テムと夢見の森

Sirocos(シロコス)

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1.眠りのはじまり

いざないの声

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  『悲しみのなかで眠る子よ、この声が聞こえていますか?』


聞いたこともない美しい声で、テムははっと目覚めた。

体を起こしてみると、すっかり真夜中だった。

でも、あれからそんなに眠ったわけじゃない。ほんの三時間しか経っていない。

左のベッドには、お母さんが眠っている。

そのさらに左側にあるお父さんのベッドは、空っぽのままだ。

どうやら、お父さんはまだ帰ってきていないようだ。



  『眠れる子、テムよ。わたしはあなたを必要としています』



寝ぼけまなこにささやく声は、夜風のように優しくて、不思議な反響を残しながら消えていく。

どこからともなく、聞こえてくる。

お母さんの声であるはずがない。これは、もっとずっと若い、まったく別人の声だ。


  『眠れる子、テムよ。あなたに、森の扉をひらきましょう』


変だなあ。ぼくはもうとっくに起きているのに。

どうして、子って呼ぶんだろう?


「あなたはだれですか……?」


ぼんやりとした気持ちで、テムは暗い天井を見上げた。

声は、返ってこなかった。

そのかわり、テムの瞳の中に、ある光景が風のようにとびこんできた。


「うあっ……!」


少女の姿だった。


ほんの一瞬の光景。テムは、キツネにつままれた思いで、ぼうぜんとベッドに座りこんでいた。


ぼくとおなじくらいの年の女の子が、眠っていた。

モモの花のようなすてきなドレスに身をつつみ、頭に黄金のティアラをつけて。

栗色の長い髪を波のようになびかせ、白花の海につつまれて眠っていた。


あの姿には、見覚えがある。いや、あるどころか、テムよくよく知っていた。


「ねむり姫だ……」


昔、お母さんに何度も読み聞かせをしてもらった絵本。

その中に登場する、森の魔物の呪いにかかって眠るお姫様。

大好きな絵本の登場人物に、うり二つだったのだ。


「じゃあ、あれってねむり姫の声……?」


たしか、森の扉をひらくと言っていた。

森というのは、まさか、隣に広がるあの森のことかしら?

ねむり姫が、ぼくを呼んでいる?  そんなばかな。

でも、今の声はけして気のせいなんかではなかった。

名人が奏でるクラリネットの音色のように、すうっとテムの耳になじんできたのだから。


「入っちゃいけない森に、どうして、ぼくが呼ばれるんだろう……」


そううたがいつつも、テムはすでに服を着替え、静かに寝室をぬけだしていた。

廊下をひた歩く自分が止められない。

声の主に、会いたい気持ちでいっぱいだった。

音を立てないように玄関のドアを開けると、ひんやりとした夜気が全身をつつんだ。

その瞬間、テムの頭に、近所のおばあちゃんの言葉がよみがえった。


『あの森には、古くから悪霊が住みついている』


テムは、外へとびだすのを少しためらった。

本当に悪霊がいるとしたら、だれかといっしょのほうがいいかもしれない。


「そうだ、ノックスを連れていこう」


テムは、庭の犬小屋で眠っていたノックスのもとへむかい、その小さな体を軽くゆすった。


「ノックス、起きて。これから森に出かけよう」


テムがそう言い終わるやいなや、ノックスは花火のようにはじけ起きて、嬉しそうに尻尾をふった。

テムはおどろいて尻もちをついてしまった。

かなり変だった。犬って、こんなふうに目を覚ますものだっけ?

いや、そんな細かいことはどうでもいい。

森へ急ごう。

どうしてねむり姫がぼくを呼んでいるのか、答えを聞きに行かなくちゃ。

ノックスに、リードは必要なかった。

テムの行くところ、ノックスはいつもしっかりついてくる。

ノックスは、テムにとって世界一お利口な犬だった。

でも、夜の散歩なんて、はじめての経験だ。


森の入り口に立つと、とてもおかしなことになっていた。


入り口にささっていた立札が、なくなっていたのだ。


そして、森の木々が、不思議な光につつまれていた。


葉の一枚一枚が、ほんのりと青い湯気を上げているかのようだ。

木の幹のあいだで、かすかな光が、チラッ、チラッ、と星明りのようにきらめいている。

森の奥は、青白い霧がかかったように薄明るい具合になっていた。


「きれいな音が聞こえてくるよ」


光の音だろうか?

耳をすませば、森の中から、美しいウィンドチャイムのような音色がひびいていた。

まるでテムをさそうかのように。


「ワン、ワンワン!」


我慢しきれないノックスが、テムよりも先に森の中へ駆け出していく。


「待ってよ、ノックスったら!」


テムは、大急ぎでそのあとを追いかけていった。
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