恭介&圭吾シリーズ

芹澤柚衣

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アンアームド・エンジェルの失言

6.

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「犬神」
 抑揚のない声で名前を呼ばれた。実際に呼ばれたのか、単に口にしたのかさえも判別できない程感情の伺えないその声は、犬神を引き止める力こそあれど、近寄らせるまでには至らない。無視して恭介の後を追いかけようかと悩んでいる間に、くいくい、と四本の指を振られる。現世に留まって長い犬神は、そのジェスチャーの意味を知っていた。
 臭いものには蓋をしたくなる時の心境に近かったが、目が合った時点で最早逃げられないことは確定だった。お化け屋敷の入り口へ近づく子供のように恐る恐るといった風情で、長身の男に近づく。
 仏に従事した仕事をしている割に、胡散臭い詐欺師にも似た金髪が犬神の前でさらりと揺れた。ドラマの見せ場を一時停止したかのような、華やかなストップモーション。古風な鳥居に背を預けていたって、英国の街中を覗き込んでいるような不思議な疑似体験をさせてくれる男がそこにいた。
 足元を飾る、プレーントゥのビジネスシューズ。右耳のみに開けられた、黒曜石のピアス。不謹慎にも喪服を髣髴とさせるような、余計なカラーは一切入っていないブラックスーツ。クラシカルなジャケットに合わせたオックスフォードシャツは、カデット・ブルーのラインが入ったストライプ柄。ノーネクタイの襟元を、ボタンを二つ開けて着崩している。ブランドの腕時計を着けていても見劣りをしないだろう骨太な手首には、バンドで固定する流行りの小型アイテムではなく、弔事で見かけるような漆黒の数珠が揺れている。ちぐはぐな服装は一見するとアンバランスなようだったが、彼の顔立ちを飾る細アーモンド型の一重が、全ての些細な違和感を見事調和していた。
 食えないような薄笑いを浮かべながらその男は、近づいた犬神の頭を乱暴に撫でる。
「相変わらず、ごわついてんなァ」
〝お前が関わってたんなら止めろよ……〟
「うわあ、師匠をお前呼び」
 露骨に顔を顰めて、胸を抑える。さして気分を害した訳でもないのに、傷つきましたのパフォーマンス。本気でないのは分かっていたので、改めて詫びずに流すことにした。
 その証拠にくしゃくしゃと頭を撫でる仕草はご機嫌そのもので、自らを師匠と名乗った男――烏丸忠則はゆっくりと息を吐く。
「いやあ、俺もねェ。慣れない仕事ってのはあんまり愛弟子にさせたくないんだけど……大体自分で調べて闘って解決するみたいな、個人プレー主義者のあの子がさあ、師匠教えてって。随分と可愛い変化じゃん? そりゃあ教えたくもなっちゃうよなァ」
〝さっきまでのポーカーフェイスは何だったんだお前〟
 ついには、吐き捨てるような口調で犬神は静かに問い掛けた。
「お前呼び二回目! だってしょうがないだろ! 顔に力入れないとにやけてしまいそうだったんだから! 俺の恭介超可愛いんですけど!? 何あの子! 天使じゃない? 地上に舞い降りた天使じゃない?」
 ハイテンションで天使と連呼しているところ大変申し訳なかったが、出会った頃の恭介ならもとより、すくすくと可愛くない性格に育っていった今の恭介を天使だと思えるような感性は犬神にはなかった。どちらかというときんぴらごぼうを白飯の上で容赦なくひっくり返す系男子の鳴海の方が、いくらか天使の要素があるなとぼんやり思う。ふわふわの柔らかい髪の上にお馴染みの金の輪っかを浮かべ、背中に翼を生えさせても驚く程似合う身長百七十五センチの男なんて、彼を除いて他にはいないだろう。蓮華でブルドーザーのように食事をとる所作さえも、見守ってあげたくなるような庇護欲を刺激する愛らしい子供だった。
 反対に恭介の背中に悪魔の羽、頭には角、お尻のあたりにしっぽを付けたら思いの外似合ってしまい静かに動揺する犬神だったか、師匠と自称する彼は未だに飽くことなく恭介の可愛さについて一人で盛り上がっていた。放っておくと幼少期まで遡り、犬神も認める無垢だった頃の恭介の可愛らしさからプレゼンしかねない師をどうやって宥めようか悩んでいたところ、だらしない笑みを浮かべたままの烏丸に覗き込まれる。ただ明るかった声音が、二面性を見せつけるように切り替わった。
「心配しなくても、俺がいるから大丈夫」
 全てを見透かしたような大人の声が、柔らかく犬神の耳に響く。
〝わざわざ、来てくださいって頼んだのか?〟
 烏丸の言う通り、とにかく人に頼るということをしないマスターの意外な行動に、思わず間の抜けた声が上がる。バイト要員として雇っている圭吾でさえ、呼び出すのを渋る程慎ましやかな彼だ。保険としてなんて曖昧な理由で、師と敬う――犬神が敬っているかどうかはさておき――この男を、わざわざ仕事のために呼びつけるなんて。
「あ、実は正式に呼ばれた訳じゃないんだよねェ。抜き打ち授業参観みたいな? 俺が今日ここに来たことは俺と君の秘密にしといてな」
〝勝手に来たのか……〟
 がっくりとうなだれながら、犬神は尻尾をだらりと下げた。ストーカーを見るかのような冷たい視線を浴びながら、子供が言い訳を探す時のように唇を尖らせて、だって、と言葉を繋げる。
「厭な予感がするんだよなあ」
 それはデジャブだった。ついさっき同じような台詞を、まるで違う声が犬神にそう言った。
〝烏丸〟
「うーん、そこは師匠と」
〝お前、それ……〟
「恭ちゃーん! いないのー?」
 どういう意味だ、と続けようとしたタイミングで、明るいアルトが響いた。声変わりを終えた割には高めのその声は、まるで小学生が遊びの誘いに来たような無邪気さで鳥居をくぐっている少年のものだった。瞬間的に物陰に隠れた烏丸を振り返れば、木の一部と化して身を隠している。ポージングは見事なものだったが、それにしては明るいカラーの頭髪と服以外の何かには決して見えないストライプ柄のシャツが浮いていた。木を模すんなら茶色&緑みたいな服装で来いよ、といらぬアドバイスをする前に、口パクでいいから行けと促される。
「お出掛けしちゃったかなぁ……」
 暢気な声の後、パタパタと走り去る音が聞こえた。向かったのは外ではなく、今日仕事を行う予定の神楽の間だ。恭介の職業も圭吾のバイト先も承知している鳴海が現場の周りをうろつくことくらい大した問題ではないように思えたが、その時如何ともしがたい違和感はあった。しつこい程に口パクで行けと主張する師匠をその場に残し、鳴海を追い越すように、拝殿の奥へと続くただひとつの部屋へと向かう。
 成程、厭な予感はしていた。


