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③〈フレドリクサス編〉

9『ふわふわに包まれると、なつかしい気持ちになる』②

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その頃、ヨシは、広い公園にある噴水の前で、息を切らせていました。
雨に濡れ、泥にまみれ、町中を走りに走ったのに、
脱走したフレドリクサスはどこにも見つかりません。

うさみ町を濡らしていた通り雨はすでに上がり、
雲間で茜色に染まる空には、群青色の夜空が東からゆっくりと迫っていました。
この世界に黒い闇を連れてくるように。

「なんでだ……あいつは、ぼくのものだ。ぼくの……!」

なぜ、フレドリクサスはあの鳥かごから出られたのか。
ヨシの胸中は今、怒りと、悲しみと、困惑で、激しく引っかき回されていました。
どれから受け止めればいいかも分からずに、涙さえ流れないほど。
といっても、幼稚園を卒業して以来、一度も泣いたことはありませんが――。

(いなくなったら、困るんだよ)

いったいいつ、親にたいするグチを言えばいいんだ。
せっかく見つけたと思ったのに。ぼくのたったひとりの――。


「――そいつのこと、ワイによう話してみいや」


ふいに、ヨシの背後から何者かが声をかけてきました。
得体の知れない恐怖を感じたヨシは、頬を殴られたようにふり返りました。

二メートルほど先のベンチの上に、一匹の黒猫が座っています。
こちらを見つめて、奇妙な笑みを浮かべながら。

まさかあいつが?  いいや、そんな馬鹿な。頭の混乱のせいに違いない。

「――なーに、ケッタイな顔しとんねん」

黒猫が口を利きました。まるで人間、いいえ、ドラギィと同じように。
意外にも、少々軽い感じの、顔に傷のついたボス猫らしからぬ声ですが――。

「あ……あり得ないだろ……」

ヨシは後ずさりしました。もしや自分は、ドラギィと出会ったあの日から、
どこか別の……知らない世界に入りこんでしまったのでしょうか?
そう、竜と犬の合成生物や、しゃべる猫が出てくる、創作世界のような。

「はぁ~。ジブン、妙な生物のことは、懐に迎え入れたっちゅうのに――」

黒猫は、すっとベンチから飛び降りると、
ヨシのところへゆっくりと距離をつめるように歩みよってきました。

「ワイのようなしゃべる猫は、『一見さんお断り』かいな。
そら、ヒドイわ。いけずとちゃうか?」

「な、なんだよお前……不気味なんだけど」

「そら、ワイの全身の毛ェが真っ黒だからや。
黒は、目ェに見えへん、気色悪い異世界を連想させる。
ジブン、ワイのことを、どっか知らん世界から来た使い魔やなんや思とんのやろ?
そら、ちゃうわ。ワイは、だれにもこき使われるつもりあらへんで」

「お、お前が何者か、ああっ!」

迫りくる黒猫から後ずさりしているうちに、
ヨシは芝生に面した段差に足を取られ、尻もちをついてしまいます。
芝生に残った雨水の不快な冷たさが、ズボンと下着にしみついてきます。

「な、何者かは知らないけど……ぼくに何の用なんだ?」

黒猫は、自分もピタリと立ち止まって、まだるっこしそうに問いに答えました。

「はぁ?  ジブン、物覚え悪いんか?  最初に言うたやろ。
オマエの探しとる『あいつ』のことを、くわしゅう聞かせっちゅうんじゃ」

「……あいつって、フレドリクサスのことか?」

「フレド?  そら、名前か?
自分が何て生き物か、言わんかったんかいな?」

「……ドラギィ」

「ドラギィ?」黒猫は目を見開きながら聞き返してきました。
「なるほどのう。その生物は、ドラギィっちゅうんか。はーん、ドラギィ、か。
ふっふっふっふ。なーっはっはっはっは!!」

突然の黒猫の高笑いが、夕闇に響き渡りました。
それから黒猫は、四足歩行をやめ、すっくと後脚だけで立ち上がってみせると、

「ワケあって、こんなつまらん町に根城を構えとったけど、
こらホンマにええ収穫やで!  次の獲物、もう決まったも同然やな!」

(エモノ?)

ヨシは首をかしげながら、内心では、この黒猫にがぜん興味が湧いていました。

というのも、
こいつはヨシが近頃よく見かけていた、あのゴマだと分かったからです!

「ジブン、せっかく捕まえたそのドラギィに、逃げられたんやろ。
連れ戻したいかぁ?  なんなら、ワイが手ェ貸したっても、ええねんで」

「て、手を貸す?  それってどういう……」

その時、ヨシは周囲を見回しました。
音もなく近づいてくる、幾多もの気配、気配、気配――。

にわかに、怪しげな足取りで噴水広場に集ったのは、大小さまざまな野良猫ども。
金色の無数の瞳を夕暮れの薄闇に光らせながら、その視線を、
すくみ上がって立ち上がれずにいるヨシ少年に、
または、一匹の指導者にたいしてむけています。

「驚いたかぁ?  こいつら全員、ワイの部下やねん。
血の毛が多て、可愛らしいやつらや。まあ、半分以上はグズやけどな。
さっきも、すぐ後ろにおる部下を一匹、
オマエの部屋から逃げ出したドラギィの捜索に、むかわせたんや。
けど、ドラギィの特殊な能力にしてやられて、逃げられてしもたみたいやわ。
ワイみずから捕まえに行けばよかったと、後悔しとんで、ホンマ」

「すんません、ボス。自分、のろまなもんですさかい」

先ほどの茶トラ猫が、ゴマのすぐ後ろで頭を下げていました。
水で流された名残でしょうか。まだ全身の毛が渇き切っていません。


「……お前、ただのゴマじゃないよな……?」

「チッチッチッ」ゴマは舌打ちしながら、右手の指の爪を振ってみせました。

「ゴマちゃうわ。そないなしょぼい呼び方、もう忘れとけ。
ワイの名は――ふっ、いっぱいあんねん。けどまあ、やっぱこれやな」

そして彼は、大見えを切るように振舞いながら、こう名乗りました。

「ワイの名は、ルドルフ・シュレデンガー様や!
猫界じゃ、ちいと名の知れた、珍生物コレクターやねん」

「珍生物……の、コレクター?」

ふっふっふっふ……。
まわり中に満ちわたる、不気味な笑い声。

「さあて、ジブン、どないする?  ワイらの持つ科学技術なら、
すべてのドラギィを捕まえることも、夢やないで?」

「す、すべてのドラギィ、だって!?」

どこかで頭を強打してしまったのかと、ヨシは我が身を疑いました。
もちろん、そんなことはありません。目に映るもの全部、はっきりと鮮明でした。
しかも、今聞いた限りでは、ドラギィはフレドリクサスだけではないようです。

そして、このルドルフという名の、危険臭ただよう問題だらけの黒猫は、
いったいなぜなのか、ヨシを助けるつもりでいるようでした――。
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