よほど娘の心にひかれたのだろう。

そやつは魔法の爪で娘の胸をえぐり、心だけを取りだしてしまったのだ」


言葉だけを聞くと、とてもおぞましい光景を想像してしまう。

血は出なかったのかとテムは聞いたが、それはなかったということで、ほっとした。


その化けコウモリからネネ姫の心を取り返したのが、ビビだったという。


「化けコウモリは、わしがとうにうちはたした。

しかし、ネネ姫の心を体に戻すことは、誰にもできなかったのじゃ……」


ビビが言うには、化けコウモリの魔法の爪は特別で、ひとたび心をえぐり出されると、

簡単には戻せなくなるということだった。


「この部屋は、今日、わが娘に心を戻し、眠りから解放するために整えた部屋なのだよ」


「『目覚めの部屋』という名の儀式を行うためです」


と、王妃様が言った。


「長い時間をかけて古文書を解読し、ようやく見つけた、娘を目覚めさせる方法なのです……」


ネネ姫の心は、テムのちっぽけな手のひらの上で、そわそわするようにまたたいている。

早く自分の体に戻りたいのに、それを言葉にできないのだ。


「では、さっそく儀式をはじめよう。

お客人よ、娘の心を、そこのシスターに渡してほしい」


テムは、生まれて間もないヒナをあずけるように、そっと大事に宝石を手渡すと、

儀式をするシスターを残して、みんなと姫のベッドから離れた。


「何がはじまるの、ビビ?」


「わしもはじめて目にするのじゃ。

古のリス族に伝わる、神聖なる儀式というが、はたして……」


リスのシスターは、姫のベッドの前で緑の宝石をかかげると、

祈るようにまぶたを閉じて、何かを唱えはじめた。

発音すらされない未知の言葉だったので、テムには何一つ理解することができない。


「われらリスにしか聞こえない言葉だが、彼女はこう言っておる」


テムに気をつかってか、王様が通訳をしてくれた。


「心と体、分かたれし姫よ。

  汝の不幸なる眠りは、ここに終わりをつげる。

  覚醒をさまたげし闇の水底より戻りて、

  この目覚めの部屋にて、その身を再び起こしたまえ」


次の瞬間、ネネ姫の心の宝石の中心から、まばゆい光があふれ出した。

誰もが目を開けていられない。

テムは、ネネ姫の心が戻るのかと、つい期待に胸をふくらませてしまった。


しかし、光は徐々に弱まっていき、宝石はまた元のようにかすかなかがやきに戻ってしまった。


ネネ姫が、目を覚ますことはなかった。


シスターは、残念そうに首をふった。


「なんということでしょう!  これでもダメだなんて……」


王妃様は、あわれな声で泣きくずれてしまった。

王様はその身を支えながら、自分も顔をふせて悲しみにくれた。


部屋にいたリスたちが、悲嘆をあらわにして言葉をうしなってゆく。


「たとえネネ姫ほどではないにしても……」


ビビだけが、やりきれないような声でようやく口にした。


「あのシスターの持つ祈りの力は本物じゃ。

それでだめじゃとすれば、わしらはもうお手上げじゃ。

儀式の力が十分ではなかったのかもしれんが……」


「ぼくたちには、もうどうすることもできないの?」


テムにすら、もう望みはないかのように思えた。

その時。



  『眠れる子、テムよ。あきらめることはありません』




突然、聞き覚えのある優しい声がひびいた。

テムは、心臓がやぶれるくらいにハッとして、部屋の天井を見上げた。

この星の光のようなひびきを残す美しい声は――。



「ねむり姫!」



テムは、つい大声で叫んでしまった。

まわりじゅうのみんなが、テムひとりに注目した。



  『可憐なるリスの姫を目覚めさせる力は、あなたの中にあるのです』



「ぼくが、ネネ姫を起こすの……?」


「どうしたんじゃ、テム!  

