テムと夢見の森

Sirocos(シロコス)

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1.眠りのはじまり

少年と小さな犬

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テムは九歳のお祝いに、お父さんとお母さんから子犬をプレゼントしてもらった。

昔から内気で、友達もいなかった一人息子のテムを思い、お父さんとお母さんが最高のプレゼントをしてくれたのだ。

話によれば、お父さんが遠い知りあいの犬好きおじさんから、運よくゆずってもらったということ。


ふわふわとした子犬を見た瞬間、テムがどんなに、どんなに目を輝かせたことだろう!


子犬の頭や背中は、夜空のような青黒い色で、おなかと手足は月面のように真っ白。

それに、顔立ちがすっきりとして見ばえのよい、オオカミの子どものようだ。

いつか本当にオオカミのように大きくなって、すてきな夜の遠吠えを聞かせてくれるに違いない……。

だからテムは子犬に、夜を意味する『ノックス』という名前をつけた。

お父さんもお母さんも、この名前を気に入って、優しく笑ってくれた。


ノックスはすぐにテムになついた。

ノックスは、虫やカエルなんかを追ってよく庭を駆けまわり、元気をもてあましているかのようだった。

テムがエサののったお皿を持ってくると、一目散に駆けよってきて、ふさふさな尻尾をふりながら、甘えるようにこちらを見上げてくる。

そして、テムがしゃがんでお皿を地面に置くと、エサよりも先に、テムのほほをぺろぺろ、ぺろぺろ、何度もなめてくるのだ。


「あはは! ノックス、くすぐったいよ。エサより、ぼくの顔のほうがミリョクテキな味がするの?」


そんな冗談も言えるようになるくらい、テムはノックスのおかげで、少しずつ明るい子どもに変わっていった。

ノックスをひと目見ようと、近所の子どもが駆けつけるようになったので、友達だって何人もできた。

その一方で、ノックスは何か月たっても、最初にテムが想像したオオカミのようには、ちっとも体が大きくならなかった。

どうやら、もともと小さいままに育つ、小型の雑種犬だったようだ。

それでも、テムはノックスを一番に愛した。

散歩も、月に二回のシャンプーも、動物病院での検査も、ひとつだってかかさなかった。

ノックスとはじめて出会ったあの日から、本物の弟のように思っていたから。


ノックスがやってきてから、一年がすぎた頃だった。

ある日をさかいに、お父さんとお母さんの仲が悪くなった。


きっかけは、近所の町でお父さんの会社が進めていた事業が、大失敗をしたから。

お父さんはしょっちゅうフキゲンになり、ちょっとしたことで息子のテムにも当たるようになった。

毎日、朝から晩までの酒飲みで、お父さんの顔はいつ見ても赤くほてっていた。

ある日、ぬくぬくとお酒によったお父さんの顔を見て、ついにお母さんのかんにん袋の緒が切れた。


「あなた! 失敗の後悔をお酒でごまかすのは、もうやめてちょうだい!」

「仕方ないだろう! 飲まなきゃやってられるか!」


それからというもの、両親はテムの目の前で、えんえんと口げんかするようになったのだ。


テムの一家の暮らしは、こうして変わってしまった。

夜になれば、お父さんは必ずひとりで外に出かけるようになった。

たぶん、家だとお酒の味が落ちるから、夜だけは友人の家で飲ませてもらっているのだろう。

そしてテムは、夕食をぬかして飲みに行くお父さんに腹を立てるお母さんと、ふたりきりで夜の食事をするようになった。

テムの話題には耳もかさず、お父さんの悪口や、近所の人のかげぐちばかりたたくお母さん。

あんなに優しかったのに、お父さんのせいで人が変わったのだ。


テムは、いやで、いやで、毎晩胸がしめつけられる思いだった。


そうしてテムは、いつしか内気な子どもに逆もどりしていった。


村の友達と遊ぶこともなくなり、今では庭でくつろぐノックスだけが、テムの心のささえだった。


月夜の庭で、テムはノックスの小さな体をだきよせながら、


「ノックス。このままじゃ、パパもママも、別れちゃうかもしれない……」


そうなったら、ぼくたちはどうなるんだろう?

そうつぶやいたテムの顔を、ノックスはただ静かになめていた。
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