隠れゲイシリーズ

芹澤柚衣

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隠れゲイとスプモーニ

エピローグ

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 半開きだったカーテンから、日の光が差していた。体感的には夕方の三時だろうと根拠もない予測を立てて、出窓に置かれた目覚まし時計を呷り見る。正解は夕方の四時二十分。一時間と二十分のタイムラグは、時計の針さえ見てしまえば、あっさり視覚情報へと調節された。丸いフォルムにシルバーのボディ。中学の頃から使っているその時計は、アラームの機能が潰れてしまったため、今はもう本来の役目通り時間を表示することしか出来ない。
 丸テーブルに投げたままの携帯へ、ゆっくりと手を伸ばす。目的はなく、着信履歴と受信ボックスを流し見た。なみからの連絡は、まだ来ていない。
 左足の半分だけに掛かっていたタオルケットが、もぞりと動く感触。棚橋が、目を覚ましたのだろう。
「……お前は、戻せとかゆわへんの」
 ふと思いついて問い掛けた。直接肌に当たるエアコンの風が寒い。ベッドの下に落ちかけていたタオルケットに手を伸ばすと、棚橋が代わりに拾い上げ俺ごと包むように被り直す。
「何が」
「喋り方だよ。嘘ついとったのは、バレとんのやし……標準語に戻せとか、ゆわへんのん」
「どっちでもいいんじゃない」
 ばっさり言われて、少し落ち込んだ。棚橋にとっては、どうでも良いことなのだろうか。携帯を枕に投げて、クーラーのリモコンを目線だけで探す。枕脇にあったそれを、先に棚橋が拾い上げた。ピッ、ピッピ、電子音が二回。室温設定を一度上げて、風力を小に変更。
「先輩が、決めたらいいよ。このまんまの方が良いならそうしていればいいし、必要だと思うんなら直せばいい」
 ――先輩が好きにすればいいことだからさ。
 かつてそう言われたことを、ぼんやり思い出した。棚橋の気持ちがあの時に戻ってしまったんじゃないかって、一瞬ぞくりとする。リモコンを丸テーブルに置いた棚橋が、くるりと俺を振り返る。タオルケットの端を引っ張って、お菓子をねだる子供のような、甘えた視線で俺を見遣った。
「好きに選んでよ。先輩が何を選んだって、俺の好きな人は変わらないから」
 ――ここでそういうこと言うかね! 
 うん、でもごめん。疑って悪かった。あと今めっちゃ幸せですそして俺もどっち選んだって好きな人は絶対変わらないからね好き! 恥ずかしくて言えないけど!
「んー……でもさ、あれだよね」
「なに……」
 まともに視線を合わせたら心臓爆破で死ぬと判断した俺は、微妙に斜め下を見ながら小さく聞き返す。それを許してくれない細くて綺麗な指が、俺の顎を捕まえて引き上げた。ううう、くそ! 心臓に悪い。爆発するぞ比喩じゃなく。
「えっちの後の先輩、だるそうで超可愛いね。こんな可愛い先輩を、輪島さんも知ってるんだって思うと」
 ……思うと?
 殺したくなるよねえ、なんてバラードでも歌うみたいに穏やか且つ爽やかに呟かれて、俺は心の中で戦慄しながらも静かに合掌したのだった。
 