まさか、ねむり姫の声がするというのか?」


どうやら、彼女の声は自分にしか聞こえないようだ。



  『姫の目覚めを待ちわびる者たちの、思いを伝えなさい。

    あなたの手から直接、心の結晶を返し、

    思いをこめた温かな声で、姫に呼びかけなさい』



ねむり姫の声は、それきり聞こえなくなった。

ビビや、リス王夫妻が、がく然としてこちらを見つめている。

どうやら、みんなをずいぶん驚かせてしまったようだ。

テムは、部屋にいるもの全員に、率直に事実を伝えた。


「ぼく、ねむり姫の声を聞きました」


「なんと!  そなたは、かのねむり姫の声を聞くことができるのか」


リス王夫妻は、思いもよらないことに仰天しているようだ。

大臣たちやメイドたちも、声をひそめてつぶやきあっている。

シスターなど、開いた口がふさがらないようだ。


「あの、シスターさん。

すみませんけど、そのお姫様の心、もう一度ぼくに渡してもらえませんか?」


「は、はい?」

と、シスターは上ずった声を出した。


テムは、シスターから緑の宝石を手渡してもらうと、

ネネ姫の胸に置かれた両手のなかに、宝石をそっと入れてあげた。


王妃様がそわそわしながらたずねてくる。


「な、何をはじめようというのですか?」


テムには、説明できる余裕がなかった。

ねむり姫からのアドバイスが届いたのだ。

自分にしかできないことなら、許されるかぎり早くすすめたほうがいい。


テムは、ネネ姫の冷たい寝顔を見つめながら、

リス王夫妻がいかにネネ姫を愛し、どれほどその目覚めを待ちわびているかを想像した。

その答えは、テムがこの城に足をふみいれた時から分かっていた。


このリスの城は、リス王夫妻の尊い慈愛のなかに包まれている。

城に住み、城のために生活するすべてリスたちから、幸福な気配を感じられたのが、その証拠だ。


だから、そんなリス王夫妻の娘として生まれたネネ姫は、城でもっとも幸せに違いないのだ。


「お父さんとお母さんが、ずっと待っているよ。

目を覚ましておいでよ……ね?」


緑の宝石が、かがやきを増しながら、ゆっくりとネネ姫の胸のなかへしずんでいく。

そして、ネネ姫の身体は、生気に満ちたあわい緑の光に包まれ、しだいに温められていく。


部屋にいた者全員が、いつの間にか姫のベッドのまわりに集まり、かたずを飲んで事の次第を見守っていた。


温もりの光が、ネネ姫の身体のなかに、すっかりなじんで消えていった。


ネネ姫のまぶたが、つと動いた。



「ネネ!」



リス王夫妻が、ネネ姫の両手をにぎった。

両親の手のなつかしい温かさを感じたネネ姫は、家族の呼び声にそっとまぶたを開けていく。

永遠のような深い夢から覚めたばかりのネネ姫の目に、最初に映りこんだのは、

この瞬間を願い続けていたリス王夫妻の、愛する顔だった。


「お父様、お母様……」


ネネ姫は、やわらかな笑顔をうかべた。


「おおお、ネネ!」

「ああ、目を覚ましたわ、ネネ!」


喜びに瞳をうるませたリス王夫妻に、これ以上の言葉は出てこなかった。

ただ娘の身体を抱き起したあと、奇跡を分かちあうかのように、ふたりそろって娘とほほをすりあわせるのだった。

大臣たちは、みんな声を上げて涙していた。

シスターやメイドたちも、歓喜にわいて手をにぎりあっていた。


「これは……なんたること」


ビビは、あぜんとしてその光景をながめていた。


「こうも簡単に、ネネ姫を起こしてしまうとは。

テムよ……おぬし、いったい何をしたのじゃ……。

テム?」


テムはしゃがみこみ、ノックスにほほをなめてもらいながら、ひとり声を殺して泣いていた。

幸せなネネ姫に、自分の姿を重ねあわせてしまったからだ。

テムが暮らすあの家には、このような温かい光景はもうどこにもない。

ぜんぶが壊れかけようとしているあの日常が、テムの胸いっぱいによみがえっていた。
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