隠れゲイシリーズ

芹澤柚衣

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隠れゲイとカプチーノ

8.

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 オアシスのマクドナルドは、殊の外すいていた。人込みが苦手な普段の俺ならラッキーここで腐るほど一人満喫だぜ! とかテンション高くはしゃいだかもしれないが、今回ばっかりは人気がないと困るのだ。哲と待ち合わせて、恐らくはゲイ的な話をする。何せ店内はこの狭さだ。あまつさえ、席と席の間には殆ど敷居なんてものはなく、カプセルホテルもかくやと言うほど隣同士が密接している。きっちり聞いていれば、おそらく俺らがホモで別れ話をしていますよってバレるだろう。そんな日に限って何この静けさ。プリーズざわめき! 入り口近くに座った女子高生が鞄を漁ってるから、携帯探してんのかなと期待を込めて眺めていたら取り出したるは、じゃじゃじゃ、じゃーん残念文庫本! 意外に文学少女かよチクショー! 押し黙ること確実だよ!
「――潤也!」
 出ーたーもーこのタイミング。一番雑音作ってくれそうな女子高生二人(あの後もう一人見つけた)が揃いも揃って文庫本を取り出した時点でやってくる、哲の間の悪さは酷い。正直萎える。てゆうか正直……男前なスーツ姿で、縋るように俺の名を叫ぶ姿は柴犬のごとく可愛かった。さりとて態度に出すような、可愛い性格の俺ではないけど。
「絶対に、お前の出て来れへん時間を指定したのに……」
「確かに普段だったら無理だけど、前もって言ってくれたじゃん。だったら幾らでも無茶出来るよ」
「すんなや、無茶なんか。やり手の営業マンが、こんなホモなんかに」
「だって……この機会逃しちゃったら、絶対それを理由にもう会ってくれないでしょ……するよ無茶くらい。てゆうか」
 不思議そうに首を傾げて、哲が言う。
「俺はお前より仕事を優先したこと、付き合ってた時から一回もないよ?」
 ああ、そうだった。だから俺は、本当に楽しかったんだ。
 棚橋と違って、哲は分かりやすいイケメンだ。しかも背が高い。こんなジャンクフード店でレモン何ちゃらチキンバーガーを前にしてたって、その男前ぶりは揺るがない。マックよ、この絵をポスターにしたらどうだと提案したくなるくらい様になっている。こんなイケメン相手の恋愛じゃ普通萎縮して、幸せも何もあったものじゃないだろう。
 だけど、哲は崩れてくれた。俺の前では、うんと上手に甘えてくれた。その事実が――思い出がある。
(ああ、もう充分や)
「哲」
 当たり前のようにセットメニューを俺側に置いて、コーラのストローを刺す男前を短く呼んだ。勧められるまま、ポテトの一番長いやつを摘む。
「呼び出しといてあれやけど……俺はもう、お前ともう一度、付き合うことは出来へん」
「えー……」
「お前の望みを、知っとるからや」
 いつもの調子で情けなく切り返す奴に取り合わず、努めて冷静な声を出す。
 哲から、静かに表情が消えた。
「なぁ、ほんまのことゆうてくれ。その方が、俺も踏ん切りがつく」
「……けど」
「女の方が良いって啖呵切られる以上に、傷つくことなんかあらへんわ、阿呆」
 ぞんざいに言い捨てると、哲の顔が歪む。俺に憎まれ口を叩いて、俺に嫌われて――哲一人終わらせようとしていた俺達の問題は、別れても尚、重たく哲の肩に圧し掛かっていたようだ。
「お前が一人抱えて、終いになる訳ないやろ。これは二人の問題や」
 少しの迷いと、間があった。刺しっぱなしのストローに口もつけず、哲は固まったように動かない。
「潤也、好きだよ」
「知っとるわ」
「違う。お前が思ってる以上に、俺はお前を好き。女の子が好きだったのに、潤也と会ってから、俺の一番は潤也になった。お前と一緒に居られる為になら、何だってする覚悟があるよ。親に頭下げて、お前との関係を許して貰うことだって出来る。その結果何を失ったって、絶対俺は後悔しない。会社でいつまでも妻帯者にならない俺を不審がられても、そのせいで支障をきたすことがあっても、そんな理由で揺らぐものなら、最初からいらない。潤也が俺を好きでいてくれるんなら、二人でいられるんなら、それが俺の幸せなんだよ」