「先輩、その小瓶何です?」
 神楽殿へと続く長い廊下を、上司と肩を並べて歩く。普段徐霊に使いそうなアイテムなど腕にくぐらせた数珠しか持たない筈の恭介が、片手に小さな何かを握っているのが意外で問い掛ける。
 茶色のガラス瓶を貫くように、青い光が反射していた。年代物のしっかりした素材ではあったが、コルクの栓でしか密閉状態を作れないチープな構造。ビール瓶のように口に続くガラスはくびれていて細く、空になったとしても、もともと入っていたもの以外の保管は難しいだろう。容器の中身はラムネのような形で、目算で一、二、三、四……三つ目と四つ目の間に隠れた一粒が見えるので、計五個。飲み込むにはやや大きく、噛み砕くにはやや物足りないサイズ感だ。
「えーと……念のためだって、師匠にもらった」
 返答としては、及第点もあげられない。噛み殺すことも飲み込むこともせず盛大に溜息をついて、圭吾は首の裏を掻く。充分な答えを貰えなかったばかりか、更に疑問が増えることになった。
 自身に纏わる情報をペラペラと喋ってくれるような上司だったらどれだけ楽だったかと思うと、もどかしさと歯がゆさは毎回それなりの火力で圭吾の胸を焼き尽くす。しかし彼の言葉足らずだった箇所を一つ一つ問い詰めて確認していく作業は腹立たしいことにそれ程嫌いではないので、複雑な感情はどうにも拭えない。
「三十点かな……」
「何の話!?」
 突然低い点数を付けられ、怒るより怯える恭介に距離を詰めて鼻先に指を翳す。敢えて眉間に皺を寄せながら、圭吾は畳みかけるように言葉を投げた。
「まず、その小瓶の中身はどのようなものが入ってるんですか。答えになってないんですよ頭から麦茶ぶっかけますよ」
「お前ほんと最近短気になったよね」
「どっかの誰かさんがお客様に麦茶を出し損ねるなんて普通考えられないような失態を犯したせいで今、麦茶が人ひとり頭からビショビショに濡らすことが可能なくらいの量が丁度冷蔵庫に余ってるんですよね」
「ごめんなさい出さなくてすみませんでした頭からビショビショに濡らすのやめてください」
 飲むのは大いに大歓迎だがシャワーのように浴びせられるのだけはどうしても避けたくて、まるで条件反射のようによく分からない一言をオウム返ししてしまった。足らなかった説明に自覚はあって、おどおどと情報を付け足してお茶を濁す。
「人間と、幽体を無理矢理引き剥がす薬だよ。勿論手順どおりに行って、双方納得の上交代した方がいいんだけど。万一の時今の守護霊がゴネたら、これを依頼者に飲んでもらって引き剥がすの」
「そんなこと出来るんですか?」
「守護霊専門の引き剥がし薬って訳じゃない。正しくは、服用した人間が強く思い浮かべる霊を剥がす作業を手伝ってくれるだけの薬だ。意図しないもんがべろっと、取れちまうこともあるよ」
「……危なくないです?」
 ざっくりとした説明に、圭吾が眉を寄せる。不安要素だらけの劇薬の説明を受ければ、使用自体の懸念が浮かぶのも無理からぬことだった。
「言っただろ。念のためだって」
 何も考えていないような顔で、恭介が軽く言った。
「保険だよ、保険。使わなきゃならないようなヘマはしねェさ」
 目を細めて、本心の伺えないような薄っぺらい笑顔を浮かべる。眇めるように覗き込む圭吾のポケットから、鈍い振動音が響いた。
 映画や舞台を観賞する際の注意書きのように電源を切らなければやっていられない仕事ではないので、音が出ないように配慮してくれているだけで小言を言う気にはならなかった。左手にすっぽりと隠れてしまいそうな、小型のスマートフォン。カバーを付けていないせいで表面に小さな傷はあったが、全体的に綺麗な状態を維持していた。人差し指でタップするまでもなく、画面に浮き上がる最新のメッセージ。長文でなければ開かなくても確認できるそれを目視して、圭吾はゆっくりと瞬きをした。
「……急ぎか?」
 何なら席を外してもいいぞ、というニュアンスを言外に込めながら、ちらりと後輩を見遣る。
「いいえ」
 無表情で圭吾が答えた。口元だけで笑って、ゆうるりと恭介を振り返る。
「準備、できました」
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