テムと夢見の森

Sirocos(シロコス)

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2.床入りの恐怖

巨大なトカゲ

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「あ……ああぁ……!」

テムは天井を見上げたまま、まるで石のようにかたまっていた。

いったい、どうして気がつかなかったんだろう?

あいつはずっと天井にはりつき、息をひそめていたというのか。


その恐ろしく釣り上がった大トカゲの黄色い瞳が、テムの恐怖心をつらぬいていた。

大トカゲは、ヘビのように長い舌をシュルルッと出し入れしながら、岩壁をひたひたとはいおりてくる。

まるでカメレオンだ。なんという巨体だろう。

アマゾンのワニよりも数倍大きい。

ノックスがその大トカゲにむかって、逃げもせずにたえず吠え続けている。


「おい、人間」


大トカゲはノックスに目もくれなかった。


「ここをおれの巣穴だと知っていて、忍びこんだのか?

その手に持っているものはなんだ?」


大トカゲは、舌を銃のようにビュッと発射して、緑の宝石を持つテムの右腕を、たちどころにとらえた。

強い力だ。いくら引っ張っても放してくれない。


「やめて! はなしてったら!」


その時だ。

テムの悲鳴を聞いたノックスが、牙をむきだしにして大トカゲにとびかかった。

見たこともないような勇ましい一面だ。

けれど、大トカゲはがっしりとした前脚を突き出して、ノックスをはじき返してしまった。

ドスンッ!

あえなくノックスは、にぶい音とともに地面を転がった。


「小さいくせに、血の気の多い犬ころだな」


大トカゲは舌でテムの腕をとらえたまま、流ちょうにしゃべり続けた。


「ここはおれの巣穴であり、宝物庫だ。

よもや、お前のような人間のガキが、

あの隠し通路の入り口を見つけ出すとは、驚いたぞ」


ふふふ、とふてきな笑みを浮かべている。

財宝を隠し持つドラゴンの話は知っているけれど、まさかお宝好きなトカゲとは。


「悪い夢のようだろう、坊主?

森に閉じこめられたあげく、トカゲであるこのおれに食べられるのだからな」


まるでテムがトカゲ嫌いなのを、知っているかのような口調だった。

でも、今はそんなことを考えられる余裕がない。

トカゲに食べられる。いやだ。こんなのいやだ!


「あきらめろ。

おれに見つかったからには、もうお前たちは、生きてここを出られやしない。

まずはその宝石を手放してもらおうか!」


大トカゲは、のし、のし、と距離をつめながら、テムの腕をさらに強くしめつけていった。

この舌、なんて器用なんだ。

お父さんにしかられてきつく腕をつかまれる時なんかより、ずっとずっと力強い。

ああ、この感覚は夢なんかじゃない。本物だ。

ぼくは、こんなわけも分からない森のなかで、トカゲに食べられて死ぬのか。


「いやだよ……誰か、ぼくを助けて……」


怖くて、悔しくて、涙があふれだしそうになった、その時だった。



「そこまでじゃ、大トカゲ!!」



天井のほうから、叫び声とともに白いなにかが降ってきた。


そのなにかは、細長い棒のような剣を、勢いに乗って細くのびた舌へと突き立てた。

ザクッ!!

剣の先端が、トカゲの舌を断ち切った。


「おごごごごぉ!!」


たまらず叫び声をあげながら、大トカゲは切り取られた舌をむき出したまま、地面の上をのたうち回った。

テムの腕から、舌の残骸がベショリと落ちた。


手痛い一撃をくれた白いものは、手に持った武器をシュッと一払いして、テムのほうを見た。

その正体は、一匹のリスだった。とがった耳に、ふさふさした尻尾。

間違いない。どこをどう見てもリスそのものだった。

ただ、信じられないほど背が大きい。テムの腰より高いほどだった。

それに、頭には人間のような前髪がついている。

古びたマントをはおり、腰には金具や道具をいくつも取りつけた、革のベルトを巻いている。


こんなリスは見たことがない。


「無事のようじゃな!」


子どもっぽい愛らしい声で、リスが声をかけてきた。


「う、うん。ぼくは大丈夫……」


テムはあっけにとられたまま、力なく答えた。

大トカゲは、突きさされた舌をむきだしにしながら、テムたちにむかって直進してきた。


「目をつむっておるんじゃ!」


リスにそう叫ばれ、テムは思わず、言われたとおりにぎゅっとまぶたを閉じてしまった。


シュッ!  シュシュシュッ!!


閉じられた視界のむこうで、風のようなすばやい動きとともに、武器が何発もふるわれる。


「うごあぁぁぁ!!」


大トカゲのおぞましい断末魔。

その直後、どうっという大きな音とともに、生温かいツンとにおう突風が巻き起こった。

すると、あたりは急に静かになった。


「もう目を開けてもよいぞ」


リスにそう言われて、テムはゆっくりとまぶたを上げてみた。


あの巨大なトカゲは、跡形もなく消えていた。

目の前には、白いリスがすました横顔をうかべて、武器を腰につけた鞘におさめていた。

テムは、度肝をぬかれた気分で目をパチクリさせた。



「大トカゲは弾けて消えてしまったぞ。

わしが秘伝の技でうち果たしたのじゃ。

おぬしのような小童には、ちと刺激の強い剣技だったのでな」


リスは、長い尻尾をたおやかにゆらしながら、テムとむきあった。


「にしても、おぬしらは不用心すぎる。

こういう怪しい洞くつの中は、かならず危険が潜んでおるものじゃ。

虎穴に入らずんば虎子をえず、という言葉もあるが、子どもなら時には、引きぎわも肝心じゃぞ」

リスから説教を受けるとは、思いもしなかったことだ。

でも、ねむり姫に会いたい一心で、危険をかえりみなかったことは、事実だった。


「ごめんなさい」


その言葉が、自分の口から自然と発せられた。

相手はリスなのに、どうして素直に反省する気になれたのだろう?


「ふむ、まあよいじゃろう。

わしがいたおかげで、おぬしは命びろいできたのじゃから。

ほれ、おぬしの犬もぴんぴんしておるわ」


いつの間にか、ノックスが足元でこちらを見上げている。

テムが無事でうれしいのか、尻尾をふりふり、瞳をかがやかせていた。


「ずっと見ておったが、おぬしの犬はじつに勇敢じゃな。

しかし、あまりにも無鉄砲なくらいじゃ。

興奮すると、歯止めが利かなくなるやつなんじゃな」


「………」


テムは、だんだんと頭が混乱してきた。

かわいらしい声から発せられる、年より臭くえらぶったセリフ。

いったい、この白いリスは何者なのだろう?
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