 一気に喋って、息をつく。柔らかい溜息が耳に届いて、泣きそうになった。
「お前と一緒にいる為なら、ほんとに何だって出来るんだ……潤也が望むんなら、海外のチャペルで豪華に結婚式挙げて、神父さんの前で永遠の愛も誓える」
「絶対望まんからそんな恥ずかしいことは死んでもやめてくれ」
「だけど」
 言葉が、止まった。
 俺は覚悟して、目を閉じる。
「どうしても、諦められないものがある」
 ――ああ、神様。
「……俺、赤ちゃんが欲しいんだ」
 俺を男にしたのも、許すよ。ホモにしたのも、この際許す。でもどうせそこまでしちゃったんなら、何で子供の生める奇跡のホモにしてくれなかったんだ。
「養子とかも……考えた。単に子供が欲しくて育てたいなら、そういう方法を選ぶ人も居るでしょ? でも、どうしても駄目だ。俺は、俺の血を分けた――世界で、俺一人だけの赤ちゃんが欲しい」
「……うん、そうやな」
 ――もう、誰も恨むまい。言い聞かせるように、言葉を受け止めた。
「……困らせると思って、ずっと言えなかった」
「知っとるわ、阿呆。お前ベビーカーひいて歩くファミリー見かける度に、つらそうな顔して目ぇ背けてたで」
「えっ、そうなの!?」
「……赤ちゃんは、俺には無理や」
 短く答えた。うん、と哲が答える。言われなくても無論分かり切っているだろうが、敢えて言っておく必要があった。諦めてもらうには、はっきりさせといた方がいい。
「お前が反省すること、一個もあれへん。俺との関係を守る為に……親でも何でも戦うてゆうてくれたお前が唯一ねだるもんを、用意出来へん俺が悪い」
「そんなこと……!」
「まぁ、これはないやろって思うのは、それを隠す為に女のがええなんて下らん言い訳使ったことぐらいやな。あれは腹立った。マジで死ね」
「……すみませんでした」
 項垂れて、さらりと動く黒髪。長身でカッコいいのに、俺には簡単に頭を下げる男。棚橋に出会って好きになってなきゃ、きっと俺は手放せなかったに違いない。ありがとう棚橋。片恋だけど。お前のお陰で、好きだった男を不幸にしないで済む。それは、代え難い幸福だ。
 そして同じくらい、耐え難い幸福だ。
「……俺も哲の、赤ちゃん見てみたいしな」
「ごめん潤也、でも俺お前が好きなんだよ。赤ちゃん諦めるのはまだ無理だけど、どうしてもやっぱり、お前と離れらんない」
「哲」
 緩く笑って、紙コップをトレイに戻す。穏やかな口調に油断したやつの顔面を、手加減なしの拳で張り飛ばしてやった。椅子ごと後ろに倒れそうだったのを何とか堪えたのは、男の矜持故ではない。目立つと俺が困るからだ――優しい。この男は、本当に優しい。
「俺はなあ、意味のないことが大っ嫌いなんじゃボケ!!」
「じゅ、潤也……」
「謝るな。謝るくらいなら、最初から別れよなんてゆうて傷つけんな。無意味が一番堪えんねん、阿呆。死にさらせ!」
「ご、ごめ……」
「ここで謝んのも更に無意味やろ」
 背中が震えた。気を抜くと、言葉がすぐに凍る。後ろに居るだろう人物が居なけりゃ、きっと最後まで覚悟が続かなかった。
「誓ってもええで。俺が許して元鞘に戻って……結局赤ちゃんを諦めきれへんお前は、ベビーカーひくファミリー見る度にずたずたに心が引き裂かれんねや」
「それでも、いい。俺は潤也と」
「即答する前に、ちゃんと頭使え。どっちも諦められへん程大事なら、より犠牲の少ない方を選ぶべきやろ」
 切れ長な瞳から、涙がはらはらと零れるのが見える。俺に言われなくてもきっと、ヤツが一人直面していた苦悩だったのだろう。今まで選択肢に入れつつも選べなかった答えが、目の前に転がっている。それはもう――優しさなんてものでは、どうにも出来ないものだ。
