隠れゲイシリーズ

芹澤柚衣

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隠れゲイとカプチーノ

3.

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「何飲む?」
「オオオオレンジジュース」
「何どもってんの。て言うか、先輩オレンジジュース苦手じゃなかった?」
「ええから、それで。今日は自分を戒めたい気分なんです」
「ふうん……まぁ、いいけど」
 朝から野菜ジュース飲んで、おやつにオレンジジュースかいって自分でも思うけど。すげーな俺、超健康優良児。まぁ心が荒んでる分、せめて体は健康でいたいみたいなのはあるよね。Cで潤いまくれ、体内の細胞たちよ。
 結局あれからそこそこ真面目な俺達は、とりあえず授業は遅刻でも行っておこうという結論に落ち着き、まさにおやつが一番うまい時間帯の午後三時に、食堂の隣に併設されたカフェテリアでお茶をしようという約束を交わし各々の教室に小走りで向かった。俺は基本貧乏苦学生なので、朝昼晩の御飯以外の何かを嗜むような習慣はなかったし、ケーキとお茶が気軽に楽しめるようなリッチなカフェ、マジで食堂の横に必要? って思ってたクチだけど。今になってわかった。食堂なんて開けっ広げなスペースで話すにはちょっと勇気のいる、もしくは昼ご飯を食べながらでは時間が足りないようなことを話すための場所って、確かに必要だ。俺に限らず大学生なんてのは、そうそうお金持ってる訳じゃないから。お昼を食べるには物足りないような軽食しか置いていないこのカフェは、なるほど良い感じに空いている。これならゲイとノンケがゲイについて話していても、盗み聞きされるようなことにはならないだろう。
「あの、早速だけど先輩。昨日の確認していいかな」
 ぎゃー来た! 来やがった! 頼んだオレンジの前にメインディッシュ来ちゃったよ! 何でだよ。前置きで世間話とかしようよ。何いきなり最初からクライマックスぶちかまして来てんだバカ。前戯とかしないタイプかお前コノヤロー。あ、すみません今のはセクハラでした。
「あの人、名前何て言うの?」
「――は? あの人?」
 予想外な質問に驚いた。まさか元彼の名前を聞かれるなんて。
「うん。話をするには名詞使いたいし」
「……哲。輪島哲」
「ふうん、輪島さんね」
 自分で聞いといて、つまらなさそうに相槌を打つ棚橋。どういう感情だ。興味ないなら聞かなきゃ良いのに。
 俺は俺で何だか妙に焦ってしまい、突っ込まれる前にとぺらぺら口が動いてしまう。
「俺より年上やけど、とにかくヘタレ中のヘタレやで。いつもノリやテンションで動いて、結果自分の頭が足らへんせいでヘコんどる」
「……そういうタイプには見えなかったけど」
「基本見かけ倒しやねん。頭良さそうに見えるだけやて。きちんと考えないで、いっかなって思ったことに、うんてゆうてまう性格や。お人好してゆうたら聞こえはええか知らんけど……優柔不断なだけやろ。うんてゆうた後のことなんて、ちょっとも考えへん。その場がどうにかなって、二、三日恙無く過ごせればそれでええと思うとる阿呆や」
 あれ、何かおかしい。こんな愚痴めいたこと、わざわざ言うとか超カッコ悪い。どうした俺。輪島? 何それおいしいの? ぐらいのテンションで、脳内にて亡きものにしようと思っていたのに。
「……まぁ、俺とのことも……あいつにとってはだったんやろ。この場合、被害者は向こうかもな」
 くそ。言いながらヘコんで来た。結局そういうことだ。ノーマルに手を出した俺が一番悪い。結局ね。
 カラカラの喉を潤したくて、お冷を一気に煽った。が、すっかり水はなくなっていて、でかめの氷が上唇に当たっただけだった。そういやさっき無意識に飲み干したんだった。ちくしょう上唇痛い。早くオレンジジュースお願いします。
「……あのさ、その言い方だと」
 若干言い淀んで、棚橋は言葉を続けた。
「先輩が、本当にホモに聞こえる」
 ――ああ。したいって、そういうことか。
 まるでタイミングを見計らったかのように、オレンジジュースとカフェ・フラペチーノが運ばれてきた。うわあマジか今来んのかよって思わないでもなかったけど、逆にこれはこれでありかもしれない。
 ありがとう店員さん。お陰で不自然なく、会話を終わらせることが出来そうだ。
「悪かったな、棚橋。フラペチーノはホモの餞別や。奢ったる」
「え?」
 心底不思議そうな顔で、聞き返してくるのに腹が立った。結論、陽性の俺だ。わざわざ引き止めて、先延ばしにする必要もないだろ。見せつけるようにして、オレンジを一気飲みしてやった。ストロー? まどろっこしいんだよ、そんなもん使うか!
 ガァン! とクラシカルなカフェに大きな音が響いた。俺が飲み干した空のグラスを、テーブルに叩きつけた音だ。ごめんなさい店員さん。態度最悪だったと思うけど、二度見しないで。何あの窓際のそばかす野郎超最悪なんですけどって視線で露骨に見ないで。件のそばかす野郎それなりに反省してるから、とりあえず許してあげて。
「お前がもしかしてって、思うとる通りです。ホモやで俺。男好きです。女と付き合うとか絶対無理。抱かれたい男はぼんやり想像できても、抱きたい女は欠片も思いつかへん真性です。彼氏とは、俺だけ本気の恋でした。さようなら」