「潤也さん!」
「おー、久しぶり。元気そうやな」
 仔犬のようにぱたぱたと駆け寄ってくる宇佐見を目にして、俺のテンションはじわじわ上がった。言い方は悪いけど、こいつには観賞用のぬいぐるみみたいな魅力がある。見ているだけで癒されるというか、的な? 勿論、人間的な意味でも好きだけど。
 途中まで曇りなき笑顔全開だったはずの宇佐見だったが、俺の隣に棚橋を確認した瞬間急速冷凍したみたいに固まった。前回、余計なトラウマを植え付けてしまったようだ。反省の意を込め、見えない角度で棚橋の太ももを叩く。
「おいてめぇ、何て顔してんねん。無駄にびびらせんなよ」
「先輩が、でれでれすんのが悪いんでしょ」
 しれっと反論しやがってこの馬鹿。余計に締まりない顔になりそうだからやきもち発言はやめろ。躊躇う宇佐見を俺の右隣に座らせて、マスターを呼んだ。今日はまだ時間が早いみたいで、コップを片づけていた彼がすぐにこちらへと来てくれる。
「とりあえずペプシ?」
「はいはい、お前の好みで注文しないの。コタ、何飲みたい?」
 くそうペプシと俺を馬鹿にしやがって。それに、別に俺だってペプシばっかり飲んでるわけじゃないやい。
「……キューバ・リバー。僕……にも作ってくれますか?」
 蚊の鳴くような、というよりは風鈴の音に近しい綺麗な声で、宇佐見は小さくオーダーした。
「お安い御用だ」
 穏やかに笑って、マスターが棚に手を伸ばす。あの時と同じアイテムがなぞられて、俺はちょっとしたデジャヴのようなものを感じていた。
「……失恋をしました。ちゃんと、なみに」
「……へ」
 たどたどしく続いた予想外の一言に、俺は思わず素の声を出す。
「伝えてから、漸く気が付いたんです。僕は潤也さんに、僕のことはもうええんですって……そう言ってたはずなのに。結局そんなのは、嘘だった。僕は全然」
 ぐっと唇を噛んで、宇佐見が絞り出すように呟いた。
「ええなんて、思えてなかった。可能性なんて殆どないのに、どこかで俺は諦めてなかったんです」
「……殆ど可能性がない状況で、諦めなかったことは恥じることあれへんよ」
「ふふ。潤也さんは優しいなぁ……好きになっちゃったらどうしてくれるんですか」
「…………」
「おいそこ。フォークを武器のように持つな」
 中世ヨーロッパの騎士もかくやという程に、しっかりした剣の構えでフォークを握る後輩を静かに窘める。つまらなさそうに指先でくるくるフォークを回しながらそれでもその凶器(?)を手離すことはせず、棚橋は棘々しい声で呟いた。
「別に。好きになられたらどうしてあげるつもりなのか、聞きたいだけだけど」
「どうもせぇへんわ! お前もうちょっと黙ってろ!」
「お前が一番うるさいよ潤也……はい、お待たせ」
 とても客相手とは思えない顰めっ面で俺を窘め、マスターは軽やかにグラスを置いた。弾けるライムの香り。少しだけ力の戻った顔で、宇佐見が微笑む。強がりがない訳じゃないだろう。それでも、悪くない傾向だ。強がれる力があるって、結構大事だと思う。
「宇佐見は、頑張り屋さんやな」
 感心したのは本心だったけど、まるで甥っ子を褒めるような言い方をしてしまった。そんなことないですよ、なんて嘯いて、宇佐見はぼんやりと頬杖をつく。
「僕なんかより、なみの方が頑張ってる。恋人を守る為に、きっとずっと我慢してたんだ……だって、なみは絶対に」
「後悔してるって、言わへんもんな」
「…………」
 すっかり弱り切ったなみと一晩一緒に居たって、俺どころか宇佐見でさえ引き出せなかったそのワード。あいつの中に確固たる信念があるという事実に気付くまで、それ程時間は掛からなかった。
「そうゆうたら、恋人にまでいらん罪悪感をしょわせる。だから兄貴にも……悪かったの一言さえゆえへん」
 後悔なんかしていないと、悲痛にも似たあの日の叫び声が今でも耳に残っている。それはなみの本心でもあるし、事実その思いは、唯一折れない一本の柱でもあったのだろう。でもきっとそれだけじゃない。はっきりしないことを嫌うなみが兄や家族のことに関して動かずじまいだったのは、背中に隠した恋人を守ろうとした為でもあったのだ。
「それを見抜けない恋人じゃなくて、本当に良かったよな」
 しみじみと呟いた。あの馬鹿、背中に隠した恋人にその背中を蹴られなきゃ、今だってどうにもしなかったに違いない。人知れず抱え込む罪悪感の重さは、人一人くらい平気で潰す。経験があるからそう思うんだ。何の解決にもならなくったって、そいつの秘密を一人二人くらいは知っていたって良いもんだし――解決出来るなら尚のこと、少しくらいは渡したって良いんだと思う。
「ちゃんと兄貴とは、話出来たんやろ?」
「そう聞いてます」
「十分な進歩や。何事も、最初に動くのが一番しんどいねん、動けたやつの後々はもう、心配せんでええやろ……なあコタ」
 視線だけで、俺に答える。ただ可愛いだけの男だった筈の彼は、少しだけ大人びた目をしていた。
「好きだったやつと、友達で居続けるのは体力いるぞ」
 意地悪のつもりではなかったが、事実として端的に述べる。でしょうね、とグラスを回して、彼は小さく相槌を打った。
 これを飲み干した後宇佐見が、その体力がいることをやるのか、いっそなみとはきっぱり縁を切るのか。それは俺や棚橋にはおろか、なみにだってわからないことだ。
(でも)
 どんな結果を出したって、俺にはどっちも同じ友達だ。それは変わらない。
 友達の少ない奴が、その数少ない友達に向ける執着心なめんなよ。
「先輩、そろそろ帰るよ」
「えー、もう?」
「レンタル百円のキャンペーンが今日までだから、最低でも五本は借りたいって言ってたの先輩だろ」
 おっと危ねえ。言われるまで綺麗さっぱり忘れてた。それはそうとさっさと立ちあがって乱暴に俺の腕を掴んでくるあたり、勘違いかもだけどやきもち? って感じがして可愛い。にやにやしている間に勝手にお会計をされて、外に出てから漸く我に返った。
「おいこら、女にするみたいなことすんなってゆうてるやろ」
「……前から思ってたけど。そういう発言って地味に男女差別だよ? 恋人に奢るくらい普通でしょ。ムキになんないでよ」
「別にムキになってる訳じゃ……」
 言い返そうとしたその瞬間、マネキンのようにバランスの取れた細い足が俺の視界を掠める。肩から下げていたのは、忘れもしない、あの日全力で腹に投げられた赤色のショルダーバック。長かった筈の髪をばっさり切ってボブにしていたけれど、今更間違える筈もない。どっからどう見たって見覚えありまくりの友人が、入れ違いにお店へと歩いていた。
「なみ」
 先輩、と呼ばれて振り返る。棚橋の目が行こうと言っていた。ちら、ともう一度なみを見遣って、立ち止まりそうだった足を動かし棚橋に並ぶ。
 後ろでぱたん、と扉の閉まる音が聞こえた。
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