「俺を諦めた方が、ええ。お前のご両親もいらん涙流すこともないやろし、会社で信用が落ちることもあれへん。可愛い嫁さんこさえて、ベビーカーひくんは今度はお前や」
 神様。俺はもう赤子を産める奇跡のホモになれなくていい。棚橋と両想いにさせてなんてことも、勿論願わない。だから、ただ一つ。
「育めるもんがあるなら、育んだ方がええ。父親になりたいんやったら、俺とおってもしゃあないやろ」
 ――この泣き虫で優しいイケメンに、相応しい笑顔と幸福を。
 哲は、静かに首を縦に振った。そして蚊の鳴くような声で、好きだよと言った。俺はつっけんどんな態度で、しょうもないこと言うな阿呆、と切り捨ててやった。
 しょうもない。本当にそう思う。
 嘘でも――本当でも。

 速度の遅いエスカレータに両足を預けて、行き先も考えず上に向かう。店を出ても尚几帳面に俺の後について来てくれた後輩を、振り向くこともせず地上へ出た。芝生の広場だなんて御大層な名前が付いてるけど、俺に言わせてみればその辺にあるただの野っぱらだ。時期外れなのか芝生を育て中なのか緑成分より枯葉成分の多い雑草を見渡して、漸く息をつく。
「無意味が嫌いなんじゃなかったの」
「嫌いやで」
 近づく足音。控えめで気のきく後輩にしては、強い力で抱きしめられた。
「だったら、先輩が泣くのも無意味だ」
「……感傷にくらい、浸らせえ」
 温かい両腕。決して俺のものにはならないけれど。こうして今だけ、癒しを求めるのくらいは許されるだろうか。
「そんなに、好きだった?」
 柔らかく問われる。だけどそんなこと、今更答えたくはなかった。俺は馬鹿だ。そしてホモだ。馬鹿でホモの俺は、ノンケの後輩棚橋が好きだ。けれどもう、この気持ちを口にしないと決めた。墓まで持ってゆく。それは、振られるのが怖いからじゃない。
 今回のことで、良く分かった。ホモの告白はただの毒物だ。言葉にした時点で、YESでもNOでも関係者の方々を苦しめる。本来関わることのなかっただろう平和な人間を、俺の厄介事に巻き込んで苦しめるなんて死んでもしたくない。
「ねえ、先輩」
 普段通りの柔らかな声が、一層俺の涙腺を崩壊させるらしい。ダムが溢れ、馬鹿になった決壊を乗り越えて、音もなく棚橋のシャツを濡らしている。
「俺ね、自分に痛覚がないんだと思ってた」
「……?」
「だから、母さんのことも忘れられたし、簡単に捨てられた」
 優しく俺の頬を撫でながら、棚橋が続ける。
「捨てるのが簡単なのは、迷わないからだよ。迷わないのは、つらくないから。つらくないのは、その行為に痛みを伴わないからで――だから要するに、俺には痛覚がないのかなって思ってた。切り落とす段階で痛いと思わないのなら、後はだって、落ちるだけでしょ。これからもずっとそんなふうに、自分の一部でさえ――落ちてゆくのを、他人事みたいに眺めながら生きていくんだって思ってた」
「棚橋……」
「だけど、先輩は違う」
 柔らかいだけだった棚橋の声が、瞬間、耳元で震える。
「先輩が、泣いてると凄く痛い。見てるだけで心臓がずたずたにされた気分だよ。輪島さんが関わった時だけじゃない。先輩が、俺のことを避け出した時からずっと痛かった……俺、何かした? 会いたくて堪らなかったのに、誘っても先輩、全然反応薄くて」
 理由のはっきりしない逃亡劇は、少なからず棚橋を傷つけていたようだ。急に申し訳ない気持ちになって、彼の背に縋りつく。俺の勝手で不快な思いをさせて――だけど改善するなんて約束もしてやれない。
「先輩がいないと俺、痛いってことがどういうことか……忘れちゃいそうで怖い」
「棚橋、悪かった。週一で遊ぼう」
「何それ、全然足らない」
 精いっぱいの妥協案を提唱しても、眉間に皺を寄せる俺の想い人。学習塾くらいのスパンで間をあけてくれなきゃ、しんどいのは片恋中の俺だぞ。人の気も知らないで。
「あー……じゃあ、週二とか?」
「四六時中、一緒に居てよ」
「無茶言うなや! 恋人同士とちゃうんやぞ、そんな毎日ひっついてられるか」
「だったら、俺と恋人になって」
 どんな無茶だ!