「ちょ、ちょっと待って先輩!」
 決定的発言を投下すりゃあ、軽蔑もしやすいだろうと言葉をぶつけてやった。疑惑が事実と判明してもホモを目の前にしてフラペチーノを啜ろうとしたのは、半分以上が棚橋の優しさだ。棚橋の半分は優しさで出来ています。口が悪くて短気で友達の少ない俺には、それが良く分かっているのです。
「何、さよならって。輪島さんに言うのは分かるけど、何で今、俺に言うの」
「どうかどうか、お元気でー」
「そんな、某冬の名曲に付いてたカップリング曲のワンフレーズ歌って誤魔化してないで」
「え、この歌分かるんかお前。すげーな」
「分かるよ、それくらい。て言うか話逸らさないでよ」
「君と出会って、初めて心から気づいたんだ」
「別に頭から歌えなんて言ってないでしょ」
「ああもう! 何やねんお前! お洒落なカフェでわざわざ冬の名曲に付いてたカップリング曲をアカペラで歌わなきゃならへん俺の気持ちがわからんのかい!」
 怒鳴る俺の横で、店員さんが足早に空のグラスを片づけに来た。うわマジか。何故このタイミング。実はさっき乱暴なグラスの置き方されたのめっちゃ怒ってます? ですよね!
「分かる訳ないよ……どうしたの急に」
「……確認したいて」
「ん?」
「ゆうたやんけ、お前。俺がほんまにホモかどうか、確かめに来たんやろ」
「……そうだけど。それって、そんなに気に障ることだった?」
 視線をそらしたまま、気まずそうに棚橋が聞いてきた。聞かなくてもわかることを、バカの振りして聞いてくる。俺、お前だけはそんなことしないって勝手に思ってたよ。だから今、裏切られたような気持ちになってんのも、俺の勝手だ。
「今更、的外れな物言いすんなや。下手な情け掛けられた方が余計傷つくわ。ほんまはお前俺がかどうか聞いて、それから俺とのことどないしよか決めよて思うてたんやろ」
「…………」
 閉口か。図星だな。もう何でもいいけど。分かり合える気でのこのこ付いてきた、自分が滑稽なだけだ。
見通しが甘かったのだ――哲のことを含め、何もかも。
「俺が出てくのに合わせて、お前まで席立つこたあらへん。ゆっくりそこで、フラペチーノ啜ってろや。お元気で」
 ズゴ、とすごい音がする。ん? と思って目の前を見れば、顔色一つ変えない棚橋が、超真剣にフラペチーノ早飲みしてやがる。うわあすごい吸引力。何この掃除機的な馬鹿力。いや俺、ゆうてる場合か!
「何しとんねんお前、ゆうてる傍から!」
 俺の突っ込みなどものともせず、棚橋は恐ろしい勢いでフラペチーノ一気飲みを完了しやがった。しかもストローで。こんな細口からこんな短時間で吸い込める掃除機があったら、通販やれば一発で完売だ。むしろ俺が欲しい。
「……傷つけた、ごめん。こんな不躾な質問して、先輩がやな思いしない訳ないのに。そういうの、大事にしなかった。ほんとごめん」
「や、俺のことはええから。お前もうちょい自分の胃腸のこととか大事にしようか」
「先輩がゲイなのかどうか、確かめようとしたのは本当」
ちょっと咳き込みながら、棚橋が続ける。もうやめてくれと、正直思う。俺は所詮切れる相手と、長々別れ話なんかしたくない。
「それで、本当だったとして……厭だなって思ったら、先輩のことどうしようかなって……思ってたのも、本当」
「……もうええ」
「よくないよ、聞いて。俺は厭だって思わなかった。結局」
「…………」
 同情か。反吐が出る。棚橋にじゃなく。
 同情かって思いながらそれでも、こんな言葉を喜んでいたりする自分に。
「ね、先輩。一度でも、どうしようかって迷っちゃったらもう駄目? もう俺のこと許してくれない?」
「棚橋……」
 子供みたいな声で、棚橋が言う。頼りなさげに揺れる瞳は、いっそチワワレベルに庇護欲を掻き立てた。
「俺は、先輩とこれっきりなんて厭だよ」
 こんな顔したチワワがペットショップに並んでいたら、借金してでも買っていたに違いない。想像してみてほしい。これっきりなんて厭だよ系チワワ。逆らえる訳がない。可愛いの暴力だ。
 駄目じゃない。震える声で、どうにか答えた後、涙が滲んだ。
 ――ほっとしたのだ。俺は、結局。
 失いたくない。このかけがえのない友人を。その為になら気まぐれでも同情でも、乗っかれるもんなら何にでも乗っかってやる。友達少ないやつ舐めんなよ。ホモでも良いなんて言ってくれる同性の友達は、ガチなゲイよりぶっちゃけ少ない。
 棚橋は、希少価値なんだ。
 これから出会えるかもしれない恋人よりも、うんと低い確率で俺はこいつを見つけたんだ。
「そっか……良かった。ね、先輩。仲直りついでにカラオケ行かない? お詫びに奢るから」
「お詫びって……別にええよ。俺も悪かったし」
「いいから。失恋直後は、人の優しさに素直に甘えなよ」
「失恋てゆうな、余計ヘコむわ」
 その後棚橋に引き摺られる様にして連れて行かれたカラオケで、俺が某冬の名曲を熱唱したのは言うまでもない。てゆうか、カップリング曲の方じゃないんだね、と棚橋がどっちでも良さそうな口調で小さく突っ込んだ。
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