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1.眠りのはじまり
森の入り口
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そんなある日、ノックスと散歩に行こうと玄関門を出た時だ。
テムは、表の道の右手に広がる森を、つと見た。
テムの家のすぐそばには、深い深い森が広がっている。
あの森には、昔からおかしな言い伝えがあった。
『この森、迷いの森である。この森、神隠しの森である。
夢に見るような恐怖と出会い、二度と朝日を見ることかなわず。
陽の下のものには、用のない森。
何人たりとも、ふみいることなかれ』
森の入り口には、ここを訪れた人に、軽はずみで立ち入らせないよう立て札が立ててある。
そこにはたった一言、黒い文字でこう書いてあるのだ。
『この森を恐れよ』
ノックスは、森の入り口を一心に見つめながら、ハッ、ハッ、と息をはずませて、右へ左へうろうろしていた。
これまで森の入り口を見ると、よくこうやって中に入りたそうにそわそわしていたのだ。
テムには、それがはっきりと分かる。
村に住むバーニおばあちゃんによると、森には古くから悪霊が住みついているらしい。
一度入れば森の悪霊に連れ去られ、二度と森の外に出られなくなるということだった。
村の子どもたちは、そのバーニおばあちゃんの話を聞いて育ってきた。
けれどテムは、こういう話を本気で信じたことがない。
怖い話は、絶対に信じないようにしているからだ。
しかし厄介なのは、まんざら迷信でもないことだ。
ずっと昔、この森に入っていったきり、戻らなくなった五人の子どもたちがいた。
その時は、村じゅうの大人たちが大騒ぎし、捜索隊が何度も送りこまれたという。
しかし、いくら探しても、子どもたちが発見されることはなかった。
謎めいた失踪事件は解決されないまま、
結局は森の悪霊による神隠しとして片づけられ、捜索も打ち切りになってしまった。
『この森を恐れよ』とは、よく言ったものだ。
しかも、このメッセージを残した人も、森の悪霊の話を聞かせるバーニおばあちゃんも、
その失踪した子どもたちの親だったのだ。
だから、森のすぐそばで暮らすテムは、だれよりも森に入らないように心がけていた。
でも、いったい森のなかに何があって、何が住んでいるのか、考えない日は一度もなかった。
想像のゆたかなテムは、小さなころからいつも、森には隠された動物の国があるのではと、ひとり思いをめぐらせてきた。
村の言い伝えでは、時々、夜中の森の中から不思議な声が聞こえるという。
その声を聞いたものは、いやでも奇妙な声にさそわれて、森の奥へ入ってしまう。
そして、入ったものは二度と森から出られない。
そうならないよう、村の人間は、用心のために、遅くても夜の九時にはベッドにつかなきゃいけない。
そんな話も、まるきり怪しいものだ。
おそらく、子どもが不審者にねらわれる危険を防ぐための、デマに違いない。
お父さんだって、いつも同じことを言っていた。森に入ったことがあるかどうかは別として。
「森の奥には、何があって、何が住んでるんだろう。
森に消えてしまった子どもたちは、いったい何と出会ったんだろう……」
その日の晩だった。
お父さんはやっぱり友人の家に出かけ、今晩も、お母さんと居心地の悪い夕食をすごした。
「あの人の酒乱や、だらしのなさには、もううんざり。これ以上、いっしょに暮らしていける自信がないわ」
今晩のお母さんは、いっそうご機嫌ナナメだった。
近所のおばさんに、眉間にしわがよっていることを心配されたからだ。
ダメな夫のせいで心配をよせられるなんて、自分には耐えられない。
そのことがお母さんの口から語られた時、
テムは、とうとうまずいところまで来てしまったことをさとった。
「ねえ、お母さん……」
気づいた時には、口が真っ先に動いていた。
でも、お母さんがすごみをきかせた声で、
「なによ?」
と、聞き返してきた。すると、のどに出かかっていた言葉が、急にしぼんで消えてしまった。
「ううん、なんでもない……」
お母さんにひそむ悪霊に、負けてしまったのだ。
だからテムは、いつもより早めに夕食をすませた。
歯をみがいて、パジャマに着替え、そしてすぐさまベッドに横たえる。
こんな日々、いったいいつまで続くんだろう。
家族がバラバラになるなんて、そんなの絶対にいやだ。ぼくは、いやだ。
胸いっぱいに冷え冷えとした不安を満たしながら、
やがてテムは、息がつまるほど静かな夜につぶされていった。
テムは、表の道の右手に広がる森を、つと見た。
テムの家のすぐそばには、深い深い森が広がっている。
あの森には、昔からおかしな言い伝えがあった。
『この森、迷いの森である。この森、神隠しの森である。
夢に見るような恐怖と出会い、二度と朝日を見ることかなわず。
陽の下のものには、用のない森。
何人たりとも、ふみいることなかれ』
森の入り口には、ここを訪れた人に、軽はずみで立ち入らせないよう立て札が立ててある。
そこにはたった一言、黒い文字でこう書いてあるのだ。
『この森を恐れよ』
ノックスは、森の入り口を一心に見つめながら、ハッ、ハッ、と息をはずませて、右へ左へうろうろしていた。
これまで森の入り口を見ると、よくこうやって中に入りたそうにそわそわしていたのだ。
テムには、それがはっきりと分かる。
村に住むバーニおばあちゃんによると、森には古くから悪霊が住みついているらしい。
一度入れば森の悪霊に連れ去られ、二度と森の外に出られなくなるということだった。
村の子どもたちは、そのバーニおばあちゃんの話を聞いて育ってきた。
けれどテムは、こういう話を本気で信じたことがない。
怖い話は、絶対に信じないようにしているからだ。
しかし厄介なのは、まんざら迷信でもないことだ。
ずっと昔、この森に入っていったきり、戻らなくなった五人の子どもたちがいた。
その時は、村じゅうの大人たちが大騒ぎし、捜索隊が何度も送りこまれたという。
しかし、いくら探しても、子どもたちが発見されることはなかった。
謎めいた失踪事件は解決されないまま、
結局は森の悪霊による神隠しとして片づけられ、捜索も打ち切りになってしまった。
『この森を恐れよ』とは、よく言ったものだ。
しかも、このメッセージを残した人も、森の悪霊の話を聞かせるバーニおばあちゃんも、
その失踪した子どもたちの親だったのだ。
だから、森のすぐそばで暮らすテムは、だれよりも森に入らないように心がけていた。
でも、いったい森のなかに何があって、何が住んでいるのか、考えない日は一度もなかった。
想像のゆたかなテムは、小さなころからいつも、森には隠された動物の国があるのではと、ひとり思いをめぐらせてきた。
村の言い伝えでは、時々、夜中の森の中から不思議な声が聞こえるという。
その声を聞いたものは、いやでも奇妙な声にさそわれて、森の奥へ入ってしまう。
そして、入ったものは二度と森から出られない。
そうならないよう、村の人間は、用心のために、遅くても夜の九時にはベッドにつかなきゃいけない。
そんな話も、まるきり怪しいものだ。
おそらく、子どもが不審者にねらわれる危険を防ぐための、デマに違いない。
お父さんだって、いつも同じことを言っていた。森に入ったことがあるかどうかは別として。
「森の奥には、何があって、何が住んでるんだろう。
森に消えてしまった子どもたちは、いったい何と出会ったんだろう……」
その日の晩だった。
お父さんはやっぱり友人の家に出かけ、今晩も、お母さんと居心地の悪い夕食をすごした。
「あの人の酒乱や、だらしのなさには、もううんざり。これ以上、いっしょに暮らしていける自信がないわ」
今晩のお母さんは、いっそうご機嫌ナナメだった。
近所のおばさんに、眉間にしわがよっていることを心配されたからだ。
ダメな夫のせいで心配をよせられるなんて、自分には耐えられない。
そのことがお母さんの口から語られた時、
テムは、とうとうまずいところまで来てしまったことをさとった。
「ねえ、お母さん……」
気づいた時には、口が真っ先に動いていた。
でも、お母さんがすごみをきかせた声で、
「なによ?」
と、聞き返してきた。すると、のどに出かかっていた言葉が、急にしぼんで消えてしまった。
「ううん、なんでもない……」
お母さんにひそむ悪霊に、負けてしまったのだ。
だからテムは、いつもより早めに夕食をすませた。
歯をみがいて、パジャマに着替え、そしてすぐさまベッドに横たえる。
こんな日々、いったいいつまで続くんだろう。
家族がバラバラになるなんて、そんなの絶対にいやだ。ぼくは、いやだ。
胸いっぱいに冷え冷えとした不安を満たしながら、
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