「……何に流されとるんかしらんけど、何かを発言する時くらいは、きちっと頭使えや」
「使ってるし、自分が何言ってるかちゃんと分かってるよ。輪島さんみたいに、言葉に責任を持てない馬鹿じゃない」
 らしくない毒を吐いて、棚橋が強く抱きしめて来る。平日とはいえ、公園のど真ん中だ。
「棚橋、ここ、人がおる!」
「先輩、はぐらかさないで。輪島さんとのことがこんなふうに終わった直後で、サークルの後輩なんて恋愛対象に見れないかもだけど」
「お前、ホモちゃうやろ!」
「そりゃホモじゃないし、ちゃんと先輩に惚れてるかどうかは正直分かんないけど……」
 そらみろ!
 今日一日で、どれだけ俺を傷つけりゃあ気が済むんだ神様。あんた、確実に俺のこと嫌いだろ!
「でも、先輩がいないと、生きてるって気がしないよ。これって、ただ惚れてるよりうんと凄いと思うんだけど」
「落ちつけ。お前ちょっと、おかしなってんねん。俺というホモと哲という俄かホモの二種類を目の当たりにして、感覚が麻痺しとんねん、絶対」
「それはゲイに慣れるきっかけにこそなるけど、俺自身が先輩に惚れる理由付けには足りないよね」
 譲らない棚橋。観念した顔で見上げると、真剣な両目が俺を見つめていた。
「俺は、赤ちゃんもいらない」
「…………」
「泣かせる家族もいないし。先輩が望むなら、海外のチャペルで式も挙げられると思う」
「だから望まんてゆうてるやろどいつもこいつも!」
「先輩と恋愛してみたい。輪島さんみたいに、先輩の一部になりたいんだ。俺に痛覚を教えてくれた先輩となら、切り落とす時に痛いと思う何かになれる気がする。だから……うんって言って」
 信じられないくらい甘い声で、棚橋が俺にねだる。衝動で頷きそうになる首を、支える力が限界だ。だけど、もうこれ以上――。
「……俺のせいで、ホモになんかになんなや」
「何それ」
 心外そうに眉をあげて、棚橋が言う。
「俺がゲイになるのは、俺の勝手でしょ。そんなの先輩に禁止される筋合いないよ」
「ガキみたいな駄々こねんな。マイノリティは、所詮生きづらい世界や。気の迷いで背負えるもんと違うで。俺みたいなののご同類に纏わるしがらみは、普通のそれよりうんと重いんや」
「そんなことないよ」
 ぐだぐだ言い募る俺に反して、棚橋の声はまっすぐだった。
「先輩は、自分で自分に暗示かけちゃってる。マイノリティって、意味本当にわかってる? 少ないって、ただそれだけのことだよ」
 まっすぐ故に、胸に落ちるのも早かった。
「荷物はみんな、生きてたら持つものだよ。重さなんてそれぞれでしょ? 先輩のだけ特別軽いなんて言えないし、まして特別重いなんて言えない筈だよ。だいたい、誰と比べて重いって言ってるの? 言い切れる根拠も基準もないじゃない。もっと苦労してる人だっているし――勿論、もっと楽に生きている人もいるけど」
(……そりゃそうだ)
 目から鱗が落ちるって、こういうことか。
 聞いたら当たり前の話なのに、世紀の発見を報告された思いだった。俺はきっと、より大変だとも、可哀想だとも言って欲しくなかった。
 同じだ。ただその言葉が欲しかった。
 本当は――ずっと。
「輪島さんは、赤ちゃんが欲しかった。俺は、先輩と一緒の荷物が欲しい。ただ、それだけのことだよ」
 目を閉じた。鱗はもう落ちなそうだけど、涙が出そうで怖かった。もう泣き顔なんて何回も見られているけど――嬉し涙は百倍恥ずかしいのだ。
「ねえ先輩、俺も正直まだよく分かんないから……とりあえず、無理とか言わないで保留にしておかない? 今すぐじゃなくていいから。俺と恋愛する未来を検討してみて」
「する」
「……先輩こそ、ちゃんと頭使ってから発言しなよ」
 呆れたように棚橋は嘯いたが、俺にしてみりゃそれこそ今更だった。検討するまでもない。許されるなら、お前の手を握ってみたかった。
 不安はあった。警告音なら、ずっと頭に響いている。恋愛をしてみたい。ヤツの言ったその一言が意味する虚しさを、俺はもう予感しているのだ――けれど。
 どうしても抗えない。お前が欲しい。
 きっと目の前でフラペチーノを一気飲みしてくれたあの日から、俺だけ先に恋に落ちていたんだから